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「現状分析と対抗戦略」討論欄

「平和共同候補・平和共同リスト」の提案について

2006/07/03 川上 慎一

 「2006平和への結集の訴え――市民の手による『平和共同候補・平和共同リスト』の実現を――」という訴えが、市民グループ「『平和への結集』をめざす市民の風」から2006年3月11日付で発表された。
 これに関してはこの蘭で原さんはじめ複数の方から投稿があった。私は、特に個々の投稿を論評するつもりはないし、それらに特に大きな異議を持っているわけでもない。結論的にいえば、日本共産党はこの訴えに積極的に応えて、「平和共同候補・平和共同リスト」の実現にできるかぎりの努力をすべきだと私は思う。

 日本共産党は「しんぶん赤旗」(2006/05/20)で「参院選での『平和共同候補』を求める運動について」という記事を掲載しこの訴えを一蹴する見解を明らかにした。
 原さんは、この訴えに対する日本共産党のリアクションが、常任幹部会声明あるいは中央委員会声明といった正規の機関によるコメントでないこと、また、この記事に署名がないことなどから「責任の所在不明」として、「万が一、その回答が不評で党勢拡大運動等の障害になるような事態が起きた場合でも、党指導部の責任を回避して方向転換することも可能だということである」と批判している。
 私が若いころには「ケネディとアメリカ帝国主義」とか「極左日和見主義者との中傷と挑発」などの長大な論文がしばしば発表された。日本共産党は伝統的に権威主義的なところがあって、党幹部などにも実質的に厳しい序列があった。宮本氏の時代には党大会に入場する幹部の順番などはこれに従ったものであった。論文にも同じようなことがあり、格・権威の高いものからいえば、「無署名論文、評論員論文、個人署名論文」の順であった。この記事はボリュームの小さいものであるから論文といってよいかどうか逡巡するところがあるが、「浦田宣昭・幹部会委員・国民運動委員会責任者名で公表された新社会党の申し入れに対する回答」よりは「権威」のあるものと考えてよい。おそらくこの記事は書記局で作成されたもの、あるいは書記局で検討されたものであり、形式的にせよ幹部会の審査を経たものであるはずである。したがって、この記事は日本共産党中央の公式見解・方針であることに間違いはない。
 しかし、この方針は極めてセクト色の強いものであり、今後の運動に有害な役割を果たすことは明らかである。論点を絞って、「選挙の得票、議席などを含めた日本共産党の党勢の前進」に限定して考えてみても有害である。どのような経過をたどるにしても、私はこのような間違った方針が一刻も早く変更されることを期待している。

 この記事に関する批判的検討はすでに原さんが投稿(2006/06/08)で展開しておられるので、私ごときが今更述べる意味はない。私は日本共産党の末端の一党員としてみずからの見解を思いつくままに述べさせていただくこととする。

 「2005年9・11総選挙ですら、小選挙区の得票率では、与党が49.2%、野党その他が50.8%でした。与党は半分に満たないにもかかわらず、議席占有率では75.7%に達していることになります。こうした世論と国会とのギャップを正さなければなりません」(「訴え」より)

 日本共産党の選挙制度に関する政策の基本は「比例代表制」である。しかし、国政選挙では衆議院でも参議院でも比例代表部分のウエートがあまりにも小さい。小選挙区では「与党が49.2%、野党その他が50.8%でした。与党は半分に満たないにもかかわらず、議席占有率では75.7%」という事態が生まれる。民意があまりにも不正確に反映される選挙制度である。この他にも、比例代表制では政党要件にさまざまな規制があり、小さな党派は候補者を立てることさえ困難な事態、あるいは事実上不可能な事態がある。
 普通選挙はブルジョア民主主義制度の根幹であるが、今日では選挙制度、具体的な選挙運動において少数勢力に極めて不利な制約があまりにも多い。このような制約の進行は政治制度としての民主主義のいっそうの衰退を意味する。このような衰退した民主主義の下で巨大な議席を確保し、アメリカの侵略に手を貸し、弱者切り捨ての残酷な政治を実行したのが他ならぬ小泉政治である。
 「しかし、すぐに選挙制度の改正がなされる見込みがない以上、現在の仕組みで選挙戦を戦わなければなりません」(「訴え」より)。改憲勢力と9条を中心とする憲法の平和的民主的条項を守ろうとする勢力はこのような条件で闘っているのである。日本共産党中央はこのことを忘れているのではないか。

