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「科学的社会主義」討論欄

敬虔なイスラーム圏への不破氏流 “片想い”

2006/07/09 Forza Giappone 青年

 敬虔なイスラーム圏への不破氏流“片想い”

 不破氏(現・党社研所長)は議長・委員長時代に、AALA諸国 (つまり、欧米・ロシア・カナダ・イスラエル・オーストラリ ア・ニュージーランド以外)への「野党外交」に熱心だった。 まだ未踏国が数多く残っていると言われるが、訪問の先々で熱 烈歓迎?されたのだろう。だが、不破氏ならではの“片想い” があるのではないか?

 サウジアラビアなど中東諸国、北アフリカのマグレブ地域と いったイスラーム圏から帰国した頃はそれが際立っていたよう な印象を受けた。

「イスラームの教えに忠実な彼ら(ここではサウジにおける要 人を指す。)ですから、相手がどこの国の共産党員であろうと 5メートルか10メートル以内には近寄らない。それをしっか り厳守してきたというんです、いままでは。ところが今回私ど もが訪れたときは違ったんですねぇー。彼らの言うには“共産 党というのはどこの国の党であっても無神論の団体だ。だから 私たち(ムスリムの徒)は今まで一線を画して来た。しかし日 本の共産党とじっくり対話を重ねるうちに、共に協力できそう な団体じゃないか、と信頼を抱けるようになった”と告白して くれるまでになったのです」。

 うろ覚えなので正確な引用文か否かの自信はあまりないが、 趣旨は上記と概ね近似値だと言っておいていいだろう(万一明 らかな誤謬があればご指摘ください。)。たしか、緒方国際局 長とかも帯同していたのではないかと思うが、不破氏以下訪問 団ご一行は、いささか買いかぶり過ぎと言おうか相手のメッセ ージをかなり誤読しているのではないか、と感じた。

 遠路はるばる訪ねて行った共産党訪問団は、敬虔なムスリム からみればおそらく、相変わらず“異星人”に見えてしまう、 それが正直なところではないのか?

 世界観が異なる、または、片や敬虔な信仰者、もう片方は神 を信じぬ無神論の党。そのような間柄でも理性的な充実した「 対話」は成り立つことがある。そこまではぼくも頷ける。だが そのことのみを以って“わが党の主張が基本的に受け容れられ た!”と受け取るのは思想的オフサイドではないかな、と思っ てしまうのだ。文化コードの彼我の差は埋めようにも埋めるこ とができないと思う。ご存知のようにイスラーム圏は政教一致 である(トルコ共和国を除く。)。宗教家は同時に律法学者で ある。公立学校教育においてもコーラン学習は排除されてはい ない。

 近年は「不可知論的な思想をもつ国民も皆無ではない」との 指摘もあるらしいが、そのようなマイノリティー層であっても 、イスラームの教えにふれた後で棄教(?)しているから、共 産党幹部という強い自覚をもつ無神論者集団とは相当の《温度 差》があると見るのが自然ではないだろうか。なお、イスラー ム圏のなかでもイランなどはシーア派やハワーリジュ派占有率 が高く、戒律が非常に厳しいといわれる。公然と無神論者を名 乗る行為は不敬行為とみなされ、名誉あるムスリムとは看做さ れない。危険な目にあう場合もあるのだとか。

 いちいち具体地名をあげるとキリがないのできょうは禁欲す るが、ひろく中東イスラーム圏にも世界文化遺産指定地は夥し いのだそうだ。不破氏ご一行の訪問諸国にも、目を見張らぬば かりの壮麗・荘厳な建造物や遺跡は数多く保存されている。最 も古い遺跡は先史時代前からのそれらしい(イスラーム教発足 以前の原始多神教)から、それに比すれば、社会主義・共産主 義の歴史なんかさしずめ「祖父から見た曾孫」ぐらいの歴史に すぎないことになる。
(商才に長けたイスラーム商人が海洋交易で遠くインド半島や シャム(現タイ)、インドシナ半島、香港などを航海した時代 といえば、旧ソビエトの前身・旧帝政ロシアはまだ侵入異民族 を撃退できず、農奴制の黎明期で旧ロシア人は極貧下で呻吟し ていた時期に該たるのではないだろうか?)。

 厳格な一神教(いっしんきょう)は教理上、自宗派以外のイ デオロギーは絶対に認めない(ここでのイデオロギーとは、宗 教・政治思想両者をさす)。 果然「科学的社会主義」という 名の擬似科学もそこからイデオロギー色を完全排除しえないか ぎり、彼らの目には純粋科学とは映らないと思われる。その辺 りはもう一度認識しておくほうがいいと思う。
 世界どこでも《歴史は発展段階をおって社会主義共産主義に 向かう、歴史の必然だ》といった史観が妥当する保障などあり えないと思われる。ヘーゲルもフォイエルバッハも、その後の マルクスもレーニンも、非欧州圏の異教徒を知る機会に恵まれ なかっただろうから、それは差し引いて考察するべきなのかも しれないが・・・。

 不破氏らが如何に彼らに対し“片想い”しようと、5メート ル以内至近距離でのトップ会談実現で舞い上がろうと、訪問先 の要人が回心するわけではない。《サウジ要人側はついにわが 党を無条件で受け容れた》と考えているとしたら、文化コード をわきまえず、一神教の基本性格を無視した浅はかさと言うし かないのではなかろうか?