前回、おまけの反論として、連合氏の主張が小学1年生にもすぐに見破られてしまうレベルのペテンであることや、仰々しくマルクス主義やレーニン主義のあれこれの主張を持ち出して、自らの革命性の証左にしようと試みていることが、反革命・革マル派でも簡単に主張できる程度の内容であることを指摘した。
しかし、それらは、ついでの”おまけ”であるし、革マル派なら、、、というのも仮定のことなので、これ以上のくだらない議論の深入りはやめて、本論に戻ることとする。
さて、連合氏の言う氏の主張の<骨格>なるものについて、
・・・従来の財政危機突破として、財政再建化と社会保障改悪が行われた。・・・スカンジナビアン氏は社会保障改悪と財政赤字の関係をおさえず、・・・スカンジナビアン氏に問う、スエーデンの財政再建化と社会保障改悪はセットで組まれたが、これについてどう総括するのだ?・・・
という主張がなされた。
これについては社会保障というものについての考え方・立場がベースとなるのだが、(それについては後日また詳しく触れることとする。)
つまり、それはどういう立場で総括するのかということにもなるのだ。
ここでは、先ず第一に、社会保障改悪は、社会保障給付全体の縮小であると仮定して、それが財政再建に直結するものではないということを簡単に日本の例で示しておく。
この日本でも、97年に、橋本内閣の下で、臨調行革路線の行政改革が行われたが、それは9兆円レベルの国民負担増=社会保障給付削減をともなうものだった。そのせいで、確かにその年度の財政支出は9兆円分節約できたのだが、これが国民の生活不安を必要以上に高めてしまい、経済不況を招いて、翌年度には、11兆円の歳入減の結果となって、橋本失政と揶揄され、政権退陣のきっかけとなったことは有名である。翌年度だけで差し引き2兆円の赤字の拡大を引き起こしたわけで、不況は1年で終わらなかったわけだから、総計では、10兆円以上の赤字拡大となったのではないだろうか。(もっと大きいかな)
彼が、後に小泉と総裁選で争ったとき、田中真紀子に徹底的に・・”橋本失政”の張本人などお呼びではない!おきゃやみゃ(岡山)に引っ込んで、田舎芝居でもしていればよい!!・・と散々虚仮にされて、大差で敗れたのは記憶に新しい。
ここから、一つの結論が導き出せる。(私の総括の立場だ)
それはA,社会保障の改悪は、財政赤字の増大を招く。 ということである。
これは、日本で、現実に”橋本失政”と言う形で、経験済みのことである。
そして、これは”逆も真なり”なのだ。
つまり、B,社会保障の充実は財政健全化をもたらす。
ということなのだ。
つまり、A=Bなのである。連合氏の主張・立場とは正反対なのであるが、現実に起きていることを総括すればそういうことになるのだ。
次に財政改革である。
では、現に、財政が赤字だったとしよう。
ではA=Bであるならどう解決すべきなのか??
それは、反論5を思い出していただきたい。
ブッシュ政権が金持ち減税(ブルジョア減税)・国債利払い(主な国債引き受け手は米国内外のブルジョアども。主な元金・利息の貰い手だ)戦争政策のために、長期に渡って、財政赤字からの脱却が不可能とされていることである。(米議会予算局の見通し)その米国の租税・社会保障負担の対GDP比は日本と同じくOECD諸国中最下位に近い25位(28,9%、スエーデン1位52,0%、日本27位28,4%)であることを思い起こしていただきたい。
そうなのである。遠慮せず、どしどしブルジョアから増税すべきなのだ。そして、社会保障費の企業負担の増大をはかるべきなのである。
そうした結果、租税・社会保障負担比率をスエーデン並みに50%くらいにしていけば良いのである。
ブルジョアどもから増税を!!これが解決策なのである。
また、赤字国債への考え方・立場なのだが、これこそ、だぶつきに、だぶついて、行き場を失った、過剰資金・資本の有利な投資先を政府の保障付・有利な利息付で新たに創立しているに過ぎない。
そのために必要なのは国家の赤字財政と言う口実なのだ。
そうなのだ。帝国主義ブルジョアジー自体が国家の財政赤字という口実を必要とし、それ故に、ブルジョア減税と言う手段を使ってまで、財政赤字を作り出しているのである。(諸兄は反論5のブッシュ政権の財政再建計画への米国議会予算局の修正見通しを見直してください。
これは私の勝手な作り話ではなく、米当局の見解でもあるのです。(もちろん彼らはブルジョア~という言い方はしませんけどね。)
そもそも、諸兄も考えて欲しい。もし、家計・経営が赤字でやむなく借金を周囲の友人・親戚にするとしよう。そのとき、まず、借金を申し込むのは、貧乏人にではなく、金を貯めこんでいそうな人に申し込むでしょう。今の日本が隠れ借金まで含めて、1059兆円(対GDP比213%)もの赤字国債を抱えているということは、それ程までに、ブルジョアジー諸君はためにため込んでいたということであり、
これらの資金は、もし国債投資と言う手段がなかったら、一体どこに投資すればよいというのか??検討もつかないくらいの莫大な過剰資金なわけだ。
政府もそういう金がだぶついているという懐具合はよくわかっているからこそ、赤字国債を発行し続けているわけだ。
(つまり、ブルジョアへの借金申し込み=投資市場の創設。そして、それが投資である限り、1種の寄生虫なのであり、やがて将来は労働者人民の生活を食いつぶしていくしかないのだ。)
それなら、そういう資金は本来どうすべきなのか?