 「訴え」は以下のように提案している。(①、②の番号は投稿者による)
① 2004年の参院選のとき、沖縄で実現した(民主党、社会民主党、日本共産党、沖縄社会大衆党)平和統一候補のようなやり方を、衆議院では各地の小選挙区で、参議院では各地の地方区で追求しましょう。できれば、全国で平和共同候補擁立が実現して欲しいと思います。
② もう一つの目標は比例選挙区の協力です。票割りは困難ですが、日本共産党、社会民主党、市民派無所属などまで含めた、比例部分での共同リストなどを形成することができれば、単独では当選できない小グループからの立候補者にも、当選の可能性が生まれます。

①について。
 「平和共同候補の対象をどこに求めるか」という問題がある。憲法問題を軸として考えれば、現在国会に議席を有する政党としては日本共産党と社会民主党が視野に入る。しかし、民主党の中にも旧社会党系など改憲に反対する部分もあるし、自民党や小泉により自民党を追い出された部分にも改憲に反対する部分があるかもしれない。できるだけ視野を広げることが賢明だと思う。また、選挙区においては、日本共産党の立候補によって、「自民党を利する」事態は少なくとも極力避けなければならない。
②について。
 改憲に反対する投票をムダにしない極限までの工夫が必要である。その際、日本共産党の選挙制度に関する政策の基本は「比例代表制」であるから、日本共産党はこのことを念頭において共同リストなどを検討すべきである。比例区改選議席が50であるとすれば、単純計算で2%の得票が期待される改憲反対党派にも1議席保障しうるようなことは考慮されてよい。

 「記事」は「特定政党の事実上の”応援団”ではないか」という小見出しに続いて、この運動(市民の風)の批判を展開している。私は新社会党と「市民の風」がどのような関係にあるかは知らない。しかし、「平和への結集をめざす『市民の風』」代表呼びかけ人などを見るとかなり幅広い人士が名を連ねており、新社会党の応援団という印象はない。また、この記事は新社会党が3月の定期全国大会で決めた決定の具体化であることを指摘している。「市民の風」が新社会党の努力によるところが大きかったとしても、これだけ幅広い人士の賛同を得たことは、新社会党の方針が現実にあっていたことを示している。ならば、なぜ日本共産党がこのような方針をとらなかったのか、という疑問が出てくる。日本共産党はこの時点でこのような方針を採用しなかったことの不明を恥じるべきであろう。
 また、日本共産党の側から新社会党に対するいろいろな批判もあるであろう。しかし、全体としてみれば、新社会党が各種選挙で日本共産党を推薦、支持したこともあるし、政策においても比較的近いものがある。古い言い方をすれば「友党」といってよい存在である。
 新社会党が旧社会党から分かれたときにはまだ国会議員がいたが、現在では国会議員を持たない小さな左翼政党になってしまった。新社会党には失礼な表現をしたが、私は日本共産党にも「明日は我が身」という時代が「来ないとは言えない」ということを言いたいのである。私が日本共産党員となった時代には国会議員は数人という時代だった。私の記憶に間違いがなければ、これ以前には衆議院議員が1人だったときもある。そういう時代が来ないと言えるのであろうか。この記事によれば、参院選比例区の政党要件は「国会議員5人以上、直近の国政選挙の得票率2%以上、選挙区・比例区あわせて候補者10人以上のいずれか」である。今のところ、日本共産党はこの要件を欠くことはないであろう。しかし、数年先はわからないのである。左翼政党に得票率に応じた議席を配分する努力をすることは左翼政党として当然のことである。せせこましい党派的利益にこだわる日本左翼の宿弊に決別すべき時代が来ている。

