2004年の参院選では選挙協力により護憲派の議席増を、という動きが出始め、2007年参院選では共同候補をという動きが、1年以上前から準備されています。
一方、共産党は、これに背を向け、草の根での、護憲世論の拡大こそ鍵と訴えています。
私は、選挙協力は必要だと考えています。共産党の対応はセクト主義以外の何者でもない、こう愚考する次第です。
しかし、護憲派だけの選挙協力が有効そうなのは、東京、神奈川、埼玉、京都、大阪くらいではないかと思われます。
あとは、正直に申し上げて、民主党、国民新党と協力しないと自民党を打破することは極めて難しい。裏切られることを覚悟の上でです。
しかし、私は、これらは、ある意味「戦術論」にすぎないと思います。そして、2004年参院選で、共闘しなかったことで、 護憲派自体が相当後退したという既成事実のもとでは、有効性は限定的だと考えます。
日本の左翼の失敗は、冷戦時代は、実際は自民党に甘えていたようなところにあった。自民党を批判してさえいれば、そこそこの得票をが手に入った。自衛隊反対、安保反対を叫んでさえいれば、良かった古きよき時代である。それはそれで大事な運動ではあったが、では「左翼が政権を取ったらどうするか」というビジョンや戦略は皆無に近かった。ソ連型社会主義の破綻が見え出した段階では、社会党や共産党の社会主義は、ビジョンではありえなかった。共産党の場合は「二段階革命論」だったが、しかし、結局「鎧の下の衣」の雰囲気を醸し出してしまっていた。
冷戦が崩壊すると、左翼はすっかり混乱してしまった。モデルが崩壊してしまったからである。日本社会党は、「左」であることそのものが悪いと思い出して、理念を尽く投げ捨ててしまった。
冷戦崩壊後、地域紛争が頻発する中で、「国際貢献」による戦争参加論に対して、有効な対案を社会党は示せず、最初は頑なな反対を、政権入り以降は急速な右旋回をしていった。
共産党は、理念はこの段階では捨てなかったが、「あれは社会主義ではない」というだけで、精一杯だった。ただ、社会党の壊滅により追い風が吹いた。構造改革による矛盾も保守層の一部を共産党に追いやった。しかし、これを己の実力と勘違いした。民主党や財界に擦り寄ることで、票を取ろうとした。広島においては、さらに、旧来からの社共対立に輪が掛かり、共産党・全教は、自民党県議団の切り込み隊長として、広教組や社民党・新社会党に襲い掛かった。
しかし、そんなことは共産党に新たに支持をしだした層は期待していなかった。とにかく、右旋回をしだした自民党政治をどうにかして欲しい。こういうことだった。自身の右旋回は、ブーメランとなって共産党を襲った。右傾化の政治的果実は、石原知事、そして、最近では小泉総理が独り占めすることに結果した。
共産党は、全国レベルでは旧来自民批判がメインで、新自由主義への対抗は弱かった。そこで、鳩山民主党、小泉総理が登場すると、得票の半分は、民主党や自民党へ流出してしまった。
その後も低落は続き、結局、「確かな野党」を掲げだした。他野党から票を掠め取ろうという姑息な戦略である。選挙協力を断るときには、「草の根の世論を盛り上げる」といいながら、実際は、野党票というパイの取り合いしか考えていないのである。
セクト主義は論外。しかし、選挙協力も効果は限定的。こんなところに追い詰められた。
我々は、もはや、江田三郎先生の遺訓を一つ一つ現代にあわせてやっていくしかない。
憲法問題を例にとろう。左だからいけないのではない。ところが共産党は「護憲」を掲げながら、その枠内で最大限右へよろうとしている。
「海外で戦争をする国にさせない」というポスターはその最適な例である。
このポスターがでる二年前、実は私は、有事立法問題で、共産党系のメディアから取材を受け、そのコメントが載ったことがある。
そのとき、「この有事立法はアメリカの戦争に日本を参加させるものです、こんなものに住民を参加させることは公務員としていたたまれない」とまあ、自分としては普通の答えをしたところ、記者氏は「そうですね。まだ、日本が攻められた場合なら、地域を愛する公務員であるあなたは、先頭にたって戦いますよね?」といわれた。私は唖然とした。
現代の戦争は、日本のような高度文明・人口稠密地域では、一発でも急所にテロ攻撃でもされたら、お手上げである。携帯電話もつながらない。
そして、もちろん、サービス業も製造業も行政も全面停止である。
核兵器なら、東京に1Mトン爆弾一発落とせば、日本は戦争を続ける意味はない。「攻められても」「戦えない」のだ。
「攻められないようにする」しか、方法はない。これが冷厳な軍事的常識である。私は自衛隊をすぐになくせとは言わないが(典型的な着上陸攻撃、航空攻撃などに対して、思いとどまらせる効果はあるかもしれないが、逆に対日で着上陸攻撃、航空攻撃を行える能力があるのは世界でもアメリカくらいだろう。中国も北朝鮮もその能力はない。北朝鮮なら海を渡っている途中で飢え死にするのが落ちだろう。)、結論的には、非暴力的手段でしか、結局市民の命は守れないのである。そのことをはっきりいえないのが、日本共産党の呆れた実態である。
