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「科学的社会主義」討論欄

ローザは帝国主義社民の人、レーニンはボルシェビキの人 、風来坊氏に反論する

2006/03/17 反戦・反ファシズム・日本国 憲法擁護連合 20代 自営業

>「社会民主党の危機(ユニウス・ブロシューレ)」に対する レーニンの批判は、第一点は、社会愛国主義と戦前の陰性修正 主義との関係に対する批判の不十分さに向けられている。確か に、「インターナショナルの再建」に比べると、「ユニシス・ ブロシュール」においては、8月4日の社会主義インターナショ ナルの崩壊におけるカウツキーらに対する責任追求が、若干、 曖昧になっている。

 まず、第一に、ローザは第二インターナショナルが、帝国主 義戦争に屈服して祖国防衛主義に至り、参戦していくというな かで、インターナショナルは崩壊したことそのものに、的確な 判断がなしえたとはいえない。第二インターの指導者、カウツ キーは超帝国主義論押し出して、帝国主義戦争と祖国防衛主義 側に転落していくなかで、第二インターの決議は瓦解し、イン ターナショナルはナショナリズムに転換した。つまり、第二イ ンターナショナルは崩壊し、各国の社民は祖国防衛=社会排外 主義=口先では社会主義を掲げるが、帝国主義戦争の片棒を担 ぐことになったのである。それゆえに、レーニンは、「帝国主 義社民』と称して、『第二インターナショナルの崩壊』と『帝 国主義論』を書き示し、カウツキーらと対峙していくことにな ったのである。
 他方、ローザは第二インターの宣言を放棄したカウツキーら に対し、あいまいな姿勢をとり続け、レーニンに賛同すること はなかった。
 この意味でローザは、社民の人、レーニンはボルシェビキの 人ということになるのである。

>しかし、レーニンの主張に従えば、即時、社会民主党を離脱 して、社会平和主義者とも決別しなければならなくなる。

 レーニンの主張は的確に帝国主義段階の不均等発展が帝国主 義戦争にいきつくことを批判的にとらえ、第二インターを放棄 して、帝国主義に屈服・参戦していく帝国主義社民と決別しな ければ、帝国主義戦争らの見込まれてしまうゆえに、ボルシェ ビキ運動を展開したのであって、まさに戦争か革命かという選 択であったといえるだろう。
 相対的安定期の運動ではなく、帝国主義戦争の時代にとるべ き選択は、結局国際主義=革命的祖国敗北主義か祖国防衛主義 かなのでしかない。レーニンは、第二インターの崩壊と、帝国 主義社民の屈服をとらえながら第一次大戦を帝国主義の矛盾と してとらえきっていたのである。他方カウツキーは長帝国主義 論を押し出して祖国防衛主義を展開した。

>社会民主党からの離脱が、「逃走であり」、「大衆に対する 裏切り」と考えているローザが、このような行動をとれるわけ がない。

 むしろ、第二インター決議を放棄したドイツ社民・カウツキ ーらのほうに問題はあり、自国労働者を戦争に動員させていく 働きをもつことそのものが、第二インターの掲げていた国際主 義を放棄するものであって、労働者階級を戦争に引きずり込む ことになるわけだから、どちらが「反動的」なのか明らかだろ う。
 また、「大衆に対する裏切り」ではなく、労働者階級を戦争 に引きずり込むという意味においても、どちらが「反動的」で あろうか?
 ドイツ社民党が結局、第二インター決議を放棄し、帝国主義 戦争にいきついていくなかで、第二インター決議と国際主義を 掲げ続けるとするのであれば、放棄したドイツ社民党からの離 別は当然のことである。第二インターの国際主義から逃走し、 労働者を裏切ったのはだれであろうドイツ社民なのである。

>また、ドイツの実情から見て、それが有利であったかどうか も疑問である。

 一国主義的アプローチに立つ限り、第二インターの決議を放 棄していかざるをえないだろう。帝国主義戦争に屈服した、祖 国防衛主義運動に転落する意見は、結局、労働者階級を帝国主 義戦争に引きずりこんでいくことに他ならない。

