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「現状分析と対抗戦略」討論欄

パルタさん貴重な問題提起ありがとうございます。

2006/1/1 スカンジナビアン

 私は極めて真面目に論議しています。あなたが引用した文章は私のではなく、やすしさんの文章なのでどこかの誰かみたいに 私が代弁する立場ではありません。
 あなたは私とやすしさんの立場を同一とみなしているようですがやはり違います。寒くなったら防寒コートを着るように、人々は暴力革命に立ち上がるだろうなどとは思ってませんよ。
 それはあなたが言うように楽観的に過ぎますし、そしてまた方向性としても間違っているでしょう。
 あなたが自分の投稿の中で述べていることは私ももっともなことと思いますが、それらの問題は、結局は平和と民主的課題に属 する課題であり、直接には社会主義の課題ではありませんよね。
 したがって私は以下のように、歴史的事実に言及することで、あなたとの共通の理解に達することができると考えます。

例1、
 あなたは東南アジアの諸国に行ったことがありますか?
 例えばフィリピンでは東南アジア最大のスラムであるトンド地区というのがあります。有名なスモーキーマウンテンなら聞いたことが あるでしょう。くすぶり続けるゴミの山です。トンドの貧民たちはそのゴミを拾って、食べ物を得、またいくばくかの現金を得ているのです。
 道にはストリートチルドレンがあふれてたむろしています。
 それでも彼らも生きています。
 そして、フィリピンの人々がかってマルコス独裁を否定して選んだ道は社会主義暴力革命などではなく、民主化闘争だったのです。
 毛沢東主義を掲げる、新人民軍による開放の道ではありませんでした。
 この点はやすしさんもそう指摘しています。
 ですからなぜやすしさんが唐突に暴力革命論などを持ち出したのかよくわかりません。
例2、
 ではお隣の韓国はどうでしょう。
 これも私がすでに何度も触れたように、朴軍事独裁ファッショ政権はファッショ体制として完成の域にありました。
 秘密警察が社会の隅々まで監視していたわけです。
 むき出しの軍事支配体制だったわけです。革新政党など消滅状態でした。
 しかし、光州事件の悲劇を乗り越えて、最終的には、選挙で決着をつけて民主化闘争を勝利させたのです。ここでは、光州事件タイプの一部武装を伴う、住民蜂起路線が結局は敵の暴力装置をなんの遠慮も無く開放・発揮させるものでしかないという重大な戦術問題上の教訓をわれわれに残してくれました。ですから、その後の韓国人民の闘いは決して、光州事件タイプの一部武装を伴う住民蜂起の全国的な展開・多発という路線ではなかったことに注目すべきでしょう。そのため、この勝利した民主化闘争の過程では光州事件のような死者などでませんでした。
例3、
 また、チリではどうでしょうか。
 ここでもピノチェト軍事独裁ファッショ体制のもと数万人とも言う左翼活動家が死者行方不明者として犠牲者となるなど、極端なファッショ体制が敷かれていましたが、やはり、最終的には、民主化闘争の高揚の中で、国民投票で軍事態勢からの転換が選択され(それまではピノチェトが終身大統領とされていた。)、それに伴う、新大統領選挙で、左派候補が勝利し、民主化への道が確立されたのです。もちろんまだ民主化の途上にありますが、終身議員の特権(多くは軍部出身)は最近剥奪がきまったそうです。また、去年の大統 領選では社会党系の候補が当選を確実にしているようです。
 <結論>
 このように、実際に軍事独裁ファッショ体制からの脱却は民主化闘争として闘われており(社会主義暴力革命ではない)、その戦術手段も<選挙>や<国民投票>で決着をつけるという選択がなされています。
 その対極にある戦術がひとつには光州事件であるわけです。
考察1、
 光州事件自体の主体側の戦略目標は同じく反ファッショ民主化闘争だったのでしょうが、この場合は戦術手段が違って(誤って)いたということでしょう。
考察2、
 もうひとつの対極が直接社会主義暴力革命を戦略目標に掲げた、フィリピンの新人民軍(フィリピン共産党の軍事組織)だったわけですが、やはり、人民の支持を得られずに、暫時衰退消滅し、その一部は現在イスラム系のモロ民族解放戦線と合体しているようです。その一部がアブサヤフなのでしょう。(ここら辺はちょっと 複雑でやっかいのようだが)
 私はこういう実際の歴史的教訓に学ぶべきだと考えているわけです。
 一般的考察
 よく暴力革命論者が言うではありませんか ・・・ 過去の歴史を振り返るならば、これまでの社会変革はすべて、革命、それも暴力革命として闘われてきた・・・とね。
 しかしそれならば、当然、最近の歴史的経験も考慮にいれなければ科学的考察とはいえないのは当たり前なのです。そして、フランス革命や英国の清教徒革命やドイツ革命やパリコミューンやロシア革命よりも社会情勢・条件としては、(何しろ最近のこ となので、)過去よりも現在の社会情勢・条件の方がより世界的・普遍的と見るべきでしょう。(反ファッショ民主化闘争としては、韓国の例、チリの例、比国の例)
 したがって、この現在の日本の変革を考える際の社会的諸条件・情勢としては、遠い過去のフランス革命や、パリコミューンやロシア革命といった社会の諸条件ではなく、 (参考には大いになるが)現代の先進国の諸条件が中心となるわけです。
 但し、日本は未だ、民主主義が定着した状態ではない、その点では、欧州先進国とは大きく遅れていると見ています。この点は誰も否定しないはずですがパルタさんは如何?
 それに社会のファッショ化の危険性も孕んでいます。
 ですから、例えば、隣の韓国のファシズムから脱却した現代史を教訓にすべきだし、また、民主化がもっと進んだ欧州先進諸国、中でも、スエーデンの実例を参考・教訓にすべきだろうと主張しているのです。
 ところが、暴力革命論者は故意にか、この現代史の実例を(実際に存在する!のです よ、それを)都合よく無視・抹消してずうずうしくも、・・過去のすべての歴史的経験が教えるところによれば・・などと、あたかも科学的に歴史を考察しているかのように主張 するわけです。(まったくずうずうしいペテンなのだが)
 ですから特に暴力革命論者は、逃げたりせずに、この欧州先進諸国の社会的諸条件と真正面から向き合わなければならないし、欧州先進諸国における暴力社会主義革命論を展開せねばならないわけです。(世界同時革命論少なくとも先進国の同時革命論) そこで、私は、銀河さんに、早速、欧州先進諸国の問題を突きつけて、とりわけ、スエーデンの社会的諸条件・情勢に立脚した暴力社会主義の必然論を科学的 に論証すべきであると問い質しているのです。(逃げてはいけない!)極めて真面目な質問・議論なわけです。
 パルタさんも是非、ご自身の先進国革命論(未来社会論)を展開して見せてください。