「社会民主党の危機(ユニウス・ブロシューレ)」に対す
るレーニンの批判は、第一点は、社会愛国主義と戦前の陰性修
正主義との関係に対する批判の不十分さに向けられている。確
かに、「インターナショナルの再建」に比べると、「ユニシス
・ブロシュール」においては、8月4日の社会主義インターナシ
ョナルの崩壊におけるカウツキーらに対する責任追求が、若干
、曖昧になっている。
しかし、レーニンの主張に従えば、即時、社会民主党を離脱
して、社会平和主義者とも決別しなければならなくなる。
社会民主党からの離脱が、「逃走であり」、「大衆に対する
裏切り」と考えているローザが、このような行動をとれるわけ
がない。また、ドイツの実情から見て、それが有利であったか
どうかも疑問である。
レーニンは、ドイツの左派の最大の欠陥は、強力な非合法組
織を持たない点にあると言っている。しかし、強大な合法政党
としての社会民主党と労働組合が存在しているドイツでは、ボ
リシェビキのような職業的革命家の非合法組織は、プロレタリ
ア大衆から浮いてしまう。
ロシアとは根本的に異なる、西ヨーロッパのこの実情を無視
しているか、理解していない、レーニンのこの批判は、不適当
だと思う。(レーニンは、1922年第四回コミンテルン大会で、
自分の非を認めている)
第二点は、民族自決の問題
ローザは帝国主義時代には、世界は少数の大国に分割されて
いるから、民族自立の戦争は、必然的に帝国主義戦争に転化す
る。だから帝国主義時代に民族自立に固執することは、社会愛
国主義者に口実を与えることになるだけであると主張した。
レーニンは、民族戦争は帝国主義戦争に転化する可能性が高
いが、これだけの理由で民族戦争を否定するのは、間違いであ
る。それでは、植民地、半植民地の従属民族の独立運動の力を
、帝国主義に対する反対闘争に動員することができなくなる。
この背景にあるのは、レーニンにとって民族自決は、ロシア
帝国内でツァリズムの圧制に苦しむ数十の被抑圧民族を活用す
ることだったのに対し、ローザにとっては、母国ポーランドの
好戦的ポーランド社会党であり、国粋主義そのものだったのだ
。
レーニンが、後進民族の自決の要求を、ロシア革命=世界革
命の戦略戦術の中心にすえるのに対し、ローザは政治的経済的
単位としての民族を否認し、民族自決の要求を反動的なものと
した。
ローザは、1890年代の初頭ポーランド王国地域社会民主党の
結成によって、国際社会主義運動に参加して以来一貫して、民
族自決のスローガンは、ブルジョア的スローガンであり、資本
主義体制の下では、空文句であって、真の民族自決は社会主義
の下でしか実現しないという見解を維持し続けた。
ロシア革命論草稿でも、フィンランド、ポーランド、ウクラ
イナ、バルト諸国など、社会主義的プロレタリアートが、すぐ
れた役割を演じてきていた地域で、突然反革命が勝利した原因
と責任をボリシェビキの民族自決政策に求めて、「ボリシェビ
キはその民族問題に関するスローガンで、あらゆる辺境諸国の
大衆を混乱させ、ブルジョア階級のデマゴギーの手に委ねてし
まった。ボリシェビキは、こうした民族主義の要求によって、
ロシアそのものの解体をまねき、用意し、ロシア革命の心臓を
突き刺すべき匕首を敵の手に渡した。」
世界革命という観点からみれば、ローザの主張は道理がある
。またこの見解は、ローザだけのものではなく、ヨギヘスやワ
ルスキの間でも、共通の見解だった。
「ブルジョア的、反革命的な政策をすすめるのに役立つスロ
ーガンは、革命の戦術的なテコではけっしてない。民族自決は
ブルジョア世界では決して実現されず、ただ社会主義世界でし
か実現されないのであり、その場合にも、抽象的、形而上的な
権利の表現としてではなく、社会主義的な世界経済を建設する
ことを目指す国際的なプロレタリアートの連帯の枠の中でしか
実現されない。」(ワルスキ)
しかし、社会主義共和国の建設の維持という観点から見た場
合レーニンの方が正しいと言える。「しかし、いくつかの民族
の自決権がおかされることからして、現に社会主義共和国の存
在が危険にさらされるという具体的な情勢が生じているとした
ら、社会主義共和国を維持するという利益が優先することは言
うまでもない。」(併合的単独講和の即時締結の問題について
のテーゼ レーニン)
ローザとレーニンの民族問題に関する対立の根底には、両者
の帝国主義理論の見解の相違が潜んでいるとする見解もあるが
、そこまで考える必要があるかはわからない。またその内容ま
で、立ち入るのは、私の能力を超えている。
反戦反ファシズム連合さんが、資本蓄積論批判の観点から、
批判するということなので、お任せする。ただ、ローザが資本
主義が拡大再生産の矛盾を解決する為に、植民地なしではすま
せないという主張に対し、これを即資本主義の機械的崩壊論と
して捉える議論は乱暴すぎる。あくまで、資本主義の限界、矛
盾を指摘しているにすぎない。
第三点は、戦争政策そのものに関してである。
ローザは、祖国防衛の義務があることを説いている。ドイツ
社会民主党が「危機に際しては祖国を見捨てず」と言いながら
、実際は危機の時に、祖国防衛を支配階級に一任して、祖国を
見捨てたことを弾劾して、プロレタリアートは、1972,1973年
のような革命戦争によって、祖国を防衛すべきだと説いている
。
彼女の戦争政策は、エンゲルスの遺訓に沿うものであり、東
西両面戦争を行っているドイツの実情に最も適したものと考え
られる。ところがレーニンは、エンゲルス・ローザの革命戦争
による祖国防衛論は、帝国主義段階では成立しないと主張する
。
レーニンは、外国帝国主義に対する祖国の防衛ではなく、自
国の帝国主義に対する死活の闘争だけが、唯一正しい戦争政策
だと主張する。
レーニンは植民地、反植民地の被抑圧民族に対しては、民族
自立の戦争を認め、帝国主義国のプロレタリアートに対しては
、一切祖国防衛を認めないのに対して、ローザは被抑圧民族の
独立運動を否定して、帝国主義国のプロレタリアートには革命
戦争をするように説く。
この矛盾は、ロシアとドイツの情勢の違いに起因する。
ロシアでは合法的な労働運動が殆ど存在する余地がないから
、反戦即敗戦主義をとれるのに対し、帝国議会第一党にまで成
長したドイツのプロレタリアートにとっては、自国の敗戦を主
張することは、余りに冒険でありすぎるのだ。
以上、見て来たように、二人の違いは、基本的には、互いの
置かれている立場の違いに起因する。
だとすれば、どちらが一般性、普遍性を持っているかという
ことになるが、組織論に措いては、ローザが、民族論に措いて
は、レーニンだと思う。
取り分け、レーニンの組織論の一般化が、人類解放の運動を
抑圧するものに変えてしまった大きな原因の一つだと考える。