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「現状分析と対抗戦略」討論欄

共産党は屁理屈を言わずに「平和共同候補」の提案に乗る べきである(Ver1.1)

2006/06/27 原 仙作

 前回の投稿の「使い勝手」を良くするために改訂を試み た。名付けて「・・屁理屈を言わずに・・・Ver1.1」。共産 党員の皆さんに読んでもらうことを念頭に置き、論旨を簡明に すること、そのために、私のやりきれない気分が表出している ところや、冗長な部分などを削除することに力点を置いた。全 文の論旨は改訂前と同じだが、わかりやすい論理を用いるとい う点で「5、」の部分は全面的に書き改めた。その他、若干、 表現を変えた部分や意味を鮮明にするための補充をおこなって いるが、論旨に影響はない。場合によっては、Ver1.2やVer2.0 を出す予定。

共産党は屁理屈を言わずに「平和協同候補」の提案に乗るべき だ(Ver1.1)

1、
 この3月、市民グループが各界の多くの有識者を結集して「 平和への結集の訴え」(以下、「訴え」という。)という呼び かけを提案した。この「訴え」は巨大与党による改憲プロセス が加速する現状を憂え、来年の参議院選で護憲派議員を1/3 以上確保することをめざして、護憲派野党の結集と「平和共同 候補」の擁立を求めている。
 「訴え」の内容は柔軟で説得力に富み、かつ時宜に適した提 案になっている。現在の2大政党の枠組みの外にいる左翼ブロ ックとその諸政党は、憲法改悪阻止の政治課題を中心に、小異 を捨てて大同につく政治戦略を構想すべき時が来たことを自覚 するべきである。
 過去をふり返れば、日本の左翼ブロックは大同を忘れて小異 にはしり、小異のあれこれをめぐり、相互非難と相互排除の応 酬に明け暮れ、自滅の道を歩んできた。小異をめぐる相互非難 と相互排除の「習性」は日本の左翼ブロックの宿痾ともいうべ く、その宿痾ゆえにまた憲法も危機に瀕していることを想起す る時、この「訴え」は憲法改悪阻止の有力な戦略たりうると同 時に、左翼ブロックの「死の病」を克服する試金石たる役割を も併せもっている。

2、
 改憲の動きが着々と進む事態に危機感を覚え、「9条の会」 をはじめとして、多くの市民の運動が各地で進められているこ とは周知のことであるが、それら護憲運動総体のなかで最も遅 れているのが国会における護憲派勢力を拡大し、議席の1/3 を占拠する戦略と運動であることは異論のないところであろう 。
 護憲派勢力が抱えるこの立ち遅れを打開すべき責任と打開の イニシアチブを取るべき主体は、本来ならば、護憲派の各政党 であるはずである。しかし、護憲派政党における打開の動きは 微弱なものであり、また、護憲派各党が国民的結集軸としての 魅力を十分に兼ね備えていないがゆえに、あえて市民運動の側 が「平和共同候補」擁立の訴えを提起したものである。それゆ えに、護憲派政党ならば、渡りに舟ともいうべく、「訴え」は 真摯に検討されてしかるべきものであった。

3、
 去る5月20日、日本共産党は「参院選での『平和共同候補 』を求める運動について」(以下、略して「記事」という。) という記事を新聞「赤旗」に掲載した。この「記事」は来年の 参議院選での護憲派政党による選挙共闘、共同候補擁立を求め る「訴え」に対する共産党の拒否回答である。
 共産党の「記事」は、残念なことに、その形式から見ても、 内容から見ても、さらには「革命」政党としての矜持という点 でも無惨な姿をさらけ出していると言わざるを得ない。

