「弁証法的唯物論(ゆいぶつろん)」が、社会主義の基本を流れる考え方です。
ものごとをありのままに見る。人間に対してもレッテルを貼らずに、公平に見る。こうした考え方です。
だから、逆にいうと、魂の存在などは否定される。人間の意識は、物質としての人間があるから存在するというわけです。
ところが、旧社会主義国、そして日本の左翼では、これが「ただもの論」に捻じ曲げられてしまっているのです。
すなわち、人間を「モノ」扱い。社会の歯車扱い。改良された資本主義社会以上に人間をぞんざいに扱っていった。とくにスターリンや毛沢東による、粛清、文革はおぞましい。
敢えてうがった見方をすれば人間は魂がない、ただのものだ。だからぶっ殺しても構わない。そんな考え方がなかったか?日本の左翼の内ゲバも同様です。人間尊重という考え方がすっぽり抜け落ちてしまった。
一方で、他のことについては、観念論が横行している。自党派以外は護憲ではないという「唯一前衛党論」。夜郎自大なのです。それではいけない。段段世界が狭くなって、気が滅入るだけです。かつての同志の共産党の諸君はそこに落ち込んでいるような気がして仕方がない。新社会も社民も駄目、では、回りは敵ばかり。無党派を取り込もうとしてもスターリン主義が災いして、取り込めない。疲れるばかりです。
唯一前衛党論など捨ててしまえ。中央の見解と違うことを言ったら除名、などというスターリン主義的規約も捨ててしまえ。外へ目を開こう。干からびた歌など捨ててしまえ!
愛する人のいるこの党の立ち直りを心から願っている。