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「科学的社会主義」討論欄

反戦反ファシズム連合さんへ(ドイツにおける武装蜂起に ついて)

2006/04/06 風来坊 50代 自営業

 あなたはドイツ革命の失敗でローザを非難するが、そも そも、この蜂起は勝利する可能性が高かったのだろうか。

 ベルリンにおける最近の一週間、いわゆる「スパルタクス・ ウィーク」とは、何だったか ? 何をわれわれに教えているか ? まだ闘争の渦中にあるとはいえ、反革命の勝どきがまだ騒がし く響いているとはいえ、革命的プロレタリアは、これまでの 決算をはっきり付けておかなければならない。
 継起した諸事件とそれらの結果とを、大きな歴史の尺度にあ てて測ってみなければならない。革命は無駄にしてよい時間を 持っていない。革命は、その偉大な目標に向かって、進みに進 むーまだ土を被されていない墓を乗り越え「勝利」とか「敗北 」とかを乗り越えて。革命の進路を、革命の道程を意識的に追 求する事は、インターナショナルな社会主義の為に戦う戦闘者 の、第一の任務である。
 今回の対決において、革命的プロレタリアートの決定的な勝 利は、期待され得たろうか ? エーベルト=シャイデマンを倒 して、社会主義独裁を打ち立てる事は、期待され得ただろうか ?
 否。問題を左右するモメントの全てを十分に考慮に入れるなら 、否と言う他はない。
 この時点に措ける革命運動の弱点ー兵士大衆の政治的に未成 熟で、未だに士官どもに引き回され、人民に敵対してみすみす 反革命の道具となっていることーを考えて見れば、それだけで 既に、今回の衝突では、革命の永続的な勝利が不可能だったこ とが、明らかである。ところで、軍の未成熟というこの事態は 、ドイツ革命の一般的な未成熟を示す、一つの症候にすぎない 。
 兵士大衆の大多数は低地農業地帯の出身だが、その地帯の殆 んどは、依然として革命の未開拓地に止まっている。今に至る までベルリンは、全国から隔絶していると言ってよい。
 確かに地方にも幾つか革命的なセンターが-ラインラントや 海岸地域やブラウンシュヴァイクやザクセンやヴュッテンブル ク等が-在って、全身的にベルリン・プロレタリアートに味方 しているけれども、さしあたっては、まだ前進の足並みはぴた りと揃っていないし、直接的な連帯行動も十分には見られない 。それが十分に見られれば、ベルリン労働者の進撃行動も、ま た戦闘態勢も、遥かに有効性を持ち得る筈だ。
 更にー革命の政治的不備と深い所で関連していることだがー 経済闘争も、つまり、革命的な階級闘争に、絶えまなく焔を供 給する源である経済闘争も、未熟であり、今ようやく第一段階 を経過しているとこれである。
 どこから見ても、この時点では、まだ決定的・永続的勝利は 期待され得ないものだったことが、明らかに帰結される。
 ではこの一週間の闘争は「誤謬」だったのか ? そうだ、も し仮に計画的な「突撃」を行ない、いわゆる「暴動」を起こし たのが、われわれだったとすれば !
 しかし、あの闘争の一週間は、何から始まったろうか ? こ れまでの全ての事件のときと同様に、12月6日や12月24日と同 様に、政府側の乱暴な挑発から始まったのだ !
 以前にはショセー・シュトラーセで素手のデモ隊に対する虐 殺行動から始まったように、また水兵たちに対する殺戮行為か ら始まったように、今度はベルリン警視庁に対する陰謀から始 まった。それがそれ以後のあらゆる事件の発端だった。
 まったく、革命は思いのままには行なえぬ。見通しの良く効 く戦場で「戦略家」たちが手際良くまとめ上げたプランの通り に、行なえるようなものではないのだ。革命の敵もまたイニシ アチブを持っている。それどころか、機先を制して来るのは、 大抵は敵側であって、革命の側ではない。
 エーベルト=シャイデマンの側からの、厚かましい挑発を、 眼の前に突き付けられて、革命的労働者たちは、武器を取る事 を強いられた。そうなのだ、直ちに全力を上げて敵の攻撃を撃 退することは、革命の名誉の問題だった。進出の機を窺がって いる反革命の鼻っ柱を挫き、プロレタリアートの革命的な戦列 を固め、インターナショナルでのドイツ革命の倫理的な信用を 守るためには、他に道はなかった。
 即刻の反撃は、ベルリンの大衆の間から自発的に非常に強力 に捲き起こった。このことを見ても、倫理的な勝利は始めから 、明らかに「街頭派」の手にあった。
 ところで、革命には、内的な運動法則が在って、一旦足を前 に踏み出したら、何もせずに受け身の態勢で立ち止まってはい られない。最良の防御は強力な打撃、というのがあらゆる闘争 の基本法則だが、この原則はもちろん革命の一歩一歩を規制し ている。
 ベルリンのプロレタリアートが、アイヒホルンの再任だけで は満足せず、自発的に、警視庁以外の幾つかの反革命の要衝- ブルジョア新聞社や半官的通信社や「フォアベルツ」-の占領 まで進んだのは自明の事であり、プロレタリアートの健全な本 能と新鮮な精神の証である。大衆がこれらの処置に出たのは、 反革命が一敗地にまみれて引っ込む訳はない、必ず全面的な対 決を目論んでくる、と本能的に認識したからなのだ。
 ここに見られるのは、歴史的な革命の法則の一つである。略
 革命の基本課題が一度はっきりと提示されれば、-この段階 での基本課題は、社会主義の勝利にとっての第一の障壁をなす エーベルト=シャイデマン政権の打倒だ-それは現実的な、現 実そのものとなって、繰り返し現れてくる。
 闘争の個々のエピソードの全てが、まるで自然法則の確実さ で、基本的な課題を完全に、狂いなく展開して行く。たとえ革 命がその課題を解決するにはまだ準備不足であろうとも、状況 がまだ十分に熟していなかろうとも。
 「エーベルト=シャイデマンを倒せ ! 」-このスローガン が革命が激動期を迎える度毎に、必然的に出現する。このスロ ーガンは、局部的な抗争の全てに当てはまる唯一の十分な定式 なので、だからこそ自ずから、人が欲しようと欲しまいと、そ れ自身の内部の客観的な論理によって、闘争のあらゆるエピソ ードを推し進め尖鋭化する。
 ここに現れる矛盾ーつまり課題の尖鋭化と、課題解決の為の 諸前提の不備との間の矛盾ーから革命の発展の初期の段階に措 いては、個々の革命闘争が、形式的には敗北をもって終わる、 という事が起こる。しかし革命は、一連の「敗北」によっての み、その究極の勝利が準備され得るものなのだ。(ベルリンの 秩序は維持されている ローザ・ルクセンブルグ)

 あなたは、ドイツ革命の敗北に対しローザを批判しています が、それではハンブルグ蜂起の失敗をどう評価しますか。
 トロツキーの主導の下、1923年ラデックを召還し、ブラント ラーに、ハンブルグで10月23日蜂起をさせた。これは他に波及 することなく、10月25日たった3日で敗北した。そして、これ が最後の蜂起となった。ブラントラーは11月の蜂起をモスクワ で宣言しており、これは敵の挑発に追い込まれての蜂起ではな く、計画的に蜂起して失敗した訳ですから、トロツキーの責任 はローザより重いと思いますが。そしてこれこそが、一揆主義 そのものだと思います。