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「現状分析と対抗戦略」討論欄

21世紀野党・市民派の課題

2006/06/25 音重子 30代 給与生活者( 連合系労組役員・社会市民連合代表幹事)

はじめに
 現在、2006年夏。小泉政権が発足から5年。橋本内閣が発足 し、構造改革がスタートしてから10年。

 この間の政治とは、要は、アメリカと一部金融資本のための 政治でした。
 お金持ちを優遇し、庶民には増税を続ける「税制改革」。そ して、アメリカの要求による様々な構造改革。労働条件の切り 下げ。社会保障の負担増。公共投資のカット。地方の切り捨て 。
 そして、アメリカの戦争に日本を参加させるための、新ガイ ドライン策定→有事立法→米軍再編・憲法「改正」への流れ。

 アメリカが進めるグローバリズムをまともに日本は支えてき た結果でもあります。

自民党政治の変質

 旧来自民党政治は、軍事的には小国、大企業労働者には企業 内福祉(終身雇用、年功序列)、農民・商工業者には補助金、 建設業者には公共事業を通じ変則型の社会民主主義でした。

 これは、1960年代から70年代初めくらいまでの激しい労働運 動、平和運動により、自民党が譲歩した結果でもあります。し かし、その貯金は、70年代半ばくらいから減り始め、80年代に は使い果たしてしまった。

 また、日本的システムへの批判が高まった。男女差別、環境 破壊、フリーターなどシステムから外れた人への冷たさ、そし て政治腐敗などです。

 これに対して、冷戦崩壊後、右から新自由主義によってこれ を変えていくという流れが強まった。それへの第一弾が、93年 夏の政権交代ですが、これは、アメリカや財界の目算に反し、 細川政権はアメリカからの自立志向を強めた。むろん、小選挙 区制の導入で、革新勢力の後退は図られました。社会党もこれ に自らの首を締める事に結果するのですが、荷担。

 かつては、クリーンイメージやマスコミの応援で、何でも反 対でもそれなりの求心力を社会党が持ってきたが、93年以降は 、新自由主義の新党が注目されだした。

 慌てた社会党は、94年に自社さ連立を組む。しかし、これが 寿命をちじめる結果になった。社会党は崩壊。自民党は、新進 党に引っ張られる形で96年から構造改革に転じます。一方で、 社会党の崩壊で一時期、共産党が伸びた時期もあった(96年か ら99年ごろ。)

 しかし、共産党も、98年の参院選大勝後、安保棚上げによる 政権論などを打ち出し、これが逆に「じゃあ民主党でいいじゃ ん」という人を出してしまった。2000年総選挙では、消費税減 税の旗を降ろしてしまった。結果、共産党も後退。以降二大政 党化が進みます。

 自民党は98年参院選で惨敗。小渕総理に後退し、ケインズ政 策を進めますが、一方で、周辺事態法などもしっかり整備。グ ローバリズム推進政権と、旧来自民政権の双方の側面を持ちま した。後継の森総理は不人気。2000年総選挙で民主党に都市部 で攻勢にさらされると、危機感が高まり、翌年の森総理の退陣 、ラジカルなネオリベの小泉総理の登場となったわけです。

 小泉総理は、今までの保守地盤は切り捨てつつも、既得権を 叩くかの幻想を醸し出し、国民をお互い「ざまあみろ」と思わ せあった。公務員と民間、正社員と非正規社員、高齢者と若者 や小さな子どもを持つ親。そして男女。これらを分割統治して 、溜飲を下げてもらい、保守以外からも得票。一方で依然政権 の座にあるので、以前よりは崩れたとはいえ、保守層もつなぎ とめ、2001年参院選、そして2005年総選挙では圧勝しました。

 一方、政治への不満が表れた2003年総選挙、2004年参院選で は自民党は苦戦し、単独過半数を取れませんでした。しかし、 票はもはや共産、社民にではなく、民主に行く時代となりまし た。共産、社民は退潮を続けました。とくに共産党は、2005年 総選挙では7.25%にまで得票率が落ち込み、60年ころの水準 に党勢が戻ってしまいました。

 2005年総選挙後、民主党は前原代表に変わるが、メール問題 などで失脚。小沢さんが後継者となりました。小沢さんは、消 費税引き上げの必要はない、日本的システムが最大のセーフテ ィネット、といった発言で、むしろ逆に旧来保守層に攻め込み ました。そして千葉7区補選で勝ちました。

 今、小泉政治の矛盾が、村上事件などで噴出。一方で、国民 投票法案、共謀罪創設法案、教育基本法「改正」案などが継続 審議となったものの、出されています。米軍再編も、岩国など の民意を無視して合意が強行されました。

野党のだらしなさが問題

 こうした中、私たちはどう考えればよいのか?

