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「科学的社会主義」討論欄

反戦反ファッシズム連合さんへ(議会への参加について)

2006/04/01 風来坊 50代 自営業

 ドイツで憲法制定議会及び反動的な労働組合への参加に 反対したラデック、パウル・フレーリヒ、ユリアン・ボルハル トらは、ナロードニキやブランキストではありません。
 1918年ヨッフェ大使以下のソヴェト使節団が、11月初めに国 外退去を命ぜられた後、ソヴェト政権が、第二革命の応援のた めに派遣したのが、ラデックです。
 また、ドイツ共産党設立大会のボリシェビキの公式使節団長 もラデックです。
 だいたい、1916年9月の社会民主党全国協議会での正式決議 に反対するハーゼ・レーデブルの提案が276票対169票で否決さ れ、1917年1月7日のその反対派の全国協議会の72選挙区157人 の代議員の内、スパルタクス団34名、ラデック派6名という力 関係の中で、ラデック派のように社会平和主義者との同盟を拒 否し、社会愛国主義と同時に社会平和主義者とも仮借なく戦お うとするのは、一揆主義としか言いようがない。
 しかも、このような力関係の中で、ラデックとローザの長年 の確執を考えるとソヴェト政権がラデックを派遣したのは、極 めて不適切な人選と言わざる得ない。
 私は、レーニンの「共産主義における「左翼」小児病」は、 ラデックらを批判したものだと思います。