 レーニンは、祖国防衛主義に転落した帝国主義社民を断罪し 、革命的祖国敗北主義を掲げて、第一次大戦にのめりこむ各国 帝国主義国の労働者階級が自国帝国主義を国際連帯で打ち倒し て、帝国主義戦争を社会主義革命へ転化する路線を提起したの である。ドイツ帝国主義と対峙するロシア帝国主義のどちらの 側からみても侵略戦争に他ならないから、互いの労働者階級は 自国帝国主義を国際連帯し打ち倒すことで解決できると提起し たのである。それが可能であったかどうかは、ドイツにボルシ ェビキが存在したかどうかである。
 ドイツの実情だの、有利であっただのとうのは、後付でさえ あって、第二インターを放棄した帝国主義社民が労働者階級を 率いていれば、そこに規定されてしまうだけなのだ。
 しかもあなたは、ドイツ社民の擁護者だから、レーニンの提 起に対して賛同できないといっているにすぎない。しかし、結 果はどうであったかといえば、ドイツ帝国主義そのものの参戦 と敗戦だった。
 そしてローザらは、反乱におわり、帝国主義社民そのものに よって惨殺されたのである。それは、ボルシェビキのような蜂 起ではなく無謀な反乱であったということもふせて述べておき たい。その弁解として、あなたはドイツの実情をうんぬんなさ るのは、よほど愚かだろう。なぜならば、より帝国主義の暴圧 ・権力の重圧は、ロシア帝政のほうが激しかったからである。

>レーニンは、ドイツの左派の最大の欠陥は、強力な非合法組 織を持たない点にあると言っている。

 ずぶずふの合法主義だったからローザはやられたといえるの である。
 レーニンは『国家と革命』を記していて、ずぶずふ路線では 簡単に叩き潰されてしまうことを指摘している。

 レーニンは同時に、革命的議会主義を貫徹し議会運動も展開 しているという点を確認したい。

>しかし、強大な合法政党としての社会民主党と労働組合が存 在しているドイツでは、ボリシェビキのような職業的革命家の 非合法組織は、プロレタリア大衆から浮いてしまう。

 労働者階級の解放は労働者自身の手によって担われていくわ けだが、その労働者階級を帝国主義戦争に引きずり込むような 、帝国主義社民は労働者にとって裏切りものでしかないだろう 。
 第二インター決議を蜂起していく帝国主義社民は、労働者階 級を祖国防衛戦争に引きずり込んでいった張本人である。
 この結節点にたっていたのがドイツ社民であるのが現実であ る。
 レーニンは議会闘争を行いながら、ボルシェビキ運動を展開 したのと大違いなのである。レーニンは『国家と革命』を記し て、ボルシェビキ型の運動を確立したからロシア帝政の重圧か ら革命運動を守りぬくことができたのであるが、ずぶずふの合 法主義を展開したドイツ社民は第二インターを蜂起し、帝国主 義戦争に労働者を道連れにしてしまう失態をとったのである。 ここが重要なのである。 労働者から浮いてしまうとする判断をするのは、そもそもあな たが労働者階級の立場を喪失しているのであり、帝国主義支配 階級に屈しているからなのではないか?

>ロシアとは根本的に異なる、西ヨーロッパのこの実情を無視 しているか、理解していない、レーニンのこの批判は、不適当 だと思う。(レーニンは、1922年第四回コミンテルン大会で、 自分の非を認めてる)

 その具体的な事柄をあなたは紹介すべきだろう。
 レーニンはロシア帝国主義を最弱の環としてとらえ、ロシア を後発資本主義国としてとらえ、ロシア帝国主義の重圧につい て野蛮で後発的だと正直に指摘しているのである。レーニンは 、亡命していたから、ヨーロッパの実情をとらえているわけだ から、何も問題はないだろう。あなたたちに多いのは、ロシア の未発達をとらえて、だからスターリン抑圧につながったのだ 、野蛮なロシア論・後進国の問題として先進国革命論をぶちあ げようとするが、それは結局一国主義の立場にたったアプロー チの限界ですらあるだろう。重要なのは、帝国主義段階におけ る、帝国主義の最弱の環として革命は切り開かれていくという ことなのだ。そもそも、帝国主義=金融資本的蓄積様式そのも のがイギリス自由主義に遅れたドイツを中心として発達したも のであり、ロシアや日本もそれに含まれるのである。先進国革 命論にたてば、イギリスから革命は切り開かれることになるが 、それはマルクスの時代に限定されたものであるといえるだろ う。つまり、レーニンやロシア革命を批判する左翼的立場の人 々は、結局、自由主義段階と帝国主義段階の区別ができていな いのである。