海外派兵に反対な人は多いだろうという意識で多数派工作をするつもりなのだろう。
しかし、そのような多数派は実は脆いものだ。今は、むしろゆっくり、ラジカルかつしかし現実的な護憲派(外交でしか究極的には国民を「保護」できない)を増やしていくほうが良い。むろん、海外で戦争ができることになることへの反対と車の両輪だ。しかし、向こうは国民の「不安」に付け込んで、改憲をして、さらに侵略的派兵もできるようにしようと狙っているのだ。
日本防衛のための改憲やむなし、と思わせたらいけない。結局一挙に持っていかれかねない。向こうはかしこい。「純粋な日本防衛」のための改憲をまずやって、それから改憲手続きを緩和。そして次は集団的な自衛権を行使できるようにするという二段階を踏んでくるかもしれない。
だから、その「不安」には正面から答えねばなるまい。党の方針として「海外で戦争をする国にさせない」では温い。「戦争をする国にさせない」で単純で分りやすい。大衆運動の場でどう考えるかは押し付けは出来ない。
しかし、やはり地道に原則的護憲派を増やすしかないだろう。自衛隊の是非の前に「戦争ができるかどうか」の現実的な議論をしていくことだ。
外交、そして、草の根レベルでの、非暴力による平和への動きを構想し、具体化していかねばならない。分りやすいコンセプトを示し支持を集めていくことだ。
経済も同じである。ラジカルなビジョンこそ、必要である。
人権・環境を守る社会的規制と一方で、適切な中小企業への支援、そして内需拡大策の連動を当面の戦略とする。最大のセーフティネットである地域経済の活性化を図る。そこを起点に、金融も含めて見直していく。
最新のビジネス動向への知識も欠かせない。旧来型の発想ではだめである。
単なる自民批判では駄目だ。市民のパワー、企業のパワー、そして、行政のパワーをうまく組み合わせて公的領域を創出していく新しい日本型社会主義を模索せねばなるまい。
小泉自民党の民営化路線への批判はもちろん必須だ。これは、結局、サービス切捨てと、利権の移動に過ぎないからだ。そんなのは常識だ。しかし、小泉批判に留まらず、民主的制御の元で、地域の経済社会をどう運営していくか。企業にも当然大いに貢献して頂かねば話にならない。そういう方向へ企業を誘導する施策もきめ細かくしなければならない。お金を溜め込んでいる企業に適切な投資をしてもらわねば経済のバランスは保たれない。それが財政再建の道だ。民主的な公共事業と、投資への補助金が私の二本柱の構想である。経済の民主的改革である。
それには、付け焼刃でなく、勉強しないと駄目である。柔軟な発想が求められる。
大い学び、大いに議論しよう。内輪にこもらず、外部人材との交流を進めよう。
マーケティングの考え方を取り入れ、コンセプトをはっきりさせてこそ、勝ち目がある。
共産党が、右傾化しているのは、相手と考え方が違って、自分が傷つくのを恐れている部分もあるのではないか?内部で議論がなく、ぬくぬくとしている仲良しクラブを維持していることと裏腹ではないか?しかしそれでは広がらない。
原則に立ち返り、しかし、周りの親兄弟、友人から説得を始めることだ。
地道な活動が必要だ。そして、学習である。不破さんの下手に歪んだ解説よりも、エンゲルスの原典に当たることをお勧めする。とりあえず「空想から科学へ」がお勧めである。驚くほど現代経済を予言している。それと最新のビジネス動向や国際動向の勉強を組み合わせたらよい。
経済で、平和で、人権で、多様な人材が、運動が各地で多数出る構造を作らねばならない。いろいろあってよいのだ。大いに提言し活動しよう。
そういう人材が得意分野を活かして普段は大いに活躍し、しかし、「いざ鎌倉」となれば、大きな目標へ一致して進む。総理の得意技である、分割統治を封じなければなるまい。そういう構造をつくらねばなるまい。
社会市民連合は、政党ではなく、市民の連合体である。上記の構造を作るため起爆剤となる所存である。
唯一前衛党論で引き回したり、スターリン主義的規約で縛っていることで人材を腐らせてきたのが、旧来左翼の悪弊である。
自民党は良くも悪くも進化している。利権の確保に必死なのだ。だから鵜の目鷹の目で、新しい情報を求め、自己革新する。そして、労働者を分割統治する。左翼は硬直し、冷戦後の大きなチャンスを失った。
今も実は大チャンスなのである。今のうちに基盤を作っていかねばなるまい。
日本型社会主義の実践を、市民の連合体である、私たち社会市民連合は、江田三郎先生の命日である今年の5月22日にスタートした。江田先生の弔い合戦というとオーバーだが、供養のためにも我々は、新しい日本型社会主義を実践して行かねばなるまい。
そのことと、車の両輪で、時間稼ぎとして選挙協力、そして小沢民主を口先だけでも、左へ寄せることがある。それは、社会の変革に熱心がゆえにできることだと私は確信する。しかし、やはり、軸は、基盤の育成である。
来年の江田先生没後30周年までには何らかの形を作ることを目標としたい。