自民党の野中氏(元幹事長)は、「公明党は共産党対策
のために、自民党が育てた政党である」と語った。どんな政党
・団体も、それなりの社会的な意義と価値を持って存在してい
る。自民党は「ブルジョア政党だから反社会的である」といっ
た議論は馬鹿げている。ソ連を見ても解るように、自民党はこ
うした馬鹿げた議論が横行する社会になる事を食止める歴史的
な役割を果たしてきたとも言える。同じように「公明党は宗教
政党だから反社会的だ」と言う議論も同じように馬鹿げている
。今日の共産党は「科学的社会主義」を掲げているが、「不破
崇拝・民主集中制」を見ても解るように、半分宗教化しつつあ
る。むしろ公明党の方が、科学的で現実的な政党のようにさえ
見え
る。
とにかく、長い間、公明党は左翼が政権を取れないようにす
るための、従って、自民党単独政権を支えるために、左翼に打
ち込まれた楔としての役割を果たしてきた。日米安保体制を支
えるためには、公明党は大きな役割を果たしてきた。ソ連や今
日の北朝鮮の軍事的な挑発を見ても明らかなように、安保条約
が日本にとって、否定的な役割を果たしてきただけとは、一概
には言えない。東西の軍事対立が終結し、中国が政治的にも、
経済的にも、この日本にとって大きな存在になってきた世界情
勢の下では、安保条約をめぐる左右の対立は形骸化・無意味と
なりつつある。他方では、自民党は単独政権を維持できなくな
りつつある。既存の圧力団体の力を集票機関として利用してき
た自民党は、自らの「構造改革」路線によって、集票機関の性
格を維持できなくなりつつある。草の根の力を持つ公明党無し
に、自民党は政権を維持できなくなりつつある。
社会党は公明党の草の根の力を利用して政権を取ろうとして
解党した。新進党も社会党と同じ運命を辿った。野中氏の語る
ように、公明党は自民党の別働隊なのであって、公明党を利用
して、自民党に対抗する政権を作れば、自民党と共産党の両者
から激しい挟撃を受けて雲散霧消するしか道はなかったのであ
る。民主党は、創立以来、単独政権を目指してきたが、一度も
現実化してこなかった。これは、当たり前である。自公と共産
から、激しく攻撃される政権が、この国で例え一時的に生まれ
たとしても、忽ち機能不全となって瓦解するだろう。民公政権
になったとしても、それはかつての新進党政権の焼き直しであ
って、長続きする訳が無い。
今日の小沢路線は、こうした教訓を学び、自民党に変わる本
格的な政権を目指しているように思われる。共産党を排除しな
い小沢路線によって始めて、民主党は政権への展望が見え始め
てきた事実を、共産党はしっかりと見つめるべきである。民主
党は、自民党だけではなく公明党との縁も切断できなければ、
自民党に変わる本格的な政権政党になる事は出来ない。民主党
は、否応無しに、左旋回する事なしに政権を獲得・維持できな
い運命を持っている。更に、本格的な政権を獲得・維持する事
無しに、この政党は生き長らえる事は出来ない。共産党は、こ
のチャンスを最大限に利用すべきである。民主党を解党に追い
込んで、己のチャンスを待つという戦略は、ヒットラーを成功
に導いた社会ファシズム論と同じ道である。
今日の日本国民は、誰でもが現状に不満である。この不満の
根本的な原因は、この国の進路に希望が無いからである。ゆと
りの無い過労社会の中で、急速に少子高齢化が進むのに、国民
のセーフテイネットを解体しながら、「産めよ増やせよ」と叫
ぶだけである。労働法を改悪して、更に一段と労働強化しよう
とする。国民のための政治ではなく、財界のための政治が堂々
と幅を効かしている。国連の常任理事国を目指しながら、国連
の理念に反する靖国参拝を堂々と繰り返す。日本の政治が、ど
うして、こんな閉塞状態に陥っているのか?それは、左翼が分