>第二点は、民族自決の問題
>ローザは帝国主義時代には、世界は少数の大国に分割されて いるから、民族自立の戦争は、必然的に帝国主義戦争に転化す る。だから帝国主義時代に民族自立に固執することは、社会愛 国主義者に口実を与えることになるだけであると主張した。

 この見解が実におかしいのだ。
 帝国主義抑圧民族と被抑圧民族の区別がローザにはないので ある。
 私がレーニンの『帝国主義と民族・植民地問題』を掲げてき たのは、ローザなどの反動的意見を粉砕する意味でもあるので ある。
 では何がローザは反動的なのかといえば、帝国主義側が植民 地支配を行っているなかで、被抑圧民族の民族解放闘争を否定 する見解をとることになるからである。ローザの提起でいえば 、民族解放運動を被抑圧民族が展開すれば、帝国主義者がその 運動を抑えることになり、それが戦争に発展するといい、社会 排外主義(祖国防衛主義者=愛国主義者と社会排外主義者を区 分けする。)者に戦争の口実を与えることになるだけだなどと 、いいなしていることである。つまり被抑圧民族は闘うなとい っているのである。こうした見解によってローザは、第二イン ターを崩壊させ、帝国主義社民が帝国主義戦争に屈服していく ドイツ社民に曖昧な態度しかとれなかったのである。もっとい えば一国単線的な発想に縛られたのがローザだったのである。 だからレーニンの国際連帯について拒絶したのである。

 他方、レーニンは、帝国主義と民族植民地問題が結局帝国主 義の矛盾だととらえ、帝国主義各国が植民地市場再分割として 帝国主義戦争を展開しようとするゆえに、植民地側の被抑圧民 族と帝国主義国の労働者階級は国際連帯して、帝国主義と対峙 することを提起したのである。具体的には、?被抑圧民族の闘 争によって帝国主義そのものの抑圧を打ち破ること、民族自決 権といってもいい ?帝国主義国の労働者は被抑圧民族と国際 連帯しながら、自国帝国主義と対峙することで戦争動員を打ち 倒す、革命的祖国敗北主義といってもいい、?帝国主義の植民 地再分割戦争を互いにそれらによって、押さえ込もうという提 起をしたのであった。

 ここが大きな違いなのである。さらに、レーニンは『社会主 義と戦争』を記し、進歩的な戦争と反動的な戦争の区別を行っ ている。

>レーニンは、民族戦争は帝国主義戦争に転化する可能性が高 いが、これだけの理由で民族戦争を否定するのは、間違いであ る。

 民族戦争が帝国主義戦争に転化するとは指摘しておらず、む しろ帝国主義国の市場再分割として帝国主義戦争は怒ることを 指摘している。そもそも、民族戦争にその原因があるのではな い。

>それでは、植民地、半植民地の従属民族の独立運動の力を、 帝国主義に対する反対闘争に動員することができなくなる。

 レーニンの『帝国主義と民族・植民地問題』はそのような提 起をしてはいない。まず従属ではなく被抑圧民族。
 独立運動ではなく、被抑圧民族の民族自決。結局あなたは、 一国主義的なロジックが多く、そもそもレーニンの国際主義を 理解できていない気がする。

 帝国主義に対する反対闘争という曖昧な言い方ではなしに、 帝国戦争動員に対する反対闘争というべきだ。

 レーニンの指摘については、すでに説明したので問題をつぎ に進みたい。

>この背景にあるのは、レーニンにとって民族自決は、ロシア 帝国内でツァリズムの圧制に苦しむ数十の被抑圧民族を活用す ることだったのに対し、

 それは、あなたのアプローチ。具体的にそういいきれること がらを挙げてください。レーニン『帝国主義と民族・植民地問 題』はあなたのいうようなアプローチではない。そもそもあな たは、帝国主義に対しての理解があまりないのでは?また帝国 主義の矛盾に対する問題意識がかなり希薄ではないか?

