このローザの民族自決権に対する理論は、基本的には賛成 できないものなので、あまり触れたくなかったのですが、あな たが、ローザが民族主義的色彩が強いと言うので、それを否定 する為にあえて投稿します。
軍事的敗北からロシアの崩壊と解体が起こった ことに対して、ボリシェビキは、一斑の責任を負っている。情 勢の客観的な困難を、ボリシェビキはいわゆる民族自決権とい う彼らの政策の前面に押し立てたスローガンによって、一層甚 だしいものにした。この言葉の陰に現実に隠れていたのは、ロ シアの国家的解体であった。
ロシア帝国内の様々な民族は、自己の運命を「ロシアからの 国家的分離を含めて」決定する権利を持つという公式が、教条 的な頑固さで繰り返し宣言されたが、これはレーニンとその同 志たちが、ミリューコフやケレンスキーの戦争に反対していた 時期に特殊なトキの声であって、それが十月革命後の彼らの国 内政策の中軸をなし、ブレスト・リトフスクでのボリシェビキ の主張の基礎をなし、彼らがドイツ帝国主義の覇権に反対した 際の唯一の武器となった。
まず、レーニンとその同志たちがこのスローガンに固執する 際の頑固一徹さに驚かされるが、それというのも、このスロー ガンは、彼らがその他の政策で表明してきた明白な集権主義と も、またその他の民主的諸原則に対してとってきた態度とも甚 だしく矛盾しているからである。略
ここに現れた矛盾は、後で詳述するように、いかなる国にお いても、政治生活の民主的形態こそは、事実上最高の価値のも のであり、しかもそれが社会主義の政治の不可欠な基礎をなす ものである一方、名高い「民族自決権」は、プチ・ブルジョア ジーの空虚な空文句であり、たわごと以外の何ものでもないだ けに、ますます理解し難いものだ。
実際、この権利は何を意味するというのだろうか? 社会主 義の政治が、あらゆる種類の抑圧に対してと同様に、一民族の 他民族に対する抑圧に対して闘うものであることは、社会主義 政治のイロハである。
それにもかかわらず、レーニン、トロツキーとその同志たち のように、軍備撤廃とか国際連盟とかというあらゆる種類のユ ートピア的な空文句に対しては、ただ皮肉に肩をすくめるだけ であった、普段は極めて冷静な批判的な政治家たちが、今度は 、それと全く同一な種類の空語を、まさしく自分の方から振り かざすということは、一種の便宜主義政策に発したもののよう に、われわれには思われる。略
もちろん、これらのどの場合にも、実際にあの反動的な政策 を実行したのは、「諸民族」ではなく、ブルジョア階級や小ブ ルジョア階級に他ならず、彼らが、自国のプロレタリア大衆と 鋭く対立しながら、「民族自決権」を自分たちの反革命的な階 級政策の道具に転化させたのである。
しかし-これこそがまさに問題の核心だが-こうした民族主 義的な空文句が階級社会の荒々しい現実の中で、特に極端に先 鋭化した対立の時期に、ブルジョア的階級支配の手段に簡単に 変わってしまうところに、この空文句のユートピア的.小ブル ジョア的性格がある。
これは、あなたがローザが民族主義的傾向が強いと言っ たことに対する反論であって、それ以外のこの内容に対する批 判をあなたと論争するつもりはありません。私もローザも民族 論に対しては、同意できませんから。