 私は現在の日本共産党員の最も厚い層をなしている世代の上の方に位置している。ごく荒っぽい言い方をすると、あと5年もすれば党員のおそらく半分以上が60歳を超える。すでに生産現場の第一線から退いたところにいる党員が現実的に運動を起こしていくことはまことに困難である。このような事態は何年も前から、たとえば、このさざ波通信が始まったころからしばしば指摘されたことであった。それにもかかわらず日本共産党中央は何ら有効な政策、方針を決めることができず、実践的にもほとんど有効な運動を展開することができなかった。
 大衆運動と党勢の関係に限定して話を進める。現在の党中央指導部にはもはや大衆運動を理解し、その方針を決め、運動を推進することができる党幹部が存在しない。現在の党幹部には大衆運動と党勢拡大の弁証法的な関連の理解もできない。党勢拡大を一面的に追及すればそれは反対物に転化することがあるし、また、大衆運動に私心なく努めれば党勢拡大においてもたいへん有利な条件をつくり出すということも理解できない。選挙においても同様である。自党の狭隘な前進、取るに足らない利益を追及するセクト主義がどれほど党の前進を阻んでいるかを理解しない。
 一般に選挙は結果が投票前からわかるようなときには投票率が低い。逆に、みずからの陣営の候補者が「当選するかもしれない」という選挙では支持者や党員の足も軽い。今回の参院選では憲法改悪が視野に入る。このような重大な選挙を「自民対民主の争い。共産党は独自の闘い」という旧態依然たる選挙にしてよいかと思う。市民の風が提起する「平和共同候補・平和共同リスト」は真剣に検討するに値する提案である。今度の参院選は、わずか500億円の歳出を減らすために生活保護費削減、リハビリ(疾病の種類により最大で)180日で打ち切りという血も涙もない弱者切り捨ての小泉自民党(後継)政治に対する大衆的不満が広がっている中で行われる選挙であり、「平和共同候補・平和共同リスト」あるいはその種の闘いが大衆的に提起されれば、運動の展望を切り開き、運動が大きく広がる可能性がある。日本共産党は何よりもこのような運動で小さな党派的利益や私心を捨てて献身することが重要である。
 日本共産党の党勢衰退は、各種の現実的な条件の中で生み出された「どうしようもない傾向」であり、何らかの条件が変わらなければ止めようがない。その不可欠な条件は、一つは党内での民主的討論を可能とする党の民主的な改革であるが、これは現在では党中央主導で行われる可能性はほとんどない。もう一つは、大衆運動の前進、高揚が党の変身を余儀なくさせるというものであろう。
 「平和共同候補・平和共同リスト」あるいはその種の闘いは、憲法改悪を阻止する闘いに大きな展望を切り開く可能性がある。また戦後日本の左翼勢力が繰り広げた不毛の対立の構図に終止符を打ち、左翼の協力、共同に道を開き、さらに日本共産党が新たな活力を民衆から与えられる機会であると思う。

 2006年7月2日、社会民主党党首福島みずほ氏は「滋賀県知事選挙の結果について(談話)」(以下)を発表した。

 本日投、開票が行われた、滋賀県知事選挙において、社民党が支持し戦った、かだ由紀子候補が自公民が推薦した現職知事を破り当選した。この結果を滋賀県民とともにまず喜びたい。
 かだ候補の勝利は、県が進める大型公共事業による税金の無駄使いをやめさせ、将来世代が喜ぶ政策を基準に県政、琵琶湖の自然や風景と水を政策に生かす県政、子どもや若者の育つ力を生かす県政をとの訴えが、良識ある滋賀県民に支持された結果である。
 社民党は、かだ新知事とともに、平和で安心して暮らせる社会の実現にむけて,邁進していく決意である。

 日本共産党は県労連議長を立てて独自に闘った。社民党が推薦する候補者が「自公民が推薦した現職知事を破った」ということは、知事選挙とはいえ、選挙の常識からいうとおどろくべき出来事である。現職側の油断があった可能性があるかもしれないが、それも含めて、闘いとはそういうものである。
 滋賀県知事選挙結果からも学ぶものがある。日本共産党中央が再度「平和共同候補・平和共同リスト」を検討して、柔軟な対応を切望してやまない。

 最後になったが、私たちは、以下の原さんの指摘を肝に銘じておくべきだと思う。

 日本には4万の米軍が駐留しており、爆弾テロや国籍不明のミサイル攻撃などの不測の事態が勃発し、国論が一挙に国防強化へ沸騰することもありえるわけで、そうした事態になれば、草の根の多数派運動で得た陣地も一挙に吹き飛ばされる可能性がある。それだから、護憲派は改憲への道筋に何重にも関門を作り出すべきであり、当面のことで言えば、国民投票法を成立させないこと、さらには来年の参議院選で護憲派議員を1/3以上獲得し、改憲を国会で発議させないことが必要なのである。漫然と、草の根での多数派化運動を進めるだけでは戦略なき護憲運動というべきである。

PS.
 現在、現状分析欄にて投稿者有志による共同の公開質問状「共産党は屁理屈を言わずに「平和共同候補」の提案に乗るべきである」を党中央に提出する件ですが、今回は仲介だけでなく、編集部として代表者1名を賛同者として加えてメールにて提出することといたします。(「お知らせ」蘭 6/29編集部)。
 私も賛同者として加えていただいてけっこうです。