「イデオロギーの時代は終わった」。
いわく「与野党が対立する時代は終わった」などなど。
こんな宣伝が、冷戦崩壊以降、続けられてきた。しかし、本当なのか?
結局、新自由主義二大政党しかない、という方向に世論を誘導しただけではなかったか。
最近では、旧来自民党政治も否定されてしまった。かくて、本当に新自由主義を進める二大政党しかないという方向に誘導しようと、マスコミなどは必死である。むろん、国民も愚かではなく、一定の修正を加えた民主党に千葉7区では支持を与えたが。
利益誘導の自民か、イデオロギーの社会・共産かの時代から、新自由主義イデオロギーの自民・民主の時代へというのが、財界などの目論見だったろう。
そうだ。イデオロギーの時代が終わった、などはまやかしでひとつの新自由主義(大蔵省)イデオロギーで国民をこり固めてしまおうという恐ろしいファシズムの構築だったのだ。
「イデオロギーの時代は終わった」などといって、左派を武装解除させ、返す刀で、亀井さんら保守リベラルを「ダーティー」呼ばわりして、バッサリ。ネオリベラリズム、そしてジェンダーフリーバッシングなど、復古主義をいかにも「無色透明」のものとして、推進する。男女共同参画もご都合主義で、豊中市は、男女共同参画のためのセンターをつくったはいいが、「非常勤」館長の三井さんをバッサリ切り捨てたなどは、全く現代自民党政治の本質を投影しているのだ。
騙されてはいけない。イデオロギーは健在である。それも大蔵省とアメリカのイデオロギーだ。(なお、アメリカンリベラリズムと、復古主義は同居しうる。復古主義といっても実際は戦前という限定された時代へのバックである。戦前は、経済面で言えば、実に旧体制を残しつつも、アメリカンリベラリズムの徹底だったといってもおかしくはない。)
だから、やはり、庶民は対抗するイデオロギーを持たねばなるまい。イデオロギーが否定的に見られているのは、かつての野党が、具体策がなかったからである。イデオロギーそのものが悪いのではない。具体策の不足、そして、唯一前衛党論、民主集中制の名のもとでの、執行部の事実上の独断専行。これらが、野党へのアレルギー、そして、リベラル派のイデオロギーへの否定的な風潮を生み出したのだ。
そこへ、「イデオロギーの時代は終わった」という宣伝が奏効したのである。イデオロギーを捨てようと野党は必死になった。90年代半ばの社会党も、そして90年代末以降は、共産党でさえも。理念を薄めすぎて、逆に亀井さんから叱責されるようになってしまった。そうではなく、平和なら軍事力によらない問題解決方法を、また経済なら労働者・中小企業者が分断されない連帯の仕組みや地域経済再建策などを、提示していくべきだったのだ。
民主党は、旧来自民の位置を小沢さんになって占めようとしている。旧来自民党政治的な終身雇用や年功序列の復活は良い。しかし、それだけではぜんぜん足りない。社会的連帯を広げるような文化、政治風土をつくっていかねばなるまい。まずはそこがスタート地点だ。
いまからでも遅くはない。頑張ろう。