4、
 現在の政治情勢や「訴え」の内容の重要性、そこに結集した 有識者の多さを考慮すれば、共産党の回答は責任の所在を明記 し、しかるべき党機関で検討したことを示す常任幹部会声明か 、中央委員会声明等として発表されるべきものであった。しば らく前の新社会党の申し入れに対する回答は浦田宣昭・幹部会 委員・国民運動委員会責任者名で公表されていたはずである。 明らかに、この「記事」は責任の所在の不明な文書である。
 新聞論評という体裁で出されたこの「記事」は記者の署名す らなく、最初から意図的に責任の所在を不明にしており、その こと一つ取ってみても、この党が「訴え」を真剣に取り扱う気 がないことを示しているのである。

5、
 拒否回答の内容を検討すると、総括的に言えば、この「記事 」は混乱の極みであり、党指導部の知的無惨さを伝えるものに なっている。「記事」が言う拒否理由は次の一文に示されてい る。

  「国政選挙で自党に属さない候補者を推すということは、その 党が、共同の候補者について、国政全般について自分たちおよ び自党の支持者を代表する権限を委任することを意味します。 だから、わが党は、国政選挙の共闘の場合、国政全般について の政策協定を結ぶことを、不可欠の条件の一つとして主張し、 この立場を一貫してつらぬいているのです。そして私たちは、 現在の日本の政党状況を見た場合、日本共産党との間で、・・ ・政策的一致と共闘の意思をもった政党は存在しない、という 判断をしています。この判断は・・・党の大会その他で確認し 、公表しているところです。」

 この議論では、「政策的一致と共闘の意思をもった政党は存 在しない」という党の判断があるから、政党であれ、個人であ れ、共産党が国政選挙で共闘できる相手はいないと主張してい ることになる。はて、面妖な議論ではないか。共闘できる他の 「政党は存在しない」とは、文字通り、他の政党が存在しない ということであって、他の候補者個人まで「存在しない」と主 張しているわけではない。事実を見ればわかるように、200 4年の参議院選では沖縄選挙区で、共産党は糸数候補を推して いる。
 したがって、他の政党とは共闘できなくても、政党ではない 個人としての「平和共同候補」を推薦することはできるはずで ある。「記事」が他の「政党は存在しない」という判断を持ち 出して、その判断を個人としての「平和共同候補」まで拒否す る理由にすることは、この判断の不当な拡大解釈であり乱用と 言わざるを得ず、また糸数候補推薦の実例にも矛盾するものに なっている。この文章の拒否理由には、政党と個人を混同する という点で、形式論理からみても単純な誤りがある。

6、
 次に拒否理由の核心である「政策的一致と共闘の意思をもっ た政党は存在しない」という判断のそもそもの意味内容を探っ てみよう。「記事」は「党の大会その他で確認」しているとい うが、党綱領に次ぐ共産党の最重要文書である大会決議を見る と、それとおぼしき文言は第22回党大会決議にただ一箇所あ るだけである。以下のものがそれである。

  「現在の政党状況でいえば、国会内で悪政に反対する限定的な 課題での共闘がはじまったのは、この間の新しい変化だが、民 主的改革の政権の目標を共有して、連合ができる政党はまだ存 在していない。」(「第22回党大会決議」「前衛」2001 年2月臨時増刊、35ページ)

 この文章からわかるように「連合ができる政党は存在しない 」という判断は「民主的改革の政権の目標を共有」するという 基準での判断である。つまり、連合政権の相手となる政党は存 在しないと言っているのであって、連合政権のレベルでない政 党間共闘については、この文言は何も述べていないのである。
 「訴え」の提起は連合政権のための国政選挙共闘ではないの であるから、この大会決議などを持ち出して拒否回答の理由に することは御門違いであり、党大会決議の文言を不当に拡大解 釈しているか、誤解していることになる。

7、
 念のために、ここで引用した22回大会決議の文章の淵源を 訪ねてみると、第21回党大会(1997年)における中央委 員会報告に行き着く。この党大会が開かれたのは、1998年 の参議院選挙における820万票という史上最高の得票数を得 た年の前年にあたり、都議選、衆議院選と躍進した時期である 。衆議院で100議席超、参議院で数十議席という目標を打ち 出したのもこの党大会の中央委員会報告であり、報告者は不破 哲三常任幹部会委員長(当時)である。中央委員会報告は次の ように述べている。