 今は、世の中が右によっている、として萎縮する向きもあり ます。しかし、それは悲観しすぎだと思います。

 一方で、情勢が厳しいからこそ、我々の出番だ、という論議 もある。しかし、これもおかしい。わたしは以下のように考え ます。

 一個の考えで引き回そうと思っている諸君にとっては、世の 中は「右傾化」しているように見える。

 たしかに、政府・金融資本・アメリカによる、構造改革、そ して、軍事化は大変危険です。それは当然です。また、少なく ない人々が分割統治されて、お互いがひどい目に遭うのに溜飲 を下げてしまっているのも憂慮すべき事態です。
 また、例えば所得が低下する中で「安かろう、悪かろう」に 頼らざるを得ない(例:フリーターが100円ラーメンで命をつ なぐ)、犠牲者がグローバリズムを歓迎せざるを得ない悪循環 もある。

 しかし、一方で、騙されたと気付く人も増えている。インタ ーネットなどで、きちんと情報を集め、ブッシュや小泉の嘘に 気付いている人も少なくない。保守層でも生活感覚、経営感覚 で、小泉政治はおかしいと気付いている人も多い。ただ、そう いう人の受け皿がないだけです。

 野党は、自己目的化しがちな「政権交代」を叫びつづける第 一党と、理念は良いが、古くは具体策の伴わないイデオロギー 、そして80年代末以降は「クリーンイメージ」に頼りすぎてい た、護憲派しかない状況が、90年代の後半以降続いた。

 そこへ、小泉さんが、改革を掲げて「擬似政権交代」をやり 、大掃除をしたような雰囲気を醸し出せば、野党は打つ手がな くなってしまったのです。

 小泉政治に不満を持つ人も、野党のだらしなさに呆れて、地 縁、血縁や利益誘導で、結局自民党、という人も多く出た。結 果、自民党が保守層も、無党派層もそれなりに固めて圧勝した のが、2001年参院選であり、2005年総選挙でした。

「クリーン」「反権力」に代わる軸を打ち出そう

 我々は、軸を打ち出さねばならない。新自由主義と軍事化に 対抗するラジカルな対抗軸を打ち出さねばならない。「左」的 な理念が悪いのではない。ビジョン、戦略がないのがいけない のです。思えば、81年の臨調「行革」から自民党の右旋回は始 まっていたのですが、それ以来、コツコツと自民党は粘り強く 強者のための国づくりに励んできた。それに対抗するために人 々が皆大切にされる国づくりを対置せねばならない。逆にいえ ば、思想性がないと戦えないのです。

 具体的に、財政と公共事業の問題を考えてみましょう。財政 赤字は90年代の公共事業が原因というのはもっともらしい。共 産党などもそう主張してきた。たしかに地方レベルでは、そう いうこともいえる。地方でやった公共投資の効果の少なくない 部分が大手ゼネコンを通じて、東京に漏れ出していた。ただ、 景気という意味では下支え効果はあり、国全体の経済は間違い なく押し上げていたし、やっていなかったら、大不況になって いたでしょう。

 だから、公共事業をカットしろというのは間違いである。す くなくとも今は、減らしすぎです。98年に40兆円あった公共投 資は24兆円まで減ってしまった。

 我々は、地域の経済が押し上げられるような公共投資を行え ばよい。そのためには、(小泉さんが言うような意味ではない 、真の意味での)分権、否地方主権です。地域の市民がお金を 出し合って、例えば環境に優しい交通システムや、エネルギー 供給などをするような事業を、行政も投資補助金などの形で応 援する。

 お金も地方でまず集めて、国は、地方からの分担金で維持す る、などのラジカルなビジョンが必要です。
 地方六団体は、そもそも地方のための財源なんだ、という発 想で「地方共有税」に交付税の名前を変えることを提起してい ますが、これでも良い。活発な議論がまず必要です。

 旧来の考えに凝り固まっていては、結局自民党を利するばか りです。自民党は、良くも悪くも、よく勉強して、戦略を練り 、柔軟に対応してきています。野党のほうが、80年代以降、硬 直し、「クリ-ンイメージ」と「ためにする権力批判」に終始 してきたつけが回っているのではないでしょうか?

