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「現状分析と対抗戦略」討論欄

共産党は"歌"を忘れよ(2)---宮本・不破・志位路線の破綻を直視せよ

2006/06/30 音重子 30代 給与生活者(連合系労働組合役員、社会市民連合代表幹事)

 「共産党は、良いことは言うのだが・・・」という声をよく聞く。

 よほどゴリゴリの保守派とか反共とか、そういう方でない限り、 そう大きな異論を共産党の政策そのものに感ずる人は多くはない と思う。

 しかし、党勢は伸び悩むどころか、衰勢を続けている。人々が豊かになると、意識が帝国主義化するなどという新左翼的な分析もあるが、しかし、最近ではむしろ人々の多くが貧しくなっているのにそれでも共産党は低落しているのだから、それは実はあまり、当てはまらない。むしろ豊かなときのほうが、いろいろな市民運動とかをする余裕も人々にあったわけで、いわゆる窮乏革命論はナンセンスであろう。

 やはり、党のやり方に問題があったと分析するより他ない。最初に結論から申し上げてしまえば、「共産党は"歌"を忘れよ」ということだ。ここでいう「歌」とは、イデオロギーというよりは、体質や運動のやり方のことだと思う。

 共産党は、宮本顕治さんが執行部を握ってから、議会主義路線を取るようになった。これ自体は間違いではない。議会で多数派を取ることを通じて、改革を進めるより、先進国では有り得ないからだ。

 問題は、大衆運動の軽視だ。そして労働運動の軽視。それと、平和運動や労働運動の引き回しを表裏一体でやってきた。このことではないだろうか?大衆運動も選挙も「あれかこれか」ではなく、どちらも大事なのである。大衆運動も選挙も労働運動もしましょう。これでよいのである。しかし、選挙、党建設至上主義に陥った。

 1963年の公労協のストに対して、共産党は「敵の挑発に乗るな」などと訳の分らぬ理屈で、妨害。翌年、広島県原水禁を分裂させました。平和運動・労働運動における共産党の権威は地に落ちました。1980年代末には、広教組を分裂させ、その後の平和教育潰しでは自民党県議団の斬りこみ隊長の役割を果たしました。

 要は、票のためなら、何でもあり、労働者や弱者の権利は見捨てても、ということなのです。最近の自衛隊容認、君が代・天皇制容認も、弱者のため、あるいは国民全体の利益を考えてのものではなく、自民党側のイデオロギーに擦り寄ることが「現実主義」であり、票になると考えているためです。ところが、それが、さらなる世の中の反動化を招き、ブーメランのように共産党を襲ったのです。共産党に続いて平和教育潰しの先鋒に立った保守系県議は、平和教育がひとしきり潰れると今度は共産党に牙を向きました。直近の選挙では 同県議は、反共丸出し演説をぶって、圧勝しました。「反共ばかりでけしからん」と友人の党員は言っていましたが、とんでもない。自分たちが怪物を育てたことへの反省がない。

 それでも、宮本顕治さんの時代のとくに前半は、筋を通していたからまだ良い。しかし、72年の新日和見主義事件で、大衆運動を熱心にしていた民青の幹部を、「分派」と決め付け、排除した。大衆運動をやっていれば党の上意下達の理論とはずれてくることも当然あります。それを分派とは聞いて呆れます。そして、80年代に入ると孤立化の道を驀進。むろん社会党側の問題もありますが、共産党側が社会党に早めに死亡宣告して追い込んでしまったことも大きい。そしてせっかく統一していた原水禁運動も、85年からまた分裂させた上、統一志向の党員を全員除籍した。吉田嘉清さん、古在由重さんらです。

 そして、ひたすら、選挙闘争に重点を置いた。大衆運動を下手にやるとどうしても異分子が入ってくる。だからなるべくしようとはしなかった。「母屋を貸してひさしを取られる」という議論がはやったということです。

 労働運動の分野でも共産党の体たらくは目を覆わんばかりでした。「政党支持の自由」を共産党は組合内で主張したのは一見正論である。しかし、文脈を考えないといけない。結局、主流派の足を引っ張りたいだけ、自分たちで覇権を取りたいだけのけち臭い観念に囚われているのです。

 ある組合では、1960年代半ばに共産党から社会党に主導権が移ってから活動の民主化が急速に進み、組合の体質も強くなった。

 私も、何でもかんでも選挙で推せばよいのと思っているのではない。普段の組合活動に分会レベルから熱心に取り組んで、その延長線上に「やっぱりひとりくらい、俺たちの代表がそうはいっても議会に必要だよな」というある種のコンセンサスができる。その上に、選挙闘争にも取り組もうということになるのです。むろん、山岸連合会長の下で、政治に傾きすぎたことは反省せねばなりません。労働者の権利を向上し、住民サービスの向上を求める戦いの延長線上に、取り組めばよい。

