>ローザがドイツ社会民主党に留まった理由は、 あなたが指摘するよう>にレーニン型組織論を嫌ったためでも 、ローザの資本蓄積論とレーニンの帝国主義論との違いでなく 、貴方宛の2月19日付けの投稿が理由だったと思います。
ローザの「資本蓄積論」から、ローザ独特の帝国主義への問 題意識が形成されていると思います。レーニンが、ユニウスの 小冊子としょうしてローザを批判したことをあなたはどうのよ うに総括なされていますか?ローザの帝国主義認識によって、 ボルシェビキ革命を否定したのが、ローザです。
>「わたしはここに踏みとどまる、他になすべきことはない」 これが全てだと思います。
その理由は、なんでしょう?それが全てだではなくて、ロー ザの帝国主義認識としてそうさせたのです。
>「なぜならば、ボルシェビキ型革命理論と、ローザの相違が 現実に革命の成功と敗北を分けたものであったからだ」ですが 、ソ連と東欧の崩壊の中で、下部構造が上部構造を規定するに も拘わらず、労働者階級や大衆の意識は、全く発展していませ んね。労働者階級の組織的反抗は、全くありませんでした。
ローザとレーニンの革命の相違は、第一次大戦前後の情勢で
す。
あなたは、それをスターリン主義崩壊過程にもってきていま
すので、まったく飛躍した論理だとしかいいようがありません
。しかもその論理は、ローザとレーニンの革命論とまったく関
連性のない論理です。
しかもあなのた論理そのものが、大変おかしな論理となって
います。
まず、あなたの不可解な論理とは、ソ連・東欧崩壊の中で、
下部構造が上部構造を規定するにも関わらず労働者の意識は発
展していないとあなたは述べているが、まず労働者の意識の発
展とは具体的に何を意味するのですか?あなたは、その後、労
働者の「組織的」反抗は、まったくなかったというが、労働者
の反抗とは意味するのでしょうか?ソ連・東欧の崩壊に際して
、労働者が組織的反抗をまったくしていないとあなたはいいた
いのでしょうか?
私はソ連・東欧の破綻は、スターリン主義そのものの体制が
もたなかったことだと規定しています。
そもそも、それらがローザとレーニンの革命論に違いにどう 関連しているのでしょうか? 私がいっているのは、第一次大 戦前後の戦争から革命へというなかで、レーニンはロシア革命 を成功させローザは敗北したということなのです。その違いは 、帝国主義への認識の違い、革命論の相違にあったということ を述べているのです。
>スターリン主義に、原因を求めるのは、すじ違いだと思いま す、というのは、
あなたは、ソ連・東欧の崩壊をスターリン主義体制の無理か らおさえてはいないということだけだと思います。むしろそれ をおさえると、ソ連の崩壊はスターリンの体制の破綻であって 、マルクス主義やレーニン主義が崩壊したのではないという意 見になる可能性があるから、スターリン主義の体制崩壊だとい う意見には同意できないといっているだけでしょう?つまりあ なたは、ソ連は短=レーニン主義破綻としたいわけです。あな たは、その展開を補強するためにローザを持ち出しているにす ぎないわけです。
>ローザが、民主主義との関連で指摘していたことが、ソ連、 東欧の崩壊で、そのまま反映されてしまった訳です。
民主主義との関連とは、えらく抽象的ですね。
結局あなたは、スターリン主義体制はレーニンから生まれて
きたものだという意見なのです。
その意見を展開していく人たちに多いのが、左翼運動の放棄 ・レーニン批判です。
しかしあなたと同様の意見を展開する人たちに多いのは、ス
ターリンの理論を批判しはしないということなのです。
また、ソ連や東欧が存在していた時代は、どういう立場であ
ったのかということを私は問いたいと思います。
民主主義の関連というが、民主主義とファシズムとの戦いだ
として、第二次大戦への参戦にソ連やアメリカは向かっていき
ます。
しかし本質的には、帝国主義同士の戦争に、ソ連スターリン
主義が屈服したということなわけです。ここもあなたとは意見
が違うと思いますが、あなたの指摘する民主主義というのはブ
ルジョア独裁形態を示しているにすぎません。そもそも民主主
義というが、その形態である議会制は、ブルジョアジーのみに
しか参加はみとめられていなかった。それに対して労働者が運
