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「科学的社会主義」討論欄

反戦反ファシズム連合さんへ(ユニシスの小冊子について )

2006/05/07 風来坊 50代 自営業

 まず、ユニシスの小冊子の主要な欠陥と、それが合法的 な雑誌「インテルナツイオナーレにくらべてはっきり一歩後退 している点とは、社会排外主義と日和見主義との結びつきにつ いて口をつぐんでいることである。
 この点に関しては、「インターナショナルの再建」の方が、 はっきりしている。ローザはカウツキーが、8月4日の崩壊に重 大な責任があると断定して、完璧なまでに批判している。確か に「社会民主党の危機」では、この点が若干曖昧になっている 。
 レーニンの主張に従えば、即時党を割って、社会平和主義者 とも決別しなければならないことになる。
 しかし、1916年9月の社会民主党全国協議会で、正式決議を 行なうことに反対する提案が、276票対169票の差で否決された 。
 翌1917年1月反対派の全国協議会72選挙区157名の代議員中、 スパルタクス団34名、ラデック系ボリシェビキ派6名。また労 働組合の急進部分革命的オプロイテは、社会平和主義者の影響 下にあった。このような力関係の中で、党を割ることは、一揆 主義に陥らざるを得ない。
 また、この力関係の中で、社会愛国主義者と闘い、革命的オ プロイテとの共闘を模索するためには、社会平和主義者に対し て曖昧になることは、避けられなかったのではないかと思う。

「反対派は、社会民主主義のマントでくるまれた帝国主義政策 から大衆を防衛し、党をプロレタリアートの反戦階級闘争のた めの、増援活動の分野として活用するために、あらゆる段階で 多数派の政策を妨げ、闘う目的で党内にとどまる。」(スパル タクス団評議会決議)

 次に、レーニンは、ドイツ左派の最大の欠陥は、強力な非合 法組織を持たない点にあるとしている。これは、西ヨーロッパ の実情を把握していないレーニンの誤謬と言うしかない。ドイ ツを始め、西ヨーロッパの共産党が、幾多の挫折を繰り返した 後、1922年、第4回コミンテルン大会で、やっと、レーニンは 、自分の非を認めた。
 それは、余りにも遅すぎたと言うしかない。
 最後に、民族自決権の問題だが、母国ポーランドにおいて民 族独立を主張していたのは国粋主義的なポーランド社会党であ り、ポーランドには、ポーランドの回復に関心を持ち、同時に それを成し遂げる能力を持つ社会階級はないという特殊な状況 に置かれていた為に、民族自決即国粋主義という一般化がなさ れたのではないだろうか。
 またヨーロッパ以外の被抑圧民族の問題にほとんど関心がな かったように思われる。ブレスト講和で言及している点は、問 題の一面を現しているのだろうから、再度調べてみたいが、民 族自決権の問題は、ローザが基本的に誤っていると思われる。