  「決議案が民主連合政府という方向づけをあらためてしめした ことから、いったい連合の相手となる政党はあるのか、あると すればどこか、そういう疑問も、若干の同志からだされました 。・・・現在の政党状況の問題としていえば、現在、国政のレ ベルで、民主的改革で共同できる政党は存在しませんが、この 政党状況を、長期にわたる固定した状況として決めてかかる必 要はどこにもないわけであります。」(「前衛」1997年1 1月臨時増刊、66ページ)

 もはや明確ではあるまいか? 「記事」がいう他の「政党は 存在しない」という判断は連合政権の相手としての政党のこと である。
 「記事」は、政党間選挙共闘と候補者個人を推す選挙共闘を 混同した議論を行ったばかりでなく、党大会決議さえ誤解して 「訴え」を拒否したことになるのである。これは一体、どうい うことであろうか?
 端から「訴え」を真剣に検討する気がないからであり、はじ めに拒否回答ありきということで、無理に拒否の理由を作文し たからである。

8、
 なお、政権レベルでの「政策的一致と共闘の意思」に関して も、過去においては、共産党の主張は現在よりはるかに柔軟で あったことを指摘しないわけにはいかない。いささか古い例を 挙げれば、第7回党大会(再建党大会1958年)における「 綱領問題についての中央委員会の報告」で宮本顕治常任幹部会 員(当時)は次のように述べていた。

  「統一戦線が樹立されるまでの過程で、よりましな政府の可能 性の問題について無関心であってはならない。・・・米日反動 の支配を部分的にも一時的にさまたげうるような政府ができる 場合には、一定の条件のもとで、それを支持することをさける べきではない。」(「前衛」1958年臨時増刊、No145、 126ページ)

 また、第15回党大会(1980年)では、宮本委員長(当 時)は「冒頭発言」で、前述のみずからの報告を引用し次のよ うに述べている。

  「わが党こそは『よりまし政府』問題についての明確な方針に もとづき、1960年の岸内閣退陣運動のなかで、また、19 74年の田中金権内閣打倒運動のなかで、また1976年の総 選挙の終盤のなかで実践的提起をおこなっており、わが党こそ この構想の創設者です。」(「前衛」1980年4月臨時増刊 、24ページ)

 この発言のすぐ後には、具体的な例を次のように示している 。

  「岸内閣、田中内閣末期のものは、暫定選管内閣の提案であり 、1976年の総選挙の終盤でのわが党の提案では、ロッキー ド疑獄究明と、小選挙区制に反対し、国民生活擁護の暫定政権 内閣の提案であり、主たる目標は、自民党が過半数を割ったと きの自民党後継内閣を阻止するという限定した目標のものでし た。」(同24ページ)

 以上のように、共産党は時の政治情勢に対応して様々なレベ ルでの「政策的一致」による政権構想を示してきたのであり、 近い事例では1998年の不破委員長(当時)による安保凍結 の連合政権論をあげることもできる。
 このように見てくると、「記事」における「政策的一致と共 闘の意思」という拒否理由は、論理破綻しているうえに、時の 政治情勢ぬきの非常に硬直的なものであり、共産党の過去の主 張とも異なることが明瞭になる。宮本委員長時代の主張からす れば、現在なら、憲法改悪阻止のための共同にはじまり、国政 選挙における護憲派共闘ぐらいは当然のこととして主張するの ではあるまいか。

9、
 今年1月に開かれ第24回党大会における大会決議にも「記 事」が主張するような他の「政党は存在しない」という文言は ない。ただし、志位委員長による「中央委員会報告」において 「他党派との共同をどう考えるのか」という質問にたいして以 下のような回答がなされている。この質問は一般的な言い方に なっており、個別の政治課題での共同から、政権を担う共同ま でを含んだ質問になっていることを注意して、志位委員長の回 答を見てみよう。

  「国政選挙での共闘は、国政の基本問題での政策的一致と、先 方に共闘をおこなう意志が必要であり、その条件がある相手は 、全国政党としては、現在は存在していません。」

