あなたはローザが蜂起に向かったのは、自らの政治生命が、ドイツ社民から放
逐されようとしたからだ、と述べています。
しかし、ローザは政治生命どころか、自分の生命、身体が危険にさらされても、決
して保身には動きませんでした。
例をあげてみましょう。
例1 1906年3月上旬から6月下旬まで初めは市会議事堂内留置場、後に要塞監獄に留置
された時、親戚のものが彼女の身を案じて取り計らってくれるよう元老院議員に頼み
込んだという話を聞いて、ローザは自分の意思に反するおせっかいな行為に対して、
その差し止めをカウツキーに依頼している。「・・・敬愛するカルロス、どんな場合
にも、ビューロフなどのところへは、行かないよう、切にお願い致します。どんな事
があっても、彼の世話になりたくないのです。そうしておかないと、このあと、彼や
その管掌下の行政をアジるさいに、自由にものをいうことができなくなるからです。」
ローザの手紙
例2 「1917年7月と、その翌年にも再び、ローザにロシアの市民権を要求させて、国
外退去を求めるべきかどうかという問題が起こった。もう一つの道は、著名な革命家
の特別交換だった。この可能性は一時カール。リープクネヒトのために考慮された。
ローザは、しばらくの間決断しかねていたが、結局断った。彼女は、やがてやって来
ずにはおかない、ドイツ革命のために備える事を望んだ。たとえそれが彼女の獄中生
活を長引かせる事を意味しようとも、それだけを考えていた。」(ピーター・ネトル
著「ローザ・ルクセンブルグ」)
ローザに対して、レーニンのように亡命してでも、自分の身を守るべきだ、それが
革命の指導者としての責任だ、という批判は聞いた事があるが、あなたのような批判
は聞いたことがない。
もっとも、常に大衆と共にあろうとしたローザにとって、このような批判は意味が
ないが。そしてそれがローザの持つ魅力だと思う。
蜂起に付いては改めて投稿します。