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「科学的社会主義」討論欄

社会主義の原則的理論とは?~2 社共共闘で改憲を阻止 しよう!

2006/10/06 日本国憲法擁護連合 20代 自営業

 編集部様方の公平で、勇気とやさしさと強さを兼ね備え た民主的な運営に感謝しつつ、本日も社会主義について述べた いと思います。

 ジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』を出しながら、 社共共闘(人民戦線)と改憲情勢についてふれたいと思います 。

1、そもそも『カタロニア賛歌』とは?

 ファシズムの暗雲に覆われた1930年代のスペイン、これ に抵抗した労働者の自発的な革命として市民戦争は始まる。
 そのルポルタージュを書くためにスペイン・バルセロナにや ってきたオーウェルは、革命的状況にオルグされ、共和国政府 軍兵士として最前線へ赴いていった。
 アラゴン戦線やバルセロナ動乱での体験を中心に,スペイン 市民戦争の臨場感あふれる貴重な証言となったジョージ・オー ウェルのルポルタージュの傑作が『カタロニア賛歌』である。

 2、社共共闘(人民戦線)とは?

 1930年代、イタリアでムッソリーニが、ドイツでヒトラーが 権力を奪取し、世界にファシズム=反革命が登場した。
 それに対してフランス・スペインでは反ファシズム人民戦線 内閣が成立した。
 人民戦線とは社会党と共産党、その他の左翼、更にアナーキ ストとの連合政権である。しかし、スペイン軍部の極右フラン コ将軍が中心となって、スペイン人民戦線政府に反乱を起こし 、内乱が勃発していった。
 それに対して反ファシズムの戦いとして(第二次大戦は、ド イツ帝国主義ブロックVSアメリカ帝国主義ブロック・プラスソ 連スターリン主義の対決となった。)人民戦線政府を助けるた めに全世界から約4万人もの義勇兵が参加した。(湾岸戦争や イラク戦争を推進したのはブルジョア国家であり反対したのは 世界中の労働者だったことを比較されたい。)オーエルもその 一人であり、同時期、ピカソはナチスドイツによるゲルニカ爆 撃を糾弾する絵画を描いた。

3、しかし、人民戦線は労働者の闘いを抑圧した挙句、ファシ ストに打倒された。

 オーエルが配属されたのはトロツキーの影響のあるPOUM という組織。
 彼はPOUM人民軍としてファシストと戦っていた。
 しかしその後何と、人民戦線政府はPOUMを非合法化し、 ほぼ全員を逮捕する。
 ファシストと対峙し、戦っている真っ最中だというのに。
 主要な指導者は人民政府によって秘密裏に虐殺されていく。
 弾圧はその後、アナーキスト組織にも及んだ。
 驚くべきことに、人民戦線政府の中のスペイン共産党が弾圧 の張本人だった。
 オーエルは危機一髪のところで国外に逃亡した。
 以上の生々しい記録が『カタロニア賛歌』の内容なのだ。
 そのうえで、人民戦線はファシストの暴力で打倒されてしま う。
 つまり、ファシストと対峙していた労働者を打倒した後、墓 穴をほってしまったのがスペイン共産党だった。スペイン共産 党は、ファシストには向けなかった暴力を、ファシストと対峙 していた労働者に向けて弾圧した後、自らもファシストによっ て打ち倒されてしまうのは、スペイン共産党の無策ぶりをしめ していよう。

4、では、何故スペイン共産党は、同じくファシストと戦う仲 間を弾圧し、圧殺したのだろうか?

