滋賀県知事選挙と東大阪市長選挙で自民党・公明党に有権者の天誅が下りました。
滋賀県では、琵琶湖の環境保全の市民運動を地道にやってきた女性大学教授が組織相乗り現職に大差。東大阪では、共産党員の元市長が現職を破って返り咲きました。
自民党政治の反動化による組織の崩れを実感させられます。そうはいっても先の総選挙では、露骨な組織選挙+大都市部でのマスコミに影響されやすい無党派層により自民大勝となりましたが、鍍金は接げました。
一定の対立軸を示し、「勝ち目」がある条件下では、野党・市民派の勝利が可能であることが証明されました。
ただし、手放しでは喜べません。議会では少数与党となる両首長が、どういう政治をやっていくか。そして、支持した市民が選びっぱなしではなく、いかに、首長を支えていくか?
そうでないと、またまた失望を広げ、政治不信ということになりかねません。
シングルイシューに絞ったのが滋賀の女性新知事・嘉田由紀子さん。
小泉的という評価もマスコミではあるようですが、しかし、総理は組織票に乗った上でのシングルイシュー展開でした。無党派層は、むしろ、造反組と自民党で引き裂かれました。露骨な財界選挙・利益誘導選挙が自民圧勝の背景として無視できません。それが「改革」の名の元にまかり通ったことです。
利益誘導ではないしかし、一部のお金持ちではなく、恵まれない人も含めて底上げされる政治を目指すことが野党にとって大事なことを示したと思います。当選後はシングルイシューでは済まされません。
経済対策も含めてどうするか。知事だけでなく、県民全体が問われます。
■手放しでは喜べぬ東大阪の結果
東大阪市は毎回投票率が下がっています。1998年市長選では長尾さんが松見さんを破って初当選。両者とも9万票台でした。2002年には、松見さんが83066、長尾さんが65508、東口さん(塩爺系)が34338。今回は、長尾さん51821、松見さん50842、西野さん(西野議員の弟でありながら塩爺系) 38151。
長尾さんも票を減らしたが、松見さんが激減して、競り勝った。
革新地盤も陥没しているが、一方で、保守層も現市長・松見さんにあきれ返っているということです。毎回現職が3万票以上減らし、非現職が1万ちょっと減らすという構造ともいえます。手放しで野党勝利とは喜べません。
民主的な市政運営で信頼を勝ち取り、前回も教訓にしながら、長尾新市長はリーダーシップを発揮していただきたいし、市民も無関心でいてはなりません。
■嘉田当選=単純に新自由主義か?
ところで、滋賀の結果を受けて、小泉さんは「田舎だからといって公共事業での利益誘導では駄目」といったそうですが、ちょっとピントがずれていると思います。確かに新幹線の駅とダムは否定されましたが、一方で、今回の嘉田勝利のベースには、自民党・公明党による地方切捨てへの不満があると思います。
実際、郵政造反組が嘉田さん応援に回った。すなわち、公共事業の総量をカットされて頭に来ているところに、新駅(おそらく大手ばかり儲かる)、ダムですから、おこぼれに預かれない保守層は怒ってしまった。中小企業への手厚い施策なども国松候補が打ち出せればよいが、それは交付税カットで出来ない。小泉さんに全ての罪はあります。
今回の結果を口実に、公共投資そのものをカットするのは筋違いです。むしろ環境・福祉・教育重視、中小企業重視型ケインズ主義への転換ということだと思います。
大手企業と官を軸にセーフティーネットを張っていた今までの日本型社会主義を改良し、地域レベルでもセーフティーネットをつくっていくということだとおもいます。それが出来ていないから、人々が企業による終身雇用といったセーフティネットや官による補助金にも疑問の目を向けるのであって、セーフティーネットが不要と言うことではありません。
何か、今までは「生産者から消費者へ」と称して、実は生産点のセーフティネットは壊すは、地域(生活点)でのセーフティネットも却って壊すわでわやくちゃでした。生活者重視がネオリベラリズムに回収されてしまったことへの反省をしなければならない。
「政治闘争、市民運動、労働運動」「労働者、市民、良識保守層」の三位一体ならぬ「3者連携」論が私たち社会市民連合のよってたつ理論です。その延長線上に、ときには保革の枠を超えた、政治を変えていくための連携があると信じています。旧来の「統一戦線」ではなく、対等・平等な連携こそが求められていると思います。バラバラではいけないが、お互いを尊重するということです。そうした民主的なものの上に、社会主義という営為が花開くと考えています。危機待望論でも冷笑主義も克服せねばならない。
■江田先生に正当な評価を!
ところで、江田三郎先生の姿勢について、「社公民路線」「反共」とか、「右転落」などと気安くレッテルを貼る向きがあります。社会党の右派はその後、江田先生の遺志を継ぐと称して、民社党に政策面で擦り寄ろうとした。また、小手先の政界再編に傾きすぎた嫌いがあった。また、「生活者」重視と称して、新生党等がでてきて、消費者の利益を呼号して、闇雲な市場原理主義に先鞭をつけました(後に、橋本自社さ政権が新進党に右から引きずられる形で構造改革と軍事化を強行)。
そうではない。労働者は市民であり、主権者でもある。そこを出発点として、組合も市民的視座に立つし、一方今では特に市民派も労働運動的な視座、あるいは良識保守の「明日の飯をなんとかしてくれ」という要求活動にも連帯する。その政治レベルでの表現としての政界再編、ないし、政党の連携がでてくると今江田先生が生きておられればおっしゃるでしょう。
「現状の改革を望んでいるのだが、こたえてくれる政党がないので無党派なのである。この層にどうよびかけ、この層と手のつなげる政治勢力をどうやってつくるか。既成の政党にたって、社公民中心という図式をかき、それで終るのでなく、無党派をどうするのかが、大きな課題であり、私が「新しい日本を考える会」に参加したのは、このことを考えたからである。
「むしろミッテランが成功したように、過去の決定や建前にとらわれない無党派の頭脳を結集することで、この作業がスムーズに進むのではないか。こうして作製されたものを政党に提示して、討論してもらうことが、早道ではないかということである。
第二に、政策立案過程に無党派の参加を求めることが、将来の政治勢力の結集にあたって、このエネルギーの参加に道をひらくことになるのではないか、ということである。われわれが既政の政治勢力だけの結集に終り、無党派のエネルギーを忘れていたのでは、国民の多数派になれないのだ。」 8 意識的無党派のエネルギーを結集しよう
また、昔の日本社会党のような共産党以上の空想論をぶつのでもなく、民社党的に現状に妥協するのでもなく、現実を一歩一歩変えていくことに徹することが社会主義だとおっしゃることでしょう。
「社公民」「反共」というのも安易な見かたで、「反共」ばかりになりがちな民社党についても厳しい視線を投げかけていました。
社会党の後輩も、共産党も、誤ったレッテル貼りで損をしていると思います。今一度見直したいものです。
■最後に
抵抗政党に堕してもいけないし、権力欲でもいけない。国民のために天下を取るというスタンスが大事です。「市長になってからだを張って市民を守る」と訴えた長尾さん。やるじゃないですか。
野党の幹部はそこに立ち返るべきです。「政権をとって、からだを張って国民(の暮らしと平和)を守る」と。
しかし、その境地に達するには、実は普段の大衆運動が大事だと思います。選挙のときだけ支持して、では駄目なのです。ここが、社会党は弱かったし、共産党も1970年代の前半を峰として後退しています。嘆いても仕方がありませんが各野党は気を引き締めなおしていただきたい。