 この回答は一般的な表現になっていて、従来の見解とは異な る。すでに見たように、従来の見解では、明確に政権共闘の相 手としては存在していないと限定的に述べていたのであるが、 志位報告では無限定な一般的な表現になっており、政権レベル はおろか、政権レベルではない当面する政治課題(例えば、憲 法改悪阻止)での共闘であっても、「政策的一致」と「意志」 のある政党が「現在は存在しません。」と回答しているわけで ある。
 共産党の現実認識が深化(?)した結果であるのか、従来の 見解を忘れて、不用意に一般化した表現を用いてしまったのか は不明であるが、いずれにしても、この志位見解は事実上、訂 正されていると見なされなければならない。というのは、3月 23日の「赤旗」によれば、22日に志位委員長は福島社民党 党首と懇談し、「改憲阻止と国民投票法案反対で一致」したと 書かれており、「志位氏と福島氏は、今後、必要に応じて話し 合いをもっていくことでも一致しました。」(共産党HPによ る)という記事になっているからである。
 時の政治情勢が求める政治課題で「政策的一致」ができ、「 共闘をおこなう意志」がありそうな政党が出てきたわけである 。したがって、志位報告の深化(?)した認識部分は事実上、 訂正されており、その結果として、志位報告は不可避的に従来 の見解に復帰するほかないのである。
 「記事」が唯一頼りにできる志位報告がかかる有様であるか ら、連合政権の相手となる政党が「存在しない」という10年 前の大会決議の判断があっても、「平和共同候補」の話はもち ろんのこと、連合政権レベルのものではない政党間の国政選挙 共闘も可能なはずである。

10、
 ところで、「記事」が頑なに主張するところの「政策的一致 」の内容、あるいは志位委員長が上記引用で言う「国政の基本 問題での政策的一致」の内容とは何であるかを見ておく必要が ある。
 「記事」はその内容を伝えてないので共産党の文書から採り 上げると、かつての「革新3目標」と言われたものであり、現 在では民主連合政府の政策となる「日本改革の提案」である。 それは3点にまとめられる。(1)日米安保条約を破棄して独 立、非同盟、中立の日本をめざすこと、(2)大企業中心から 国民生活中心に経済政策を切り替え国民生活を豊かにすること 、(3) 憲法の全条項を守り、自由と民主主義が充実・発展 する日本をめざす、ということである。
 さて、現在、憲法改悪の日程が着々と進んでいる政治情勢の 下で、この3点を「政策的一致点」としなければ、国政選挙の 上で何らの共闘関係も築けないというのが「記事」の主張であ るが、はたして、このような主張は適切なものだと言えるであ ろうか?
 簡単に言えば、「記事」の主張は、独立、安保破棄が「政策 的一致」に入っていなければ、改憲阻止のための国政選挙上の 共闘ができないと主張しているのである。実に馬鹿げた主張で はないか。過去に、独立、安保破棄ぬきで選挙管理の暫定政権 や小選挙区反対の暫定政権論を提起していた主張とも矛盾する ではないか。
 「訴え」の提起は政権共闘ではないのであるから、独立、安 保破棄という政策を持ち込む理由は全くないはずである。

11、
 「記事」は「訴え」の提起を拒否したうえで、現在必要なも のは国政選挙における共闘ではなく、草の根のレベルで護憲派 を多数派に結集する運動だと主張している。しかし、この主張 もためにする議論であり、両方が必要なことは言うまでもない 。あれかこれかと意図的に対立させるのは愚の骨頂であり、「 訴え」の提案に対する対案の欠如を糊塗する政治的貧困ぶりを 示すだけである。
 周知のように、市民レベルでは「9条の会」をはじめとして 多くの護憲運動が進んでいるが、遅れているのは国会内で護憲 派を1/3獲得するための戦略と運動である。「訴え」はその ことを問題にしているわけであり、決して草の根の護憲運動を 軽視しているわけではない。「記事」がありもしない対立を作 り上げて「訴え」を批判することは共産党の品性を貶めるだけ でなく、改憲をめぐる現状認識が非常に安易なものであること を物語っている。