 そして、結局妙に、政府側のイデオロギーに擦り寄る結果に なっている。共産党が、消費税減税を言わなくなったことなど が象徴的です。積極財政(公共投資にせよ、減税にせよ)が悪 いのではない。社会発展に適う改革とセットなら良いのです。

 いわゆるリベラル派も、反権力の勢い余って、公務員を安易 に叩いて自民党をアシストする傾向が大谷昭宏さんを中心に見 られます。ひどい場合には、田原総一郎さんのように完全に自 民党側に寝返った例もあります。

 平和についても同様です。ただただ護憲を叫ぶだけではだめ です。米軍、そして暴力に頼らない問題解決、外交のあり方の 具体策を提起していくことが大事です。一時期の社会党が、慌 てて理念まで投げ捨てたのは失敗でした。悪いのは、憲法九条 の理念ではない。具体策を提起し得なかった野党の力不足なの です。

 護憲運動が最近それなりに盛んなのは良い。しかし、議論を せずに、偉い人の話だけ聞いて終わり、では力にならない。自 分たちで議論して、それでやはり力になると思うのです。そん な地道な作業が必要です。そこから良いビジョンも生まれてき ます。そうでないと、結局「攻められたらどうする」とかそう いう問いに怯んでしまう。そして、身内にこもった観念的議論 に終始するか、一方で、妙に妥協して、色を薄めて逆に自分で も何を言っているか訳が分らなくなるか、ということになって しまいかねないのではないかと危惧します。

 軸を打ち出すこと。そして、それには地道な草の根での対話 と議論が必要なのです。

 お金持ちとアメリカ以外「みんな悪くなる」ことで溜飲を下 げてもらい、無党派層の支持を得ようとするのが小泉さん。

 そうではなく、「みんながよくなる」ことを政治の目標とせ ねばならない。すくなくとも、ひとり立ちして飯が食えないよ うな人を出してはならないと思います。そういう意味では江田 三郎さんがかつて出した「構造改革」に注目したい。労組だけ に偏りがちだった日本社会党を市民に広く支持される政党にし ようとした。労組員だけでなく、中小企業者、未組織労働者も 気軽に参加できる党にしようとしたわけです。

地道さと大胆なロマンを

 一方で、野党同士の思い切った共闘も必要です。それぞれ、 違ってそれでよい。しかし、一旦緩急あれば、連携する懐の広 さが必要です。「小異を捨てて大同に付く」というより「中異 を残して大同に付く」くらいでよい。

 今日(24日)、民・共・社・国の四党党首が会談し、日銀総 裁の辞任、米国産牛肉輸入再開反対、航空自衛隊を含むイラク からの即時撤退、米軍再編費用負担反対、内閣は国会軽視を改 めるべきだ、の計五点を含むアピールを発表しました。

 良いことです。できれば、4党首揃って街宣などしたら良い と思います。それぞれの違いはあるにせよ、自民党政権打倒で は一致して当たらねばならない。本気で対決する姿勢を示さね ば自民党も痛くも痒くもありません。

 とくに、「国会軽視を改めるべき」は重要です。民主主義の 根幹を回復することは、平和や人権を守る大前提です。国民新 党がこの課題にとりわけ熱心ですが、見習いたいものです。

 一方で、各党は独自色を持って政策を磨いていけばよい。そ れぞれ違ってそれでよい。相互の議論は大いにすべきである。 しかし、国民の利益のためには、一致団結する。これが大事な のです。選挙協力は国会内共闘ほどは簡単ではないが、やはり 逃げられない課題です。

 そして、ロマン。高杉晋作は、「政治風景とはこう押せばこ う変わる」というビジョンがあった。わずか数十騎の手勢で、 長州藩を乗っ取ったこの戦略センスを見てください。詳しくは 司馬遼太郎「世に棲む日日」を参照されたし。

 小泉総理にもそれがあった。そう、「改革イメージ」「クリ ーンイメージ」を民主党から奪えば、こっちのものだ。民主党 はハッキリしないので、自民党が改革イメージを掲げても、反 発する旧来支持層も結局下駄の雪のように自民党につく、と読 み切った。