裂し、日本国民に向かって政治変革への展望を指し示すことが
出来ないからである。
この国では、下からの統一した力によって、国民の利益に奉
仕する政権を獲得した経験が無い。この事が、この国の悪弊の
解決を困難にしているし、左翼自身のセクト的な悪弊を助長し
ている。全世界で破綻した「民主集中制」がいまだに生きてい
るのも、このためである。小沢氏の言うように、葛藤や亀裂を
恐れては、この国の姿を変える事は出来ない。この国を変える
ために、小泉は「自民党をぶっ潰す」と言って、政権を取った
。しかし、彼の「構造改革」路線は、格差社会を拡大するだけ
の、自民党政権を強化しただけである。この国は談合政治・サ
ービス残業に見られるように、国際社会では通用しない悪弊を
数多く抱えている。それは、小沢氏が語る「お上意識」と不可
分に結びついている。小泉の「構造改革」路線によって、こう
した「お上意識」は改まるどころか、益々深まる一方であった
。
明治維新は「上からのブルジョア革命」と言われた。市民レ
ベルの蜂起によるブルジョア革命を、この国の国民は経験して
いない。戦後の民主主義も、「ポツダム民主主義」と言われた
ように、敗戦によって上から落ちてきた一面を持っている。こ
れこそが、日本社会の構造的な欠陥の元凶である。普通じゃな
い事が、誇りじゃなくて恥となる。この国では、左右のイデオ
ロギーを越えて、一人一人が自立した志向をする習慣が欠けて
いる。自民党政権は、長い間、こうした欠陥によって支えられ
てきた。靖国参拝に見られるように、小泉はこうした欠陥を改
革したのではなく、強化しただけである。
元来、自民党にはこうした構造的な欠陥を強化する力はあっ
ても、改革する能力はあるはずがない。この国で必要なのは、
社会主義革命じゃなくて、「下からのブルジョア革命」・市民
革命である。かつて、ロシアのブルジョア革命を担ったのは、
ブルジョワジーじゃなく、労働者階級であった。そのために、
ロシアのブルジョア革命は、直ちに社会主義革命に転化した。
今日の日本で同じ事が起こる訳がないのは明らかである。帝政
ロシアと今日の日本は全く異なる。しかし、この国では、小泉
「構造改革」路線に見られるように、「革命」や改革と言うも
のが、上から起こるものだと勘違いする習慣がある。この悪弊
こそ、今日の左翼の課題であるし、この課題は左翼以外には解
決し得ない。
戦後の左翼は、実にセクト的であり、バラバラであった。異
端者排除を繰り返してきた共産党には、全共闘の「内ゲバ」を
批判する資格などある訳がない。それぞれが、国民の利益など
関係なしに、己の党や党派への忠誠心を求める運動を繰り返し
てきた。一面では、こうしたエゴイズムは大事にしなければな
らない。しかし、エゴイズムだけでは敵に利用され、捨てられ
るだけである。敵を利用し、敵を捨てる知性を獲得すべき時代
が来ている。日本の左翼は自民党から、分断支配されるのでは
なく、分断支配する技術を学ぶべきである。そのためには、一
人一人が、どんな党や党派からも拘束されない自立的な知性を
、確保する必要がある。
集団への依存心は、集団自身の思考力と知性を低下させる。
集団からの自立的な思考・行動こそが、集団自身の知性を高め
る。多元性を承認する、自由で民主的な公開の討論こそ、集団
の統一を高める。直接民主主義のソビエトは労働者階級と兵士
の意識を統一する機関であった。トロツキーは「ソビエトは労
働者階級の自己意識である」と言う。人間は誰でも、己の責任
と義務を自覚しなければ、その任務を果たせない。「自己意識
」なしには、己が己自身の主人となることは出来ない。己を見
失えば、他人の奴隷となる。左翼は統一することによって始め
て、「自己意識」を獲得し、己の進路を掴み取ることが出来る
。