動して参政権を獲得していくわけですが、同時に社会主義者の
鎮圧をかすことにもなっていたわけです。つまり、ブルジョア
ジーのみに参政権がゆだねられていた自由主義段階から、労働
者大衆にも政治に参加させるという製作、つまり社会製作が展
開されるようになったのは、帝国主義段階に入ってからなので
す。議会に労働者を引き入れたのは、泰一に社会主義運動から
の予防反革命と、帝国主義国家が労働者を動員することで、他
帝国市議国との争奪に備えようとしたというに規定されるので
あって、民主主義が花開いたなどと絶賛するのはナンセンスな
のです。
実際、ドイツ帝国主義は、戦時公債を議決してしまいました
。そのとき帝国主義社民はどのような態度をとったのか?その
ために、ローザはスパルタクシスト結成にむかうのではなかっ
たのか?ということなのです。レーニンは、ブルジョア独裁型
としてこれらを批判し、プロレタリア独裁・プロレタリア民主
主義としてソビエト運動を展開したわけです。これが歪曲され
、変質させられていったのは、スターリンによるものです。あ
なたはスターリン批判は筋違いだというのは、ブルジョア独裁
を結局はあなたが美化シテイルからに他ならないでしょう。
>また、スターリンとローザは同時代のものではありません。
だったら、あなたはローザとレーニンの相違を論じていると ころに、ソ連・東欧の崩壊をもってくるのは不可解といわざる をえないのです。なぜなら、ローザの理論でソ連め東欧は破綻 したのではないからです。レーニン自身、ソ連一国の社会主義 であれば、社会主義は崩壊するということ、世界革命でなけれ ば社会主義は存在しえないということを、のべるにいたってい ます。これはトロツキーだけの意見ではないのです。
>それと、これはどうでもいいことなのですが、トニー・フリ クのロー>ザ・ルクセンブルグという書籍ですが、1970年代に 、買い求めたもの>で、現代思想社発行のものです。
そうですか。ただ、著作の内容に私は同意できませんね。
>第四インター系との・・・は、私とは関係ありません。
トニー・クリフは第四インター系統だったと思いますが?
あなたが第四インターかどうかではなく、トニー・クリフが
そういう系統だということです。
>強いて言えば、共産党の言う「新日和見主義」の周辺にいた 、今でもそれを引きづっているというのが私の立場です。
「新日和見主義」の周辺だったということは、一応民青だっ
たのですね。
「新日和見主義」、具体的には、日本共産党の自主独立路線
・宮本路線に対するものだったと思いますが、実質は中国共産
党シンパやソ連共産党シンパや他党派の影響があった人々など
をしめすようですね。
ですから、スターリン主義理論に対する批判的アプローチが
できていない人々が多いようです。スターリンの圧政や粛清が
スターリン批判だということだけではなく、スターリンの「理
論」の批判という考察ができていないわけです。ではスターリ
ン理論とは何か?それはソ連や中国といった、一国単位の「社
会主義建設は可能だ」という理論であり、日本型社会主義とい
う理論なのです。わかりやすくいえば、日本共産党とそれらを
を含む派生党派そのものの綱領だといってといい。一国でも社
会主義は可能だという理論はスターリンによっても出された理
論でしかなく、マルクスもレーニンもそういう理論は展開して
いないのです。帝国主義の最弱の環としてロシア革命は切り開
かれたが、連続革命説をとり世界革命によらねば社会主義は帝
国主義に包囲されて破綻することを懸念していたのがレーニン
なのです。だからレーニンは後継者にトロツキーを選択し、ス
ターリン書記の解任を望んでいたわけです。レーニンの妻の手
紙でもそれらは詳細に述べられています。レーニンの妻をトロ
ツキストよばわりするプロスタもいますが、実際スターリンで
はなくトロツキーを後継者に考えていたの・u毆)がレーニンな
のです。しかし、スターリンが党派闘争で勝利したために、一
国社会主義路線が第一義になっていったわけです。その影響を
うけたのが各国の共産党(コミンテルン)だということなのです
。ですから、本当のレーニン主義者、ボルシェビキ党派は、反
スターリン主義党派だといえるのです。
