かつて、旧社会党は土井たか子氏(政界入り前の本職は
憲法学者)を党首にしていた。社民党になったいまも女性の福
島瑞穂氏(政界入り前からそして今も弁護士登録者)が務めて
いる(ちなみに福島氏の夫は精力的な人権派弁護士の某氏)し
、いわゆる三役級には阿部知子氏がいる。一度は撃たれた辻本
清美氏も逞しくリバイバルした。党勢はお世辞にも芳しいとは
言いがたいが辻本氏はいわば準三役級のような存在感(?)を
醸し出している。 旧保守党も短期間とはいえ、扇 千景(お
おぎちかげ)氏をトップに君臨(?)させていた(現在はご存
知のとおり自民党に吸収され今に至る)。
彼女らの過去の功罪(否、対象人物によっては害悪しかない
かも??)をここでつぶさに検討する余裕も力量もないが、二
点だけメリットをあげうるとすれば、多少なりとも《女性なら
では視点からの政策提言》が機能していたかもしれない、とい
う点と、不可視的なレベルで微妙に《バランス感覚》が働いて
いたかもしれないという点である。
きょーび流行りの《男女共同参画社会》うんぬん・・・なる ものについて、最近は個人的にやや懐疑的に冷淡視しているほ うだが、6~7年までは微かな期待をしていた。共同参画うん ぬんの発端はどうあれ、相対的に強い側(つまり男性)が主体 になりイニシアティヴを握って弱い側に“施しを授けてやりま しょう”、と言いたげな気配が漂っているように感じるのだ。
某福祉政策学者はおととし、と或る学外講座でいみじくも喝 破してくださった。
「声高に《男女共同参画社会》を喧伝する知識人に、実は差 別容認論者が少なくないのです。彼らの奉職している○○大学 や××大学の機構を見てみますとそんなのは如実にわかります よ、文系であっても如何に女性の非常勤講師比率が高いか。数 校を兼務(ハシゴ)して非常勤オンリーで安月給に泣かされて いる女性が如何に多いことか。現代では専任講師すら女性にと っては高嶺の花と化しているのです。日本の女性で学者の卵達 の研究水準が低いのならば話は別でしょうが、実態はそうじゃ ないんです。彼女らが声をあげても学内外でそうした声は封殺 されているのです。このように女性の実力が公正に反映されて いない現実には、御用知識人らはフタをしたままで勝手な論陣 を張っているのです、皆さんのあずかり知らぬところで」
(同助教授は大学名をあげていたはずだが、ぼくはメモを怠っ たせいで失念してしまった、ドジでスミマセン)
同助教授はこうも暴露されていた。
「つまるところ、《男女共同参画社会》なるものは美辞麗句の 下で実は何もしない、だけど努力してるフリを如何に国民に見 破られないようにするかに腐心するために存るそういうシロモ ノなんですよ」
「労働法制改悪もあってこの7~8年で、深夜業従事する女 性職員の数が増えてきたと感じませんか? 女性が早朝から深 夜までつまり男並みに働かされる社会が健康でしょうか? 連 日の激務で疲れ果てて帰宅するお母さんをみて子どもはどう思 うでしょう? 女性の健全な社会進出が果たしてどれだけ前進 したでしょうか? 女性を非正規雇用の身分のまま社長昇格さ せた某準大手スーパーがチヤホヤされてたのを御存知でしょ、 “非正規でもウダツが上がるんだったらマッ、いいかぁ”だな んて騙されてはいけませんよ。皆さんは賢くなったはずですか らこれからはマユツバで御用知識人の発言をお聞きになってく ださい」
セクハラ(強制わいせつはれっきとした犯罪なんですが、近
年では高校生同士だとか、女子高での一部男性教師にも蔓延し
てるそうですよ)、アカハラ(アカデミックハラスメント)、
(いまやアカハラってすさまじいそうです。女子大であると男
女共学であるとの別なく)。パワーハラスメント、そしてイデ
オロギーハラスメント(これ、某組織内辺りではしばしば目撃
できますね? もちろんエリアにもよりますけど、トンチンカ
ンでご都合主義的な解釈と憎悪に満ちた《対近経批判》や《対
宗教バッシング》なんぞトクトクとして独演したがる思想的な
“裸の王様”。そのわりにチヤホヤされてるある種の“有力者
”やヒラメ専従ってけっこうおられるのではないでしょうか?