 共産党のように、あれかこれかと対立させ、草の根のレベル で多数派化運動を進めることを強調し、国民の多数を護憲派に 獲得できれば、それだけで国民投票で改憲案を否決できるかの ように考えるのは楽観的すぎる。いざ、国民投票が実施となれ ば、言論戦の騒がしさはあれ、事態は粛々と投票日に向かって 進むと予想することはできない。
 日本には4万の米軍が駐留しており、爆弾テロや国籍不明の ミサイル攻撃などの不測の事態が勃発し、国論が一挙に国防強 化へ沸騰することもありえるわけで、そうした事態になれば、 草の根の多数派運動で得た陣地も一挙に吹き飛ばされる可能性 がある。それだから、護憲派は改憲への道筋に何重にも関門を 作り出すべきであり、当面のことで言えば、国民投票法を成立 させないこと、さらには来年の参議院選で護憲派議員を1/3 以上獲得し、改憲を国会で発議させないことが必要なのである 。漫然と、草の根での多数派化運動を進めるだけでは戦略なき 護憲運動というべきである。

12、
 「記事」はまた、「訴え」の内容は事実上、新社会党の「応 援団」ではないかと批判しているが、「訴え」への対案も提起 できずに猜疑心だけは旺盛なようである。「記事」による批判 の論法は、仮に天皇が護憲論をぶてば、共産党は天皇の「応援 団」だという議論である。このような論法を用いて他者を批判 するべきではない。
 良いではないか。「訴え」の政治戦略が改憲阻止の有効な力 となるならば、その政治戦略がある党に利益をもたらそうが、 有利に働こうがいっこうにかまわないではないか。
 「訴え」の提案は共産党にも多くの利益をもたらすはずであ るが、それとも共産党にだけ有利な政治戦略でなければ嫌だと でもいうのであろうか?

13、
 「記事」は、「訴え」を拒否する理由が不十分だと感じてお り、「訴え」の内容には書かれていないことを持ち出して批判 している。「訴え」の提案者がシンポジウムの案内をする記者 会見で言ったとかいう発言を取り上げて、市民運動が政党に「 指図する」のは「政党の自立性の全面否定」だとか、あるいは 対立候補で「脅かそう」とするのは「策略的で非民主的だ」と 批判するわけであるが、はて、共産党も随分やわな政党になっ たものではないか?
 戦前の治安維持法にさえ屈しなかった共産党に、何の権力も 権限もない市民団体が「指図」できるわけがないではないか。 選挙戦では対立候補が立つのは民主主義が当然にも要請すると ころであり、それをもって「脅かそう」としていると感じるの は被害妄想にすぎない。

14、
 共産党は、1997年とは異なった現在の政治情勢、ことに 政府与党が衆議院の2/3を越える巨大与党となり、憲法改悪 の日程が急進している政治情勢を直視し、1980年の社公合 意以降、党の命運をかけた「革新無党派との共同」四半世紀の 帰結を目を背けずに見るべきである。上に引用した第21回党 大会で不破委員長(当時)の「結語」は次のように述べていた はずである。

  「私たちは無党派勢力とわが党との共同が、21世紀の民主的 政権にせまるカギをにぎっていると位置づけています。この方 針はいつだしたかというと、社会党が『社公合意』で右転落し た翌月、1980年2月に開かれた第15回党大会で打ち出し た方針です。」(同上、91ページ)

 最近は、無党派との共同を強調する代わりに、「草の根との 結びつき」というような表現が多くなったが、言葉を換えれば 現実が変わるものではない。共産党は「訴え」を政党間国政選 挙共闘の提案と見る狭い視野を払拭するべきである。「訴え」 を受動的にではなく変革者の目で見たまえ。そうすれば、そこ に改憲阻止の展望と「革新無党派との共同」へ進む入口がある のが見えてくるはずである。