 それは見事に的中した。野党にはロマンが欠けていた。民主 党は、政権交代に自己目的化し、共産党は、「たしかな野党」 として、他野党からの票を取ることが前面に出て「自民を減ら す」という大事な目標を軽視した。

 開き直って、総理とのコントラストを民主党ははっきりさせ るべきだった。また、共産党などは、社民党の悪口を言う前に 、保守層にも切り込むような思い切った戦略が必要だった。

 民主党は今、保守層に食い込む戦略に出ています。護憲派は 、小沢民主の先を行くビジョンを打ち出さねばならない。自民 も民主も怪しからん、とい前に、天下に今の危機を打開する策 を明らかにしていかねばなりません。

 その上での、天下を変えるための大胆な共闘です。2004年参 院選でもし野党がうまく共闘(票割)していれば、山形、埼玉 、富山、京都、大阪、鳥取、香川、愛媛、徳島、佐賀、熊本で 自民党を10議席、公明党を1議席減らせていました。自民39議 席、公明10議席の惨敗です。小泉総理の息の根は止まっていた 。総理を延命させたがために、2005年総選挙で与党圧勝を許し 、国民に多大な苦難をもたらしたのです。

 危機が深まれば、野党が有利になる。他野党が減れば、自分 の票が増える。そんな危機待望論、けち臭いセクト主義はこの 際、放棄すべきです。
 危機が深まれば、それはそれだけでは政治の革新にはつなが らない。むしろ、タカ派の進出か、あるいは、投票率の低下か 。いずれにせよろくなことはない。

 野党が力量をつけつつ共闘せねばならない。共闘と力量の拡 大は車の両輪であり、どちらかという問題ではない。

野党のあるべき新しい力量拡大

 その力量拡大も単純な党建設至上主義はNGです。もちろん、 浮動票頼みもNGです。そんなものは、いつ吹っ飛ぶか分らない 。

 一方で、党員をひたすら増やせ、機関紙をひたすら増やせ、 というのも考え物です。今の例えば共産党などでも、参院選に 結集した党員は55%に過ぎない。危機的状況です。共産党員と いうのはやる気まんまんの人ばかりのはずだった。それがこう いう状況になったことへの真摯な総括がなければならない。モ チベーションが上がるような方針。そして、一人一人を大事に する組織作り。建て直しのためには自由な議論が不可欠です。 そのなかから良い組織作り、そして、良い行動提起がなされる はずです。科学的社会主義=弁証法なのに、それが起きていな いことに危機感を覚えます。

 党外で党の見解と異なる意見を発表してはならない、などの 規約は時代遅れの古色蒼然とした「干からびた歌」です。多く の人が文字が読めなかったレーニン時代のロシアの革命軍の規 律を、高度に成熟した現代民主主義社会に持ち込むことがナン センスです。

 支部内では自由な議論ができる、というが、しかし、支部外 には持ち出せません。そうなると異論を持つ人の存在がお互い 見えにくい。結局異論が大きな流れにならないから、アウフヘ ーベンも起きない。良い方針、政策が出てくるはずがないので す。むろん、党中央の人は頭が良いからそれなりの物は出てく るが、どこか、浮いたものを最近は感じてしまいます。

 今の人が右傾化していると嘆く人もいるが「目が肥えてしま っている」といったほうが良いかもしれない。閉鎖的な体質を 鋭敏に分っている人は嗅ぎ取り、距離を置いてしまう。それで も、柔軟な地方議員などがいるから、彼ら彼女らのために票を 入れよう、そんな人も少なくない。「何党だけしかない」では なく、是々非々になっているわけです。これを「右傾化」など と片付けるべきではない。

 「流動化」の中で、自民党との競争に野党が負けているだけ の話です。むろん、インターネット社会の中で広がる批判世論 に党中央も答えざるを得ない。だから、共産党員の皆さんは、 もっと意見を言っていくべきだと思います。このままでは本当 に組織がボロボロになってしまいます。どこかで党中央は抜本 的民主化に転じなければならない。

 野党は、党員・支持者一人一人を大切にする。そして、その 上で、やはり、自覚的に政治にかかわるような人を増やしてい く。自覚的な市民派を増やし、彼ら、彼女らと是々非々で連携 していくことが大事だと思います。それができなくて社会主義 もあったものではない。生産手段の社会化とは、結局、連帯の 上にあるものではないか?そうでなければ国有・国管という話 になってしまう。

