投稿する トップページ ヘルプ

「科学的社会主義」討論欄

反戦反ファッシズム連合さんへ(民族問題について)

2006/04/16 風来坊 50代 自営業

 これも、あなたの「分裂をおそれ、革命的スローガンを完全にいいきることをおそれている」に対する反論ですので、その他のこの引用に対する論争は一切するつもりはありません。

 そもそも、ローザを含むスパルタクス・ブンドの大半は、「民族自決のスローガンは、ブルジョア的スローガンであり、資本主義体制の下では、空文句であって、真の民族自決は、社会主義の下でしか実現しないという見解だった。」
 「ブルジョア的、反革命的な政策を進めるのに役立つスローガンは、革命の戦術的なテコでは、けっしてない。」 ワルスキ
 軍事的敗北からロシアの崩壊解体が起こったことに対して、ボリシェビキは一斑の責任を負っている。情勢の客観的困難を、ボリシェビキはいわゆる民族自決権という、かれらの政策の前面に押し立てたスローガンによって、一層甚だしいものとした。この言葉の陰に現実に隠れていたのは、ロシアの国家的解体であった。略
 ここに現れた矛盾は、後で詳述するように、如何なる国においても、政治生活の民主的形態こそは事実上最高の価値を持つものであり、しかもそれが社会主義の政治の不可欠の基礎を為すものである一方、名高い「民族自決権」はプチ・ブルジョアジーの空虚な空文句であり、たわごと以外の何ものでもないだけに、ますます理解し難いものだ。略
 レーニンと同志たちは、明らかに、「国家的分離をも含む」民族の自由の擁護者として、フィンランド、ウクライナ、ポーランド、リトアニア、バルト諸国、コーカサスなどを、ロシア革命の多くの忠実な同盟者とすることができるものと期待していたのに、われわれが体験したのは、それとは全く逆の光景であった。
 これらの「諸民族」は次々とこの贈られたばかりの自由を利用して、ロシア革命の不倶載天の敵として、ドイツ帝国主義と結託し、その庇護の下に反革命の旗をロシアに自ら持ち込むこととなったのである。
 ブレストでの交渉と、ボリシェビキの内外の全政治情勢に決定的な転換をもたらすことになったブレストでのウクライナ問題の幕間劇は、その好例である。フィンランド、ポーランド、リトニア、バルト諸国、コーカサスの諸民族の態度は、われわれがこれまでに取り上げて来たものが、偶然の例外ではなく、典型的な現象であることを、この上なく明瞭に示している。略
 そもそも民族的要求や分離への傾向という問題が革命闘争の真只中に投げ込まれ、しかもブレストの講和会議を通して、これが前面に押し出され、社会主義的・革命的な政策の合言葉とまでされるに至ったことが、社会主義の戦列に、この上なく大きな混乱をもたらし、特に辺境諸国でのプロレタリアートの立場を動揺させることとなったのである。
 フィンランドでは、社会主義的なプロレタリアートが、ロシアの革命的隊列の一部として闘っていた間は、かれらは既に支配的な立場に立っていた。かれらは国会でも軍隊の中でも多数を占め、ブルジョアジーを完全に抑えて無力化し、国内の情勢を主導していた。
 ロシア領ウクライナは、「ウクライナ・ルーブル」だの「ウクライナ宣言」だのを伴った「ウクライナ民族主義」の空騒ぎや「独立ウクライナ」というレーニンの道楽が考え出される以前の、今世紀の初頭には、ロシアの革命運動の中心地であった。
 ウクライナから、ロストフから、オデッサから、ドン地方から、既に1902年から1904年にかけて革命の最初の熔岩流が流れ出し、南ロシア全体に点火して火の海とし、1905年革命の勃発を準備したのであった。そしてそれと同じことが、今度の革命でも繰り返されて、南ロシアのプロレタリアートがプロレタリアの密集部隊の精鋭となった。
 ポーランドとバルト諸国は、1905年以来、革命の最も強力で信頼できる中心地であって、社会主義的プロレタリアートがすぐれた役割を演じてきていた。
 これらの全ての国々で、突然、反革命が勝利することが、どうして起こったのであろうか ?
 民族運動がまさにプロレタリアートをロシアから切り離すことによって無力化させ、辺境諸国の民族ブルジョアジーの手に渡してしまったからである。ボリシェビキはこれまでかれらが取ってきた純粋な国際主義的な階級政策の精神で、ロシア全土にわたって革命勢力の緊密な結束を目指し、革命地域としてのロシア全土の統一性を、あらゆる方法で必死に守り、ロシア革命の領域内のあらゆる民族のプロレタリアートの団結と一体化を、政治の至上命令として、あらゆる民族主義的な分離要求に対して対置する代わりに「国家的分離を含む自決権」というこけおどしな民族主義的空文句によって、それとは全く逆に、あらゆる辺境諸国のブルジョアジーにかれらの反革命的な志向のための願ってもない恰好の口実を、まさに旗印を与えてやったのである。略
 空文句は階級闘争の歴史の中では、時に非常な現実的な意味を持つ。今度の世界大戦で社会主義者が、反革命の政策にイデオロギー的な口実を与えるという役割を負ったのは、社会主義にとって致命的な不運なことだ。
 戦争が勃発するとドイツ社会民主党は、マルクス主義の物置小屋からイデオロギー的な看板を持ち出してきて、ドイツ帝国主義の侵略戦争を、マルクス・エンゲレスら先輩大家たちが1848年に待ち望んだロシアのツアーリズムに対する解放戦争だと説明して、飾ってやった。
 一方こうした政府派社会主義者に対立するボリシェビキには、「自決」という空語で、反革命の水車に水を送り、その事によってロシア革命そのものを絞殺するばかりでなく、世界戦争全体を計画通り反革命的に解決するためのイデオロギーを与えるという役割が負わされた。われわれはこの意味でボリシェビキの政策を徹底的に検討すべき十分な理由を持っている。略
 現在、国際社会主義にとって最大に危険なものである民族自決の空語と民族運動全体が、まさにロシア革命とブレストの交渉を通して極端に強化されたことは明らかである。われわれは今やこの問題を更に深く検討してみなければならない。
 このロシア革命の中での空文句の悲劇的な運命は、国際的なプロレタリアートに対して、一つの戒めの例として、役立つに違いないからである。
 さて、これらの一切合切の結果、ドイツの独裁が行なわれた。ブレストの講和から「追加条約まで ! モスクワでの二百人の生け贄。これらの状況からテロルと民主主義の圧殺が生じたのである。

 ローザが民族主義的だという非難は止めた方が、良いのではないだろうか。民族主義的だと非難されれば、反論せざるを得ない。彼女が民族主義的ではないという反証なら幾らでもあげることはできる。何故ならば、彼女は民族主義者ではないからである。しかし、その反証の内容は、「民族主義的ではないという反証になっても」、もちろん、その事実の一面を反映しているものではあるが、必ずしも、一般性を持つとは言えないものも、含まれているからである。