 そして、最近では、労働組合にも「市民性」が求められている。市民的な課題に取り組む人との連携が必要である。かつて、社会党の組織内議員に欠落しがちだったのはこの市民的感覚である。江田三郎先生もだから、一旦、労組による機関決定支持は取り払うべきと主張された。当時としては一つのアイデアだったと思う。これは共産党の言うけち臭い文脈でのそれとは違う。共産党は、自由をいいながら、結局組合を分裂させ、反動勢力を利したのだ。いっていることではなく、やっていることをみなければならない。共産党は、一般組合員に活動をさせない。イベントなども、幹部だけの身内でやってしまう。私のところの組合では、ある意味割り当て動員では来るが、しかし、疲れたけど、参加してよかったという感想が一般組合員から結構出てくる。それなりのモノをつくれていると自負している。私のような共産党員(当時)でも、社民党系、解放同盟系の幹部が話し合って、学習会の講師に起用してくれた。懐の広さに感謝している。党と違うことをいったら除名という共産党とは大違いなのである。

 話がそれた。労組も市民的感覚無くして生き残れない。だから、NPOへの支援に自治労なども取り組んでいる。そういうことも踏まえた上での組合活動、そして組織内議員の活動にしていくことだろう。むろん、組織内議員への支援を強制はしない。お願いはするが、強制はしない。相手の意思を尊重するオルグを幹部として心がけてきた積りだ。

 共産党のもう一つは、潔癖主義が問題であろう。クリーンを売り物にしすぎる。しかし、それは自分の首をしめることになる。我々はチャレンジャーであり、政権をひっくり返そうというのが目標である。クリーンであることは、野党としては良いだろうし、もちろん、敵に漬け込まれないために必要な面はある。しかし、そればかりに頼っている者もいるようだ。亀井さん=ダーティー、小泉さん=クリーンという雰囲気が醸し出されてしまうと、共産党は打つ手がなくなってしまった。じゃあ、小泉さんでいいじゃん、ということになってしまう。しかし、実際には、小泉さんこそ、金融帝国主義の手先である。そしてイラク派兵を強行した張本人である。亀井さんは、死刑反対に見られるような人権派であり、伝統的社民主義者である。むろん、共産党は選挙戦中、国民新党の批判は控えていたようだ。しかし、社民党批判は相変わらずである。どうしようもないな、と思う。

 敵が誰か忘れている。自民党政権が、共産党が主導しない形で打倒されたら自分たちの存在感がなくなると思っているのだろう。「小泉を倒して何になる」と平気で言う党員は、反小泉無党派層を共産党から遠ざけていることに気付いていない。

 政治献金を自分がもらわないのは良い。しかし、政治献金が問題なのはバランスが崩れることである。崩れない範囲なら、そう目くじらをたてるべき話ではない。企業としての献金は法理論的にまずいだろうが、経営者個人なら良いだろう。額の制限と透明性を強化すればよい。

 労働組合員が献金することももちろん良い。組合としてではなく、あくまで組合が取りまとめる形で、組合員の自由意志で一口1000円とか、献金するならよかろう。結局、権力を握って何でもありの、与党を利していることに気付くべきである。単純な正義感だけで世の中は変えられない。

 否、政治とは一定程度ドロドロしている。共産党の地方議員だって、陳情を受けて、役所に話しに行くことはよくあるではないか?

 地域の代表、族議員だって必要なのである。ただ、自分だけの利益を主張するのではなく、他の地域や階層の人々も「一緒に良くなる」方向で自分たちの利益をどう位置付けていくか、という視座を持つことがこれから必要になってくるのである。こういう議論をしていかねばならない。族議員を否定した結果が、経済財政諮問会議である。大手企業の代表だけで何もかも決めてしまうのだ。

 族議員叩きのあまり、宮内議長のようなトンでもない怪物が出てきたことには共産党も責任は免れない。

 共産党は、屁のツッパリにもならない弱小勢力に国会では転落。慌てて、大衆運動重視のポーズを見せだした。そして、選挙協力を求めてきた私や「平和への結集」に対して、批難を浴びせている。「草の根が大事」などと。冗談ではない。宮本-不破-志位体制のもとで、大衆運動を軽視し、議会主義のためにむしろ大衆運動のラジカル派を「偽左翼」(カクマル、中核などの内ゲバ集団とは関係ない人まで)と決め付け、排除してきたのはどこの誰だろうか?