 政党の引き回しではない、市民運動が大量に起こらねばなら ない。今までは、妙に引き回したかと思うと、一切手を引く。 これではいけません。

 お互い、協力すべきは協力し、批判すべきは厳しく批判する 。そんな成熟した関係をつくっていかねばならない。批判され たらすぐ「反共」などとと脊髄反射するのはやめていただきた いものです。

 成熟社会にふさわしい、野党に脱皮せねばならない。自由な 議論ができる党風。統制委員会(共産党は今は規律委員会)で はなく調整員会が必要なるような横に連携する組織。広島市長 選で見せた柔軟さ。あれは良かった。共産党の諸君の目が輝い ていた。ああでなくてはならない。

 市民派もまた、連携主義を目指していかねばならない。一部 に、既成政党や、労働組合(とくに連合系)などを見下す風潮 があるのは残念です。あれらはイデオロギー色があるから駄目 だなどの観念がある。

 そうではない。政党も労働組合も大事な連携相手である。い ろいろあってそれで頑張ればよい。連携できることろは連携す ればよい。市民派が共産党のような「唯一前衛党」論的な独善 性に陥ってはいけません。共産党を他山の石とせねばなりませ ん。

 また市民派自体も軸を持たねばならない。2003年都知事選で は女性候補を立てたが惨敗しました。結局、護憲や男女共同参 画などには熱心でも、経済政策がはっきりしない市民派は、相 手にされないのです。このことはきちんと総括されねばならな いと思います。

 軸がないと、また結局政党への丸投げになり、変に政党に擦 り寄るか、逆に反発するかになってしまう。成熟した関係のた めにも軸は必要なのです。

二元論こそ敵

 二元論は敵である。あれか、これか、ではなく、車の両輪と して進めていくべきことはたくさんある。草の根で護憲派を増 やすことと選挙協力など。どっちがどっちかではない。共産党 の諸君の中に選挙協力に積極的な私に対して「偉い人の視点」 と非難する人がいますが的外れです。「俺たちは弱いものの視 点」といっているが今の執行部を見ると、疑わしいものです。

 弱者を出汁にして危機待望論に乗っかっているように見えま す。そして、草の根が大事といいながら、党派の引き回しの雰 囲気を醸し出し(九条の会の講演会で不破さんの本の宣伝をす るなど)ているのは問題です。正道にかえるなら、一人一人の 党員支持者を大事にする民主的政党に脱皮し、その上で民衆の ためにも打倒自民で選挙協力すべきです。二元論ではなく、ア ウフヘーベンこそ必要なのです。こんなことを「科学的社会主 義」の政党幹部に申し上げねばならないのは悲しいことですが 、直言せざるを得ません。

 「インターナショナル」など労働歌がダサいと背を向けてい る若手共産党員がいると聞いています。しかし、「インターナ ショナル」がダサいのではない。その精神を具体化するビジョ ンを、大蔵省イデオロギーに取り込まれた党が打ち出せていな いことを恥ずべきです。中国をやたら持ち上げ、その課題を直 言できないことを恥ずべきです。そして、非民主的な党の体質 を恥ずべきです。インターナショナルをダサいとか、それを歌 っている連合系(旧総評)労組がだめだとか、愚痴を言ってい る場合ではないのです。彼もまた一種の二元論に陥っているの です。

 課題だらけに見えますが、既に、30年前に江田三郎先生が提 起されたことばかりです。30年間、宿題を放っておいたとはい えないが、消化できていない、野党の努力不足は責められねば なりませんが、とにかく、前向きに取り組まねばなりません。 多くの江田三郎が出てくることを期待し、そこに確信をもちた いと思います。

 左派(あまりこの定義に意味はないが?)はインターナショ ナルを歌えばよい。しかし、未組織労働者、男女共同参画、中 小零細企業者といった幅広い連携を実践し、社会的連帯を広げ るため、理論武装し、思想性を持ちつつ、保守層とも連携しよ う。これが今の私の理論的到達点です。

平和への結集をめざす市民の風
http://kaze.fm/kaze.html
民主党
http://www.dpj.or.jp/
共産党
http://www.jcp.or.jp/
社民党
http://www.sdp.or.jp/
新社会党
http://www.sinsyakai.or.jp/
国民新党
http://www.kokumin.or.jp/
江田三郎が、いま、私たちに語りかけるもの
http://www.kokumin.or.jp/http://www.eda-jp.com/saburou/index.html