>ソ連、東欧の崩壊と共産党の改良主義的な変質の中で、
それは総本家が倒れたので、分家はたたむほかないか、延命
のために変質していくしかないのです。イタリアでは、共産党
は解体し左翼民主党と共産主義再建党に分裂しました。日本で
は、バブル崩壊がかさなったものと、社会党が解体してくれた
おかげで、なんとか続いてきたということにすぎないと思いま
す。
ですが日本共産党もカウツキー主義的改良に翻弄されている
といえるでしょう。
>加藤哲郎氏の>「ローザ・ルクセンブルグの構想した党組織 」に触発されて、ローザ・ルクセンブルグを、もう一度見直し ているというの>が、今の私の心境です。
加藤さんはインテリでしょうが、この方はそもそもボルシェ ビキの理論家ではないと思います。また反スターリン主義理論 に造詣が深い方とはいいきれないと思います。
インテリはときに、有効ですが、実は何もわかっていなかっ
たりするものです。乱読家といってもいいし、物知りだといっ
てもよい。しかし一貫した理論がないのですよ、こういう人た
ちは。時流にあわせて、意見がころころ変質する、時流にはや
っている左派系出版物を翻訳するような方々は、中身がない場
合が多い。あなたの立場は何ですか?と問えば、大学の権威の
なかで暮らしているプチブルだったりする。もちろん良心的に
闘争を支援している教員もいますし、体を張っている人だって
いるでしょう。しかし、本質的にプチブルなんです。
ですからこういう人たちの著作は、気休めにはなるでしょう
が、階級闘争にどれほどの貢献があるかは未知数です。ただし
、こういう方々の著作は、有効な場合もあるでしょぅから全面
否定するのではありません。こういう方々は、名誉的なもの、
はくつけ、かっこづけの類でしょうか。むろん、彼らもそれを
自覚なさっていることでしょう。ブルジョア政治においても、
政権の権威を高めるがために、大学の学者を引き連れたり大臣
に抜擢するのと同様に、労働者階級側もこちらに味方してくれ
る大学の先生を獲得している場合もあるわけです。積極的にか
かわろうとする左右の学者も実際います。
>後2~3回位に分けてというのは、「ロシア革命論」草稿でロ ーザ・ルクセンブルグが、ボリシェビキの政策の誤り、あるい は、歪みとして具体的に指摘したのは、農地改革・農民政策、 民族自決・講和問題、制憲議会の解散の三点だった。
まず、結論だけいいますが、ブルジョア独裁の形態である、
ブルジョア議会の解散にいきつくのは、プロレタリア革命だか
ら当たり前でしょう?ローザはどうして敗北したのかという部
分にも直結することです。また、反革命との戦い、白軍と赤軍
の闘いになっていったように、ブルジョア議会であれば、ブル
ジョアが進出してくることになるといえるわけですから、レー
ニンの理論は、共産主義者であれば当然の帰結だと思います。
ローづが社民であり、レーニンが共産主義費者だったという違
いはそんなところにもあります。もっといえば帝国主義に対す
る見解の相違が、帝国主義戦争のための戦時公債賛成を掲げる
組織と帝国主義戦争に否わ唱えるボルシェビキに分かれるわけ
です。それが、後世、「自由」を束縛したという理論はナンセ
ンスでさえあるのは、帝国主義そのものが戦争を行い、植民地
を侵略しまくったということにもとめられるわけです。
そもそも、あなたは労働者階級とブルジョア階級の階級対立
そのものについて認識が薄いのではありませんか?
ローザの農民政策論・民族問題論などは別で述べます。
結論的にいうと、社会主義者(帝国主義社民が出自の人)と共
産主義者(ボルシェビキ)の違いなのです。
>それを論じるためには、このそれぞれを検討しなければ、な らない。それで分けて論じざるをえない。
わけながらも、総括しなければなりません。
はっきりいえば社会主義者と共産主義者との出自の相違なの
ですから。
>まだ共産党の影響が意識の中に残っているだろうか、民族自 決権とブレスト講和についてのローザの批判は、以前も、今も 意識して、避け>ようとしている
共産党というよりも、スタ党でしょう。
ブレスト講和条約に関しも、別でのべなければなりませんね
。
しかし結論的にいえば、レーニン批判をやりたい人とレーニ ン擁護をやる人は、ローザに対する見解も同様だということな のです。