 私は、人殺しにつながる有事法制反対のため、イラク戦争阻止のため、草の根での幅広い結集を目指して動いてきた。ところが、広島県委員会の青年担当M氏は、「偽左翼と付き合うな」と私をけん制してきた。イラク戦争や広島市長選が目前に迫っていた2003年1月の段階でも、「偽左翼と手を切れ」と迫ってきた。

 何を寝ぼけたことを言っているのだ。平和の市政を継続させねばならない。
 そう思って、必死で取り組んでいたのに、後から鉄砲玉を撃ち掛けたのだ。

 しかし、私は、そのまま突進した。それは3.2のNOWAR NODUの人文字に結実させることが出来た。「Mの言うことと反対の事をすれば万事上手くいく」そう、私は確信を深めた。

 組合の要職も引き受けることにした。積極的に、原水爆禁止世界大会(原水禁系)にも係わることにした。労働運動と市民運動の両輪を進める方針を貫くこととした。そのころ、イラク戦争の被害のひどさをアル・アリ先生から生々しく伺った私は、イラク戦争を一刻も早く止めねばならない、また日本政府のイラク戦争支援を止めさせねばならない、派兵を止めねばならない。憲法9条は人を殺さないため。その人殺し支援のための派兵は止めねばならない。こう考えたのだ。そのためには、なんとしても選挙協力が必要と考えた。

 私は、比例区は共産党、しかし、小選挙区は広島3区は「金子哲夫さん(社民前職)」、広島1区は「柿沼正明さん(民主新人)」で取り組んだ。消費税廃止の持論をもつ柿沼さんについては、経済政策とイラク派兵反対での一致があると判断し、組合活動の中で取り組んだ。金子さんも、連合広島推薦候補。私は、毎土日を金子事務所で過ごした。

 開票の日、私は、終電を逃して、宿泊。枕もとには、当選すれば金子さんが渡されるはずの花束が無残にも置かれている。日本共産党始まって以来、社会党候補の事務所に泊まるという快挙を成し遂げたのだ。選挙結果は社共とも大惨敗。

 この後、私は、ますます、選挙共闘を求める思いを募らせていく。しかし、執行部はセクト主義を強めつつの右旋回という最悪のコースを辿っていく。M氏は、「社民、新社会は核兵器肯定」などと訳の分らない妄言を続ける。まったく嫌気が差してしまう。

 いつも「共産党はこう変わらねばならない」と述べてきた私だが「そんなこといってもいつまでたっても変わらないじゃないか」という古くからの友人らの声にぐうの音も出なかった。江田先生の離党の日に、旧知の友人から「お前の力は共産党では活かせない。民主党へ移って選挙に出ろ」と進められる。思い悩んだ私だが、その後も、セクト主義的対応、スターリン主義的対応を改めない共産党に失望し、江田先生の命日の5月22日に離党した。

 執行部の路線は破綻し、2004年参院選、惨敗。2005年総選挙、議席は維持も、得票率は7.25%で、89年参院選以来の大惨敗。60年ころの勢力に逆戻りしてしまった。

 共産党の諸君は、今ころになって私を「偉い人の視点」などと批判している。

 そして、議会で屁のツッパリにもならない勢力に転落し、大慌ててで九条の会などに取り組む姿は無様そのものである。

 なぜ、もっと、早い段階で、私のように、幅広い市民運動に取り組まなかったのか?そうしておれば、多くの党員が、やはり選挙協力だという方向に心を向けることになっただろう。真剣に困った人に向き合えば、必然的にそうなってくるはずだ。小選挙区で泡沫候補を立てるなどという暇はないと気付くはずだ。

 普段から大衆運動をせずに、選挙だけ動員をかけるからおかしなことになるのである。身内さえ固められない大衆運動とは何なのか?

 そして、散々、2003、2004、2005と戦術を誤っておいて、大後退した挙句に「草の根が大事」とは噴飯者である。顔を洗って出直すべきであろう。不慣れなものだから、ついつい、引き回してしまうのだ。否、結局、選挙で自党がそこそこの議席さえ取れればよいうけち臭い観念であろうか?そして開き直りである。

 地道な運動を進める一方で、政局を回天させる戦術を考える。このことは矛盾しないし、むしろ両立する。チャレンジャーであるのに、安穏としてビジョンも戦略も戦術もなしに、俺たちだけが正しい、では話にならない。

 共産党は"歌"を忘れよ。「干からびた歌手」は干からびた歌しか歌えない。一から出直せ。教育基本法、憲法改悪、本気で阻止する気があるのか?言っていることよりも、行動を注視する。

 愛する人がいるこの党の再生を願っている。大手術が必要だろう。それができるのかはわからない。しかし、我々は、つねに門戸を開いている。歩める人とは共に歩みたい。