小泉政府のやってきたことは、公共投資を中心とした財政支出の絞込みと、労働の規制緩和の二本立てといって差し支えないでしょう。
現状、この双方に対抗することが必要です。
一つは、財政出動をしなかったことで、この10年間、GDPは殆ど伸びず、税収も伸びなかった。欧米ではGDPが1.3倍から1.4倍に なるのは常識です。アメリカなどクリントン政権時にそこそこの財政出動をしたことが知られています。この点で、国民新党の政策は正しい。財政出動をしないと、では労働者の条件を引き上げろといっても、企業はうんとは言わないでしょう。大もうけしている大企業は良いとしても、中小零細の苦しい事情への配慮が必要である。
一方、しかし、財政出動だけで今の景気が良くなるようにも思えない。中小企業、そして労働者が陥没しているからです。大手企業の 労働者には恩恵が回っても、非正規雇用労働者や中小零細企業に回らない恐れもある。だから、小沢一郎さんも言っているような、「終身雇用と年功序列」の復活がまず最低条件となると思います。そして、非正規雇用でも、労働時間が正規雇用より短いだけ(短時間正社員)にするなどの対応が必要でしょう。
そして、それに、ラジカルな市民派的な文脈での男女共同参画が必要になってくる。中年男性優位の旧体制復活では、女性や若者の支持は得られない。「小沢+亀井」政策だけでは、(猪口大臣を登用し、「セレブ」女性をもてはやすなど、表面的な男女共同参画を掲げている)自民党に傾いている女性や若者の支持が得にくい。
これらをアウフヘーベンできるような政策構想が求められています。裏を返せばそれは、私の持論である、労働者、市民派、良心的保守層の連携によって可能となることではないかと思います。それが新しい日本型社会主義の営みを可能にしていくのではないか、という 確信をもっています。政党間共闘も良いが、もうひとつは、幅広い人々による議論の場を作っていくことが急がば回れではないかと思います。
左派は70年代前半をピークとして(共産党は73年都議選が峰だったろう。)
後退させられてきた。社会党も含めて労働者としてだけでなく市民としての動きも出てきたのに乗り遅れた面も否めない。ただ、一方で、「市民」(生活者)にも弱点があった。
ともすれば、結局、市民派的な知識人の多くは、冷戦崩壊後、権力批判が勢い余って、公共批判、日本的システム批判に変質し、新進→民主右派に代表される新自由主義へ転向しついに、小泉自民に取り込まれた。
田原総一郎さん、テリ-伊藤さんが好例です。政治家でいえば仙石由人さん、枝野幸雄さんなどが市民派的新自由主義者です。女性・若者の多くも旧体制への不満からそちらへ流れていった人も多い。
一方で、保守層の自民党からの離反も進んだ。共産党の組織票が衰弱する一方で、保守的な人も含む無党派層からかなり得票している(2005年都議選では無党派の2割)のはその象徴です。
しかし、通り一遍な活動では、事態は打開できない。危機待望論も危ういものです。共産党は、社会的連帯を進めるべきと24回大会で決議した。これは正しい。そうであるならば、労働組合、市民派、そして保守層などを連携させるようなビジョンと戦略が不可欠です。そういう政策を打ち出すと共に、議論によるアウフヘーベンの場を作っていく。
無党派層といっても一様ではない。マスコミ・TVに影響されやすい人から、自分の頭で考えるような人。それと、組織票。これは革新のイデオロギーでの組織票と、利益誘導や地縁・血縁による保守の組織票。現代社会では、組織票が崩れ、マスコミ・TVに影響されやすいような人が一見世の中を動かしているように見える。しかし、これに目を奪われてはいけない。亀井さんを無党派層が支えたような例も見落とせない。自分の頭で考え、行動できるような無党派層を増やし、掘り起こしていく作業が、日本の民主主義という意味では重要ではないか、と思うのです。旧来の党建設至上主義でもない。風頼みでもない。「第三の道」を私は提起したいと思います。広島市長選以降、一貫して私は「積極無党派」であるべし、ということを提起してまいりました。
イラク戦争を止め、生活の破壊を止めるのにはどうすればよいか?そのことに立ち返り、戦略を追求してまいった積りです。既成政党の皆さんからは、強い批難もありました。しかし、私は、既成政党の皆さんに訴えたい。
「とりあえず”歌”を忘れよ、その上で、今一度、何をすべきか考えようではないか。理念が悪いわけではないだろう。ビジョン、そして それを実現するための戦略を持とうではないか?そうしてみたとき、例えば、選挙をバラバラで戦うのが本当に良いのか?保革の枠を超えた共闘も必要になることもあるのではないか?旧来の常識に縛られる必要はないのではないか?」ということなのです。
市民派の一部や共産党の皆さんにはこう訴えたい。
「共産党の皆さんは労働組合、とくに連合系のそれを見下すような物言いはやめたほうが良い。例えば連合系の労働組合の中には、途上国の児童労働問題に取り組んでいるようなところもある。むしろ共産党のほうに、中国万歳的な考えが根強くあるのではないか?新綱領を読んでも、不破さんの物言いを見てもそうである。
人権というところに立ち返るべきではないか?共産党が人権派だからネット右翼に攻撃されるのではない。むしろ人権派であることを徹底できないから矛盾を突かれるのではないか?妙に、独裁国家の資本家、あるいは、そこへ進出している大手企業に遠慮するような面が不破さんなどにはないのか?筋を通していないことを反省すべきだ。
そうしたことへの反省なくして、他者にレッテルを貼って、見下すのは良くない。温かく見守るべきではないのか?」
「選挙ばかりでは駄目です。どうも、選挙で自分たちの議員だけが増えればよいという狭い考えではないのか?それでは駄目で、普段の大衆運動が大事である。政党の引き回しではない運動がたくさんできれば尚良い。そうして民主主義的風土を形成し、積極無党派を増やしつつ、一方で大胆な野党共闘を仕掛ければよい。」
「市民派の皆さんも、労働運動的なものを軽視すべきではない。労働組合があって一定の労働条件があればこそ、活動が保証されている面も大いにある。そのことは絶対に忘れては欲しくないし、労働運動と市民運動の相互補完こそ考えるべきだ。
連合系労組が民主党支持だ、護憲派候補を推してくれないなどといって見下すのは間違っている。そのような極左日和見主義では分割統治を目論む総理を利するばかりである」と。