まさに“処政術”に長けた政治公害の体現者、制度的真実の
妄信者なる称号でも授与したいところですが・・・)。
ポリティカル・ハラスメント(まぁこれはゴリゴリの党派主
義・ファナティックな愛党心が昂じたあげく、中道左派を含め
た左翼内でも僅かなニュアンスの違いにつけこんで相手の政治
思想を批判ではなく文字どおりやっつける、了見の狭さと言い
換えておきましょう)。
セクハラ、アカハラ、パワハラ、イデハラ、ポリハラ・・・
。どの切り口から視るにせよ、「力のアンバランス」と言おう
か主従・隷属関係構図の存在が厳然と存る。この非人間的な基
礎構図を瓦解させないことにはひろく蔓延する差別をも含めて
理不尽きわまる男女間不均衡は解消できないことは論を俟たな
い。アカデミ・・・であろうとパワ・・・であろうとイデオロ
・・・であろうと、それらは組織別機能形態面から細分化して
みているに過ぎず、大学などの学校・民間企業・官庁・宗教法
人・地方住民団体・同窓会等の別なく本質的なレベルでは変わ
りがないだろう。
ときに他方が絶対王制とでも言いたくなるほどの君臨ぶりで
、もう片方がしばしば奴隷的な役回りを強いられている。公然
であると暗黙裡であるとの別を問わずに。
“差別は人類の宿啊(しゅくあ)なのさ”とウソぶき
信じ込むしぶとい保守派・現状維持派論客に、どう対案を張る
べきだろう? まったく自信などないが拙い仮説をまじえつつ
ひとくさり・・・。
長く人の入れ替りの乏しい風通しの悪い組織で且つ、殆ど男
性ばかりが占有する組織などでは、特に女性蔑視観が培養され
やすい。比喩的だが“差別菌”特有の腐臭とでも称したくなる
ような・・・。 日本社会そのものが戦後の教育改革・学制改
革の過程で女性の積極活用という視点がなおざりにされがちで
あった点もあるのではないか? 男性優位な社会構造を支える
働きをしたイエ制度や村落共同体(ムラ社会)は、核家族の普
及によっておおかた崩壊に向かうかに楽観視されたことすら4
0~50年ほど前にはあったらしいが、とっくに形骸化したい
まとなっても残滓の形で日本文化の基層部分で息を潜め、復活
の機を窺っている。なにも絶滅したわけではないのだ。
都会に居を構える核家族の「長」もやっぱり男である父親(
ただ、おサイフだけは妻がガッチリ握って)。
単一民族“神話”をさしたる心的抵抗もなく無意識にか意図
的にか植え付けられて育ってきた人の心理と男性優位思想は、
どこか通底するものがあるような気がしてならない。
(日本神話学の知識に自信がないので、誤謬があればご指摘い
ただきたいが)ヤマトタケルノミコトにせよ、スサノヲノミコ
トにせよ、女ではなく、男ではないか? ただただちに「神話
=害悪である」と言うつもりはない。神話は良きにつけ悪しき
につけ当該国民精神を統合させようとする潜在的な求心力を秘
めているという。サーガ、或いは北米ネイティヴ(北米先住民
)やナヴァホ族のそれにしても同族内結束心を刺激する要素は
たしかにあるらしい。
かりに日本神話における主神格が本当に「男だけ」で占めら れているとすれば、現状維持派にとっては女性差別を正当化す る論拠としやすい側面があるかもしれない、とはぼくも感じる 。現状維持派からみて都合のいい箇所だけをパッチワークさな がらにツギハギしただけでも巧者の手並み力量次第では或る意 味で“麗しい差別物語”調で埋め尽くされた「反ジェンダー論 」とでも称すべきディシプリンが登場しかねない、(ウマく言 えないが)とまれそういう懸念は「対ジェンダーバッシング」 と対峙してゆく上で少しは持っているつもりだ。
「日本神話や(史書の)記紀には異民族に関する記述が見受
けられない」、と10年以上前に聞きかじった記憶があるが、
ハタっ!と連想した。 ひろいアジア諸民族の中には母系社会
(或いは、やや乱暴だが女性優位社会と言い換えてみたい)を
伝統とする少数民族がいくつかある。相続や財産分与のプライ
オリティー(優先順位)が、長女長男両方いる家庭でも長男で
はなく長女なのだそうだ。中南米の少数民族の中には力の要る
作業を男性ではなく、伝統的に女性が担うところもあるのだと
か。そうした地域では例外なく女性のほうが男性よりも優れた
存在とされ、部族内の皆がそれを当然だと認めているとも・・
・。
いままで言及した諸少数民族内に認められる神話中には、「
男らしさ・女らしさ」に関する記述やそれを推定しうるような
語句・隠喩表現は皆無らしい。また、ほぼ例外なく、他民族と
の戦いに関する記述があるそうだ。
まったくの私見では、こうした異民族との出会いの過程で自
らとは異なる家族制度のあることに気づかされたであろうし、
異なる価値観・親族観にふれるうちに自らの民族・部族社会を
相対化