ソ連邦の歴史的意義
ソ連が世界史上最初の本格的な社会主義の実験であったことを承認することがなに
よりも必要である。その承認がない場合、この実験が失敗だったとしても、その原因
を、唯物論的に、分析することは不可能である。
ソ連が本当の、自身の上に立った(つまり完成した)社会主義社会でなかったから
といって、それが別のものであったと分析したり、「全体主義」といった非概念的な
カテゴリーにもとづいた単純な権力史観のようなもので、分析したつもりになってい
るのは、正しくない。現在の社会主義、共産主義についての多くの理解は、スターリ
ン批判以降に出た、さまざまな具体的な分析(反体制、体制的)に比べても、後退し
た単純化されたものである。多くの実証的なデータが手にはいるようになったにもか
かわらず。
現存する社会主義国家
社会主義の新たな希望であったペレストロイカの過程とその失敗についての分析は 重要である。あたかも、ソ連が自然死したかのような理解が普及している現状を考え ると特に。ソ連邦解体以降の各共和国や、残された社会主義国の動きの理解にも不可 欠である。とりわけ、中国やベトナムなどの資本主義の導入の動きは、ペレストロイ カの継続展開と理解した時にはじめてきちんと分析できる。
自己批判
レーニンがマルクス以降の社会主義の中で、権力移行の問題をはじめて本格的に理
論的にとりあつかった人物であるということは覆すことができない。暴力革命路線の
否定、議会を通じての平和的移行の主張(西欧の社会民主主義から日本の構造改革派
(小泉改革のことではない、現日本共産党の不破、上田兄弟の主張のことである)に
いたるさまざまの)は、結局権力移行にまつわる問題について正面からたち向かわな
かったため、〈暴力革命を原理的に否定することへの反対〉を克服することなどでき
なかった。
だが、日本の文化の中にある平和主義は、「暴力革命を原理的に否定する」革命運
動を潜在的に求めていた。日本の共産主義者が、献身的な努力にもかかわらず、反戦・
平和運動において、真に中心、先頭に立つことができなかったのは、日本の社会主義
者たちに課されたこの問題、矛盾を解明することができなかったためである。