 スターリンは「ソ連一国社会主義」を唱えていた。
 スターリンにとって各国共産党はその支部にしかすぎなかっ た。
 スペイン共産党は一国社会主義路線であり、スターリンの指 導のもとにあった。
 スターリンは、自分の利用できる手足としてスペイン共産党 を指導していた。
 スターリンは、ソ連をヒトラーらから防衛する手段としてス ペイン人民戦線を利用した。当時スターリンは、ヒトラーから 祖国防衛主義を最優先し、ドイツ共産党でさえ見殺しにしてい る。そのうえ、帝国主義国の米英仏と軍事的に同盟し、その同 盟関係を崩さないように、各国の共産党に自国の資本家と闘う なと指導している。
 当然それに反発する左翼勢力が生また。
 それが、アナーキストであり、トロツキー派だった。それは 、スペインでも同様だった。スペインにはアナーキズムの伝統 もあり、アナーキスト系の労組が最大の組織であった。また、 共産党系の労組は脆弱だった。社会党系の労組に急遽潜り込ん だだけだった。しかもその労組は、はるかに小さかった。しか もソ連の軍事援助は微々たる物だった。スターリンは、軍事援 助の見返りに共産党の強化と他の左翼の弾圧を人民戦線政府側 に要求していった。その結果が、ファシストへは向かわない人 民戦線の暴力を、ファシストと闘っているトロツキストやアナ ーキストに向けさせていったのだった。その後、人民戦線は、 ファシストにじりじりと破られることになり、人民戦線もファ シストに打倒されてしまうのである。

5、スターリンのもう一つの戦略は「二段階戦略」。

 スターリンは、ブルジョア民主主義革命が必要で、社会主義 革命はその後だという「二段階革命路線」を提唱した。
 しかしスペイン・カタロニアでは既にアナーキスト系労組C NTとPOUM系が既に権力を握っていた。
 にもかかわらず、労働者の勝ち取った諸権利を奪い取り、そ れらをブルジョアジーに戻したのがスターリンに指導されたス ペイン共産党を中心とする人民戦線政府だった。左翼政党とい われる共産党によって!
 しかも、それがのちのちプロレタリア側の分裂を生みだし、 弾圧さえおこない、結局ファシストが暴力的に人民戦線政府を 打倒してしまうことになったのだった。
 ジグザグな指導を繰り返し、結果的にファシストに権力奪取 をさせた張本人は、スターリンその人だった。ましてや、ファ シストと戦っている真っ最中の対立党派を非合法化し、弾圧し 、虐殺するというスペイン共産党の無策ぶりには怒りを覚える ほかなかろう。もちろんそれを指示したスターリンの二段階革 命論そのものが断罪されるべきである。付け加えるならばドイ ツ共産党には社民打撃論を展開し、ナチスドイツを登場させた 張本人はスターリンなのだ。また、第二次大戦に参戦したのも スターリン、労農ソビエトを無理やり一国社会主義路線に歪曲 し、結果的に破綻させた張本人もスターリンその人なのだ。

6、トロツキーについて

 スターリンとは違ってトロツキーは「別個に進んで、一緒に 撃て」と言った。
 ただ、私はトロツキーは尊敬しているが、トロツキー主義者 ではない。
 メキシコの亡命地でスターリンの放った刺客に暗殺されるそ の瞬間まで、スターリンと闘ったトロツキーを尊敬せざるを得 ない。
 だが、スターリンを打倒できなかった政治的脆弱性は現実と して存在する。

