レーニンの農業政策に対する批判は、ネップや戦時共産主義政策以前の問題の 批判です。レーニンの土地に関する布告に対する批判ですから。
「1917年 8月にレーニンが批判していた貧農大衆の要求が、その年の10月26日(11月7 日)にレーニンの土地に関する布告に、取り入れられたのだ」(アドルフ・ワルスキー )
プロレタリア的社会主義政策を強化する政治的処置としては、これは優れた戦術で あった。しかし残念ながら、この戦術には、二つの側面があり、農民による土地の直 接接収と社会主義的管理とは、全く相容れないという反面があった・ 農業諸関係の 社会主義的変革は、農業の諸関係に関しては、二つの事を前提にしている。-まず農 業生産の手段及び方法の技術的に最も進歩した集中化である大土地所有制の国有化こ そが、ただ一つ、農村での社会主義的経済様式の出発点となり得るものだということ。
もちろん、小農からその分有地を取り上げる必要はなく、小農が社会的経営の利点 を知って、自発的に、最初はまず協同組合的結合に、そして最後には社会的全体経営 への編入に賛成するように、安心して小農に任せておくことができるにしても、農村 での社会主義的経済改革は全て、当然の事として、大土地所有及び中土地所有から始 めなければならない。
この場合、改革は所有権を何よりも全国民に、もしくは、社会主義政権そのものの 場合は、国家に移すものでなければならない。何故なら、この事によってしか、農業 生産を、一貫した広大な社会主義的観点から、組織する可能性は保証されないからで ある。略
しかし、権力を握った社会主義政府は、いかなる場合にも、次の一つの事だけはし なければならない。-農業関係の今後の社会主義改革への、基本的な前提をなす方向 をとる処置に着手すること、少なくともそうした処置の妨害になるようなものは、全 て避けなければならない。
ところが、「農民による土地の即時没収と分配」というボリシェビキの掲げたスロー ガンは、まさにそれと正反対の方向に作用せざるを得なかった。それは、社会主義的 な処置でないばかりでなく、そうした処置の道を遮断し、農業関係の社会主義的な意 味での変革の前に、克服し難い困難を積み上げるものだ。略
かつて、農村での社会主義的変革に抵抗したのは、せいぜい貴族と資本主義的大土 地所有者の小さなカースト並びに富裕な農村ブルジョアジーのごく少数であって、革 命的な人民大衆によるその収容は、児戯に等しかった。
「没収」後の今、農業のあらゆる社会主義的共同化の敵として、立ち現れているの は、土地を所有する農民の増大と、強力な力を持った大衆であって、彼らは新たに手 にした財産を、あらゆる社会主義的な企図に反対して、がむしゃらに守ろうとするこ とであろう。今や将来の農業の社会化の問題、つまりは、ロシアにおける生産一般の 社会化の問題が、都市のプロレタリアートと農民大衆との間の対立抗争の問題と成り 変ったのである。略 レーニンの農業改革は、農村での社会主義に敵対する新しい強 力な人民層を作り出し、その抵抗は、貴族の大土地所有者の抵抗よりも、はるかに危 険で強靭なものとなろう。(ロシア革命論 ローザ・ルクセンブルグ)