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「科学的社会主義」討論欄

反戦反ファシズム連合さんへ(ドイツにおける議会選挙ボ イコットについて)

2006/03/22 風来坊 50代 自営業

 レ-ニンは後には、ドイツにおける議会選挙ボイコット について以下のように言っています。

 7 ブルジョア議会に参加すべきか ?
 ドイツの「左翼」共産主義者たちは、非常な軽蔑を示しなが らーそしてまた非常に軽率にーこの問いに対して否定的に答え る。彼らの論拠はどうか ?前に挙げた引用の中には、次のよう に書いてある。
 「...歴史的にも政治的にも寿命の尽きた、議会主義とい う闘争形態にかえることは、全て断固として斥けねばならぬ。 ....」
 これは、こっけいなほど独りよがりな言い分で、全く間違っ ている。議会主義に「かえる」!おそらくドイツには、もうソ ヴェト共和国があるとでも言うのだろうか ?いったい、これは 空っぽの文句ではないのか ?
 議会主義は「歴史的に寿命が尽きている」のだそうだ。これ は宣伝の意味でなら正しい。この宣伝から議会主義を実際に克 服するまでには、まだまだほど遠いことは、誰でも知っている 。略
 第一に、誰でも知っている事だが、ドイツの「左翼」は、1919 年1月には、もうローザ・ルクセンブルグやカール・リープク ネヒトのような優れた政治指導者たちの意見に反対して、議会 主義を「政治的に寿命の尽きたもの」と考えていた。これは明 らかに「左翼」が間違っていた。この事一つだけでも、既に、 議会主義が「政治的寿命が尽きた」かのように言う命題を、た ちどころに根本から覆しているのである。
 「左翼」には、その当時の彼らの文句のない間違いが、今で は、なぜ間違いで無くなったのかを、証明する義務がある。処 が、彼らはその証明らしいものを、一つも行なっていないし、 また行なう事ができないのである。略
 第二に、我々が前に詳しく引用した、フランクフルトの「左 翼」グループのパンフレットの中には、次のように書いてある 。
 「....今でも中央党の政策に従っている数百万の労働者 は反革命的である。農村プロレタリアは反革命軍の軍団をつく っている。」
 これはあまりにも野放図な誇張した言い分である事は、誰の 目にも分かる。だがここに述べられている根本的な事実は、争 う余地のないものであって、それを「左翼」が認めた事は、と くにはっきりと、彼らの間違いを証明している。
 プロレタリアの「数百万」または「数軍団」が、まだ、一般 に議会主義の味方になっているばかりでなく、直接に「反革命 的」である場合、「議会主義は政治的に寿命が尽きた」などと 、どうして言えるのだろうか ?明らかに、議会主義は、ドイツ ではまだ政治的に寿命が尽きていない。明らかに、ドイツの「 左翼」は自分の願望、自分の観念的=政治的態度を客観的現実 と取り違えたのである。これは革命家にとって最も危険な間違 いだ。略
 なるほど、ドイツの共産主義者たちにとっては、議会主義は 「政治的に寿命が尽きている」。だが問題は正に次の点にある 。つまり、われわれにとって寿命が尽きたものでも、それは階 級にとって寿命が尽きたもの、大衆にとって寿命が尽きたもの と、取り違えるべきでないということだ。正にこの点で我々は 、また、「左翼」が階級の党として、大衆の党として判断する こともできず、行動することもできないのを知る。
 諸君は大衆の水準まで、階級の遅れた層の水準まで下がって はならない。この点は間違いない。諸君は、彼らに苦い果実を 話す義務がある。諸君は、彼らのブルジョア民主主義的な、議 会主義的な偏見を、偏見だと言う義務がある。だが、同時に諸 君は、まさに全階級、まさに全勤労大衆の意識と覚悟の現実の 状態を、冷静に注視する義務がある。
 「数百万」または「数軍団」はおろか、たとえ全くの少数の 工業労働者にすぎないにしても、それがカトリックの坊主ども に従っており、-少数の農村労働者が、地主と富農に従ってい るならば、ドイツでは、議会主義はまだ政治的には、寿命が尽 きていないし、また議会選挙や議会壇上の闘争に参加する事は 、まさに自分の階級の遅れた層を教育するために、未発達の、 虐げられた、無知な農民大衆を目覚めさせ啓蒙するために、革 命的なプロレタリアートの党にとって、絶対に必要である、と 結論して間違いないのである。
 諸君がブルジョア議会やその他の型の反動的機関を、どんな ものにせよ解散させる力を持たないうちは、諸君はその中で働 く義務がる。というのはほかでもない、そこには、まだ坊主の ために、また人里離れた片田舎にいるために、たぶらかされて いる労働者達がいるからである。さもなければ、諸君はただの おしゃべり屋になるおそれがある。
 第三に、「左翼」共産主義者たちは、われわれボリシェヴィ キのことを口をきわめてほめる。ときどき、われわれはこう言 いたくなる、-われわれをほめるのを、もう少し控えて、ボリ シェヴィキの戦術をもう少し深く研究し、もう少しよく知りた まえ。!と。
 われわれは、1917年9月~11月のロシアのブルジョア議会す なわち憲法制定議会の選挙に参加した。われわれの戦術は正し かったか、それとも正しくなかったのか ?もし正しくなかった のなら、そのことをはっきり言って、それを証明しなければな らぬ、-それは、国際共産主義にとって、正しい戦術を作り上 げるために必要である。もし正しいなら、そこから何かの結論 を引き出さねばならぬ。もちろん、ロシアの条件と西ヨーロッ パの条件とを同一視する事はできないのは、言うまでもない。
 だが、特に、次の問題、つまり「議会主義は政治的に寿命が 尽きた」という概念が何を意味しているかについては、どうし てもわれわれの経験を正確に考えねばならぬ。何故なら、具体 的な経験を考えない場合、このような概念は、あまりにも簡単 に空っぽな文句に変わるものだから。略
 ソヴェト共和国の勝利の数週間前に、また勝利の後でさえも 、ブルジョア民主主義の議会に参加する事は、革命的プロレタ リアートにとって害にならないばかりか、何故このような議会 は解散されなければならないかを、彼らが遅れた大衆に証明す る事を容易にし、その解散の成功を容易にし、ブルジョア議会 主義が「政治的に寿命が尽きる」のを容易にしている事が証明 されているのである。
 この経験を考えもしないで、同時に共産主義インターナショ ナルに属する権利を主張する事は-インターナショナルはその 戦術を国際的に作り上げなければならないのだから-最も大き な過ちを犯し、言葉の上では国際主義を認めながら、実際上は 全くそれから離れる事を意味するものである。(共産主義にお ける「左翼」小児病 レーニン)

 レーニンのこの「共産主義における「左翼」小児病」と 「極左日和見主義の中傷と挑発」は、私の最も共感している本 の一つです。