>ローザにとっては、母国ポーランドの好戦的ポーランド社会 党であり、国粋主義そのものだったのだ。

 ということは、ローザは国粋主義者だといっているのでしょ うか?
 つまりあなたとの論争でみえてきたのは、祖国防衛主義=一 国主義との対峙なのだということだろう。
 ローザを擁護するあなたの立場は、それに規定されているの だとしかいいようがない。

>レーニンが、後進民族の自決の要求を、ロシア革命=世界革 命の戦略戦術の中心にすえるのに対し、

 なるほど、あなたの主張は極右にかなり接近してきたと思い ますが、後進民族ではなく、被抑圧民族です。また要求ではな く、自決権です。なぜ、レーニンが被抑圧民族と抑圧民族であ る自国帝国主義の労働者が国際連帯しなければならないと指摘 したのか、あなたにはその真意は理解されないだろう。あなた には帝国主義論がないのだから。

>ローザは政治的経済的単位としての民族を否認し、民族自決 の要求を反動的なものとした。

 政治的経済的単位としての民族とは何?具体的に願いたい。
 一国単位ということであるといいかえていいだろうが、ロー ザは、帝国主義に対する、被抑圧民族の民族自決権を結局は否 定したということだから、反動的だったといっていいだろう。 そもそも、ローザの反動性は、帝国主義の認識が間違っていた ためであり、その根底にはローザの『資本蓄積論』と民族問題 のとらえ方そのものが反動的だったということである。

>ローザは、1890年代の初頭ポーランド王国地域社会民主党の 結成によって、国際社会主義運動に参加して以来一貫して、民 族自決のスローガンは、ブルジョア的スローガンであり、資本 主義体制の下では、空文句であって、真の民族自決は社会主義 の下でしか実現しないという見解を維持し続けた。

 第二インターに加盟したとしても、第二インターを放棄した 帝国主義社民に曖昧な姿勢をとったローザを私はまったく評価 することはないと思っている。ローザの主張とは、帝国主義と 被抑圧民族の諸関係無視したものとさえなっており、帝国主義 そのものを問題としてとらえながら、民族自決をとらえていく 、そのもとで、民族解放闘争と社会主義が結びつくというレー ニンのアプローチをかたくなに拒絶した反動であったといえる だろう。第二インターが約束していた国際主義を放棄し、帝国 主義社民が帝国主義戦争に屈服していくながでローザは曖昧な 姿勢をとったことは、ローザそのものの限界にも規定されるの である。資本主義体制のもとでは~ではなく、帝国主義体制だ と私は指摘しておきたいが、それらのローザの理論も、現実の 帝国主義戦争の前にはふきとんでしまったのであり、第二イン ターの宣言とローザの理論こそ、空文句であったといえるだう ろう。

>ロシア革命論草稿でも、フィンランド、ポーランド、ウクラ イナ、バルト諸国など、社会主義的プロレタリアートが、すぐ れた役割を演じてきていた地域で、突然反革命が勝利した原因 と責任をボリシェビキの民族自決政策に求めて、「ボリシェビ キはその民族問題に関するスローガンで、あらゆる辺境諸国の 大衆を混乱させ、ブルジョア階級のデマゴギーの手に委ねてし まった。ボリシェビキは、こうした民族主義の要求によって、 ロシアそのものの解体をまねき、用意し、ロシア革命の心臓を 突き刺すべき匕首を敵の手に渡した。」

 そのへんは別で論じても良いが、結論的に。
 むしろ、ロシア革命そのものが反革命と国際干渉が激化して おりロシア革命そのものが窮地にあったといってよい。レーニ ンは、ロシア革命に引き続いてヨーロッパ革命に向かわなけれ ばロシア革命は頓挫することを指摘していた。しかし、レーニ ンが指摘したドイツ革命というアプローチを拒絶し曖昧な態度 をとったのがローザなのである。わたしが、レーニンをボルシ ェビキ革命を成功させた人、ローザをスパルタクシストの反乱 で敗北した人と指摘しているのは、そういう道理に基づいて主 張しているのである。

>世界革命という観点からみれば、ローザの主張は道理がある 。

 ローザは、世界革命を主張したのではなく、一国主義に抗す ことができなかった人である。ローザがロシア革命に続いてド イツ革命に無化路線を拒絶したこと、被抑圧民族の民族解放闘 争を拒絶したことは、その一環ですらある。そもそも、第二イ ンター崩壊に対して曖昧な姿勢をとったローザは、結局祖国防 衛主義に屈服したのである。
 よって世界革命をアプローチする立場ですらないのがローザ である。

>またこの見解は、ローザだけのものではなく、ヨギヘスやワ ルスキの間でも、共通の見解だった。
>「ブルジョア的、反革命的な政策をすすめるのに役立つスロ ーガンは、革命の戦術的なテコではけっしてない。民族自決は ブルジョア世界では決して実現されず、ただ社会主義世界でし か実現されないのであり、その場合にも、抽象的、形而上的な 権利の表現としてではなく、社会主義的な世界経済を建設する ことを目指す国際的なプロレタリアートの連帯の枠の中でしか 実現されない。」(ワルスキ)

 であれば、第二インターの崩壊を厳しく批判すべきであり、 レーニンに賛同するべきだったのである。トロツキーが賛同し ていったように。

>しかし、社会主義共和国の建設の維持という観点から見た場 合レーニンの方が正しいと言える。

 レーニンのボルシェビキ革命がどのようなアプローチで行わ れたのかあなたは理解できていないのでは?

>「しかし、いくつかの民族の自決権がおかされることからし て、現に社会主義共和国の存在が危険にさらされるという具体 的な情勢が生じているとしたら、社会主義共和国を維持すると いう利益が優先することは言うまでもない。」(併合的単独講 和の即時締結の問題についてのテーゼ レーニン)

 これは、あなたがレーニンの帝国主義論を理解しきれていな いことが原因にあると思うが、レーニンはロシア革命だけでは 革命は頓挫することを指摘している。具体的には、ドイツ革命 に対して期待をかけた。だが、現実、ドイツにボルシェビキ運 動を体現することに反対したのはローザその人なのである。ド イツ社民が帝国主義社民として登場しているなかでいっそうド イツ革命の現実化は薄れた。 このなかで、レーニンはドイツ帝国主義と講和条約を締結する ことになったのである。

>ローザとレーニンの民族問題に関する対立の根底には、両者 の帝国主義理論の見解の相違が潜んでいるとする見解もあるが 、そこまで考える必要があるかはわからない。

 そのままあなたの問題意識がでている発言だといえるだろう 。
 つまり、レーニンとローザの問題意識の相違は、帝国主義の とらえかたそのものに相違があるということなのである。これ が重要なのであるが、その重要性をとらえるのは必要がないと あなたが主張したいのは、あなたが帝国主義を批判したくはな いというあらわれに等しいわけなのだ。なぜ、ローザとレーニ ンが相違しているのかといえば、それは帝国主義への対峙か、 曖昧な姿勢なのかということに規定されているのだから。

>またその内容まで、立ち入るのは、私の能力を超えている。

 というよりもあなたが「帝国主義」の批判をさけているとい うことなのだろう。なぜならば、「帝国主義論」でローザをの 理論をアプローチすれば、ローザが反動的な理論家だったと露 呈してしまうからに他ならない。言い換えれば、ローザの出自 が帝国主義社民・祖国防衛主義だとばれてしまうからである。

>反戦反ファシズム連合さんが、資本蓄積論批判の観点から、 批判するということなので、お任せする。

 これは長くなりそうですから、別で区別してきっちり展開し ます。

>ただ、ローザが資本主義が拡大再生産の矛盾を解決する為に 、植民地なしではすませないという主張に対し、これを即資本 主義の機械的崩壊論として捉える議論は乱暴すぎる。あくまで 、資本主義の限界、矛盾を指摘しているにすぎない。

 資本主義という表記そのものが間違いで、帝国主義と表記す べきものである。イギリス自由主義段階とは異なって、後発帝 国主義国が世界を分割支配しているということが重要だ。その なかで、帝国主義と民族植民地問題は発生しているのだが、ロ ーザはそもそも帝国主義論を否定しているからはなしにならな い。
 帝国主義の矛盾とは、市場再分割が帝国主義戦争として爆発 するということである。実際、第一次・第二次大戦は、帝国主 義の不均等発展から生じた帝国主義戦争だった。
 ローザは帝国主義戦争として爆発する帝国主義の矛盾につい ても問題意識があったかどうかといえば否だろう。
 それがあなたの以下の問題提起につながっているのである。

>第三点は、戦争政策そのものに関してである。
>ローザは、祖国防衛の義務があることを説いている。

 つまり社会排外主義者、帝国主義社民の出自にそれは規定さ れている。結局第二インター崩壊に際して曖昧な姿勢をとった ローザという本質をしめしてもいるだろう。
 レーニンは、『帝国主義論』で帝国主義社民を的確に批判し きれている。あらためていうまでもないが、あなたは帝国主義 論そのものを今一度よむべきだろう。

>ドイツ社会民主党が「危機に際しては祖国を見捨てず」と言 いながら、実際は危機の時に、祖国防衛を支配階級に一任して 、祖国を見捨てたことを弾劾して、プロレタリアートは、1972,1973 年のような革命戦争によって、祖国を防衛すべきだと説いてい る。

 まずそれ自身が、帝国主義社民の本質、帝国主義への屈服な のである。帝国主義段階における戦争は、植民地争奪と世界再 分割を争奪するものとして帝国主義側の利害のためにおこなう ものなのである。その戦争に労働者を引き連れていく役割をロ ーザはとろうとしたということだろうか。見事な社会排外主義 者の意見であろうか。
 第二インターの崩壊は、帝国主義戦争を祖国防衛戦争として とらえ、第二インターの宣言を放棄し、帝国主義に屈服してい くものだった。
 ローザがこの事態に曖昧な姿勢をとったのは必然であるだろ う。

>彼女の戦争政策は、エンゲルスの遺訓に沿うものであり、東 西両面争を行っているドイツの実情に最も適したものと考えら れる。ところがレーニンは、エンゲルス・ローザの革命戦争に よる祖国防衛論は、帝国主義段階では成立しないと主張する。

 そのへんは『資本蓄積論』批判で詳細にやるつもりですから 、期待しといて。私はそこで、エンゲルス批判もゴリゴリと展 開しますから。そもそも、私はスターリン主義の発生として、 エンゲルスにあるとレッテルをおしてますから。
 祖国防衛論が帝国主義段階では成立しないというのではなく 、帝国主義段階に転化したドイツをおさえきれない、ローザと いうことでしょう。エンゲルスは帝国主義段階移行期すれすれ になくなった方ですから、帝国主義段階に対する指摘はできな いでしょう。ただしエンゲルスの理論はそうとうナンセンスで もありますけれどもね。
 これも私は展開したことがありましたが、また別でやる必要 があるようだ。

>レーニンは、外国帝国主義に対する祖国の防衛ではなく、自 国の帝国主義に対する死活の闘争だけが、唯一正しい戦争政策 だと主張する。

 外国帝国主義?そんな言葉はあまり聴いたことがありません ね。
 他帝国主義でいいのでは?あなたのお話をきいていると非常 にあなたが、民族主義者の影響を受けているきがしてならない ですね。
 まず帝国主義戦争とは、どちらの側みても侵略戦争なんだと いうことが重要です。それぞれの帝国主義国の労働者の反戦闘 争と国際連帯によって帝国主義戦争に対峙するというのレーニ ンの指摘である。
 「唯一正しい」こんな表現をレーニンはしてはいない。
 あと「戦争政策」という表現も同じように。
 ただし『社会主義と戦争』という著作では進歩的な戦争と反 動的な戦争という指摘はあるけれども。しかしそれは帝国主義 戦争を賛美したものではない。

>レーニンは植民地、反植民地の被抑圧民族に対しては、民族 自立の戦争を認め、帝国主義国のプロレタリアートに対しては 、一切祖国防衛を認めないのに対して、ローザは被抑圧民族の 独立運動を否定して、帝国主義国のプロレタリアートには革命 戦争をするように説く。

 まずあなたは、ローザは帝国主義国のプロレタリアートには 革命戦争をするようにとくとは具体的には帝国主義戦争に参戦 という意味だろうか?
 それならば、ムッソリー二と同じような理論になってしまう 。
 つまりムッソリーニは、社会主義実現のためには、帝国主義 の戦争に参戦することで始まるのだという意見で、戦争推進を していったファシズムと同様になってしまう。そこまでローザ は主張していたのだろうか?

>この矛盾は、ロシアとドイツの情勢の違いに起因する。

 帝国主義段階における各国帝国主義は市場再分割にのりだし ていったわけで、ロシアとドイツの情勢はそれに規定されてい る。
 違いとは何か?社民党がそうとう力をもっていたドイツとい う意味なのか?だが、そのドイツ社民は帝国主義社民に変質し 、第二インターを崩壊させてしまった。これが全てだろう。

>ロシアでは合法的な労働運動が殆ど存在する余地がないから 、反戦即敗戦主義をとれるのに対し、

 ロシアには、合法マルクス主義も存在したし、帝国主義に屈 服した帝国主義社民の運動もあった。メンシェビキもあったし エス・エルもあった。だがレーニンのボルシェビキは違った。 それが事実。
 そしてボルシェビキ革命が成功した。それが事実。
 あなたは、ボルシェビキ革命に反対する理論である。これが 事実だろう。結局、あなたは帝国主義戦争に労働者を引きずり こんだドイツ社民の擁護をしているのが本心なのだろう。あな たのいいたいことは、ドイツ社民はああする他なかったという 本音なのだろう。だがそれは違うと私は指摘したい。レーニン 型ボルシェビキを拒絶したローザが「革命的」な社民を率いて いた限界によってドイツ革命は挫折したのだということを。

>帝国議会第一党にまで成長したドイツのプロレタリアートに とっては、自国の敗戦を主張することは、余りに冒険でありす ぎるのだ。

 むしろ、第一党であれば、革命に至るのはことたりるのであ る。しかし、帝国主義社民であるために、帝国主義戦争に屈服 していくほかなかったのである。もちろん、ローザは反乱する が、それは反乱でおわり革命にいたることさえなかった。

>以上、見て来たように、二人の違いは、基本的には、互いの 置かれている立場の違いに起因する。

 ローザとレーニン、そしてあなたと私のように。

>だとすれば、どちらが一般性、普遍性を持っているかという ことになるが、組織論に措いては、ローザが、民族論に措いて は、レーニンだと思う。

 はぁ?組織論がローザ?社民のノスケにやられた人がどこが 組織論なんぞあったのでしょう?

 レーニンは帝国主義段階における帝国主義の矛盾を的確にと らえ的確にポルシェビキ運動を展開した。ただそれだけだよ。

>取り分け、レーニンの組織論の一般化が、人類解放の運動を 抑圧するものに変えてしまった大きな原因の一つだと考える。

 急に展開がなされているので驚愕するが、それはスターリン 圧政。
 そもそも、労働者階級を戦争に引きずり込んだのは誰かとい えば、労働者階級の政治勢力として運動していたドイツ社民、 第二インターの中心であったドイツ社民が、帝国主義戦争を祖 国防衛戦争だといって協力していったのである。人類解放では なく類敵解放。
 労働者の自己解放として、帝国主義支配階級の利害のもとに おこなわれる帝国主義戦争に動員させられることほど、対極的 なものはない。

 俗に言う、レーニンの圧政や戦時共産主義等の問題をスター リンの圧政とに結びつけて、レーニン否定をやる左翼も存在す ることを私は知っている。それがあなただということも。

 それらに対して、私は、帝国主義戦争を問題にしているので ある。
 また、被抑圧民族の民族解放闘争を支持する立場から、そし て対峙いる帝国主義同士の労働者階級の国際連帯を掲げる立場 から、あなたと論争してきたのである。あなたが、私に論争を 挑むのは、私の立場と対峙しているからなのだ。

 さらにそのうえで面白い指摘をしておこう。
 かならずこうした論争になると、帝国主義戦争で死んだ人間 の数よりも、革命で死んだ人の数が多いなどという展開をとる 人物がいる。
 この発展問題として、南京大虐殺よりも文化大革命の死者の ほうが多いという人物さえ出てくるのであるが、これらについ もきっぱりと反論しておこう。帝国主義戦争よりも革命を問題 にするのは保守反動だからである。
 そして南京大虐殺否定をしているものも保守反動である。こ れは偶然ではない。そして、文革そのものを中国革命の批判と しておこなってきたのも保守反動である。だが、この最後の問 題は、スータリン主義圧政によって生じた反動であることを同 時に述べておきたい。これらは反帝・反スターリン主義の理論 でなければ、解決できないことを私は主張しておきたい。なお 、内ゲバキャンペーンについては別で私は回答をだしている。