ローザがドイツ社会民主党に留まった理由は、あなたが指摘するようにレーニン型組織論を嫌ったためでも、ローザの資本蓄積論とレーニンの帝国主義論との違いでなく、貴方宛の2月19日付けの投稿が理由だったと思います。
「わたしはここに踏みとどまる、他になすべきことはない」これが全てだと思います。
「なぜならば、ボルシェビキ型革命理論と、ローザの相違が現実に革命の成功と敗北を分けたものであったからだ」ですが、ソ連と東欧の崩壊の中で、下部構造が上部構造を規定するにも拘わらず、労働者階級や大衆の意識は、全く発展していませんね。労働者階級の組織的反抗は、全くありませんでした。
スターリン主義に、原因を求めるのは、すじ違いだと思います、というのは、ローザが、民主主義との関連で指摘していたことが、ソ連、東欧の崩壊で、そのまま反映されてしまった訳です。また、スターリンとローザは同時代のものではありません。
それと、これはどうでもいいことなのですが、トニー・フリクのローザ・ルクセンブルグという書籍ですが、1970年代に、買い求めたもので、現代思想社発行のものです。
第四インター系との・・・は、私とは関係ありません。強いて言えば、共産党の言う「新日和見主義」の周辺にいた、今でもそれを引きづっているというのが私の立場です。
ソ連、東欧の崩壊と共産党の改良主義的な変質の中で、加藤哲郎氏の「ローザ・ルクセンブルグの構想した党組織」に触発されて、ローザ・ルクセンブルグを、もう一度見直しているというのが、今の私の心境です。
後2~3回位に分けてというのは、「ロシア革命論」草稿でローザ・ルクセンブルグが、ボリシェビキの政策の誤り、あるいは、歪みとして具体的に指摘したのは、農地改革・農民政策、民族自決・講和問題、制憲議会の解散の三点だった。それを論じるためには、このそれぞれを検討しなければ、ならない。それで分けて論じざるをえない。
まだ共産党の影響が意識の中に残っているだろうか、民族自決権とブレスト講和についてのローザの批判は、以前も、今も意識して、避けようとしている。