それはもちろん、ブルジョア諸君に増税してビシビシ徴税していけばよいではないか。そして、その資金を国家予算(或いは地方予算)として、社会保障をつうじて、労働者人民に還元すれば良いのである。
私なら、赤字国債1059兆円と言う数字は、ブルジョア諸君が徴税を免れて、隠し持っていた資金がこんなにあったのか。それならまだまだあるんだろう。遠慮なくビシビシ増税・徴税してやろうではないかと思うが。そして、そうした生きた実例があるのだ。
それが、北欧諸国であり、上記に示した、租税社会保障負担率(対GDP比)で、
1位 スエーデン 52%
という、労働者人民本位に財政改革・改良された姿なのである。
それに対して、
25位 米国 28,9% 左の結果巨額の財政赤字
27位 日本 28,4% 同上。および、1059兆円の
累積債務(=投資市場)
となっているのである。
では、そういう労働者人民本位に財政改革をし、社会保障・福祉を充実させれば社会はどうなるのか?
そうした結果、連合氏の言うように、
・・・財政政策的にも経済政策的にも社会がもたず??、国際競争力も失ってしまう??・・・帝国主義国側!!が悲鳴をあげる!?・・・などと言うたわごとは、まさに、ブルジョアジーの思惑を連合氏が代弁しているにすぎない。
これがすなわち、連合氏の反労働者的な総括の立場なのである。
国際競争力についても、北欧諸国がかっては欧州の貧困地帯に過ぎなかったにもかかわらず、いまや、英独仏伊をおさえて、世界最富裕国であること(ノルウエーが実質世界1位)を見れば、それが連合氏の単なるデマであることが明らかであろう。
連合氏の総括の立場がブルジョアジーのゆがんだ反動的立場そのものであり、それ故に、現実の社会をリアルに分析することができず、(なんのデータも提出できない氏の姿勢は偶然ではない)ひたすら、悪態をつくか、デマを並べ立てるのみに終始しているのである。
そもそも赤字の主因が帝国主義ブルジョアジー自身にあるという財政赤字の本質を問うことなしに、その真実をひたすら隠し続け、その主因を・・高すぎる社会保障・福祉にこそあるのだ・・とするのがこれまで見てきた連合氏の総括の立場なのであるから、ひたすら、真実から目をそらし、(決してデータに基づくわけにはいかない)デマを並べるくらいしか方法がないのが連合氏の実態なのである。
まさに、極反動・帝国主義ブルジョアジーの代弁者なのである。
その点ではカクマルと同じであろう。
後から、後付的に、革命論をぶったところで、それは反革命・反動・カクマルでもその程度は言えるだろうという事でしかない。
現実の財政赤字の本質が帝国主義ブルジョアジーそのものにあり、決して、社会保障・福祉にあるのではないという真実を暴露するのが革命派の取るべき立場なのだ。
私の総括はそういう立場からのものなのだ。
そして、そうであるならそれは、社会保障の充実・改革改良を求める(もちろん、それは賃金アップ、雇用の確保・拡大といった労働者の切実な要求実現とも連動している)労働者人民の生きた現実の闘いに、確固とした展望と激励を与えるものとなるのである。
そう、
・・俺たちが受けている社会保障や福祉のせいで、社会がもたなくなっているだって??・・・”改良などありえないのだ!”だって??それなら、賃金アップも雇用の確保拡大もすべての現状の改良がありえないってことになるじゃないか・・・誰だそんなことを言う奴は??・・・
答え、それは自称原則的マルクス主義者にして、真の革命派;連合氏である。
真の革命派だって!?どこのペテン師だそいつは!!
ということになるのが連合氏なのである。
・・・帝国主義ブルジョアジー自身が財政赤字と社会の瓦解の主因なのだ。ブルジョアジーに発行すべきは借金の申込書(国債、元金政府保証の有利な利息付)ではなく、容赦のない納税督促状なのだ。そうした財政改革と社会保障の改革・改良こそが真の財政再建になるのだ。
それ以外にはない!!・・・そして、それは、労働者の賃上げや雇用の確保拡大という労働条件の改善・改革にも直結しているのである!・・・ブルジョアジーに支払わせよ!!だぶついた資金・資本を俺たちに、そして、社会全体に還元させよ!!・・・これが私の立場である。