銀河さん、コメントありがとうございます。
「滑稽」という表現についてですが、すこし誤解されそうなので、説明します。
世間では一般的に「社会主義は崩壊した」と言われています。でもその基礎としてあった考え方、つまり資本主義には富と貧困は避けられず、結局、資本主義を否定して、社会主義に向かわない限りこの問題は克服できないのだとの考え、それが古くからあるにもかかわらず、まるで、新しい現象、新しく発見したことのように、「ワーキングプアー」として表現していること、それを滑稽と感じたのです。例えば、
「かってマルクスは、資本の蓄積が進めば進むほど、一方では貧困化が進むと分析しましたが、百年以上経過した今でも、その現象は現在の日本にあるのです」
こんな解説なら納得でした。
社会主義の崩壊を決めつけたい、マルクスの考えは過去のもので、現在の資本主義には通用しない、そんな思惑が「ワーキングプアー」という言葉に感じられたので、滑稽と表現しました。
とはいうものの、マルクスもレーニンも、社会主義のあるべき姿について、具体的には述べていません。レーニンが新経済政策で、社会主義に移行する暫定的措置として、国家資本主義の政策をとり、それを社会主義であると誤解したスターリン、結果として、資本家の位置に共産党特権階級が居座り変わっただけの、問題だらけの「社会主義国家」が世界に蔓延したのだと、わたしは考えています。
前にも書きましたが、代表取締役を社員全体の選挙で選ぶような、新しい共有、共同管理の会社、別のかたちでも構いません。要するに社会主義の理念が、本当に生かされる所有形態をみんなの想像力で創り出していく、それが現代を生きる人間、マルクスやレーニンの思想を受け継ぐ者の課題ではないでしょうか。