7、スターリン主義の批判

 オーエルの実体験したことは、第二次大戦後の東ヨーロッパ でより残酷に再現された。まず、戦争終結直前のポーランドで 。大戦勃発直後、そもそもポーランドはドイツとソ連によって 半分ずつ分割占領されていた。
 ソ連はヒトラーと一緒にポーランドの東半分を軍事占領した のだった。
 それ自体ポーランド民衆への裏切りに他ならなかった。
 ソ連の意に染まない勢力は文字通り抹殺された。
(ポーランド軍将校の大量虐殺としてカチンの森事件があげら れる。)
 大戦終了間際、ドイツ軍がまだポーランドの首都ワルシャワ を占領していたが、ソ連軍が段々迫っていました。イギリスに あった亡命政府は、このままソ連軍にポーランドをドイツ軍か ら解放されたら、ポーランドはソ連の軍事支配下に入ると考え た。
 その為、ソ連軍にワルシャワを解放される前に自力で武装蜂 起をワルシャワ民衆に訴えた。ワルシャワの民衆は武器を持ち 、立ち上がった。
 しかし、圧倒的なドイツ軍の軍事力の前に壊滅的敗北を蒙っ た。
 一部の人々は地下水道に逃げのびる。その出口では鉄の柵が あり、出口なし。
 その川の対岸にはソ連軍が実はもう到着していたのだった。
 しかし、ソ連軍はワルシャワの民衆が虐殺されるのを待って いた。
 米英仏の帝国主義国側の影響力のあるワルシャワ蜂起が成功 すれば戦後のポーランドで彼らに政治的主導権をとられてしま うとスターリンは考えた。
 米英仏とソ連の政治的対立...
 そのためにワルシャワ民衆は、米英仏から政治的に利用され 、ソ連から見殺しにされたのだった。同様の悲劇はギリシャで も起こった。第二次大戦後の世界支配をヤルタで取り決めた米 英仏ソ。ギリシャはイギリスのものとスターリンは確約した。
 ユーゴでドイツ軍と闘ったパルチザンのリーダーであるチト ーがユーゴの権力を握ったが、ギリシャでも対独パルチザンが 優勢で戦後のギリシャをパルチザン=左翼が権力を握ってしま いそうだった。
 そこでスターリンは軍事援助を止め、イギリス軍がパルチザ ンを殲滅するのを黙ってみていった。
 パルチザン残党は山岳地帯に逃れ、絶望的なゲリラ活動を続 けていく...

 実は同様の悲劇は戦後の日本でもあった。
 戦後の日本共産党の指導のジグザグな誤りによって、多数の 党派対立と挫折を味をなければならなかった。

8、歴史の教訓

 第二次大戦前後から戦後の現代まで考える上で、重要なこと はスターリン主義の総括をきっちりとやることが問われていて 、それがブルジョアジー達が扇動する「社会主義破綻」のデマ を突き崩すことになるのではないかということだ。
 さらに、ソ連崩壊後勝利宣言を下しているアメリカの戦争政 策に世界中から反対がよびかけられ、欧州や南米ではアメリカ とは違った方向性を模索する運動が高揚している。そのなかで 、日本は戦後体制をかなぐり捨てて、アメリカとともに戦争を 推進していく方向に舵をきりつつある。しかしその道はいつか 来た道でしかない。
 世界第一位の軍事大国アメリカと心中することで、なんとか なるだろうというほど甘くはない。私はそう考えている。だが 、確実に改憲-戦争のできる国づくりへ着実に進めつつある。 そんななかで、「赤旗」は、反トロツキストキャンペーンを展 開して、スペイン政変と同じような無策ぶりをしめしていた。 これもいつかきた道である。しかも、ナチスドイツのやった社 民打撃論さえ展開さえ見られる。今、日本共産党に私は訴える 。かつてたどった道を繰り返すな!今、共闘しなくてどうする のか?
 改めて、スペイン人民戦線の敗北と、チリ人民戦線の敗北を 教訓として考えなくてどうするのだろうか?私は、歯がゆい思 いでそれらをみつめるだけしかないのだろうか?

9、ドイツ・フランス・南米などの挑戦

 しかし、一方で、吉報もある。ドイツでは左翼党が前進し、 フランスではトロツキストが躍進し、CPE反対闘争が勝利して いる。
 南米では、トロツキストを含むすべての左翼が共闘して政権 を奪取している。
 アメリカでは労働運動が激しく展開されてきている。
 日本の左翼もこのような海外の左翼と連帯して、我が物顔で 世界中に戦争をけしかける現代のナチス・ヒットラー=アメリ カ・ブッシュ新帝国主義の悪辣な戦争策動をストップさせよう !

 私の意見に文句やちょっと違うという方は、『日本国憲法擁 護連合』までご連絡を。http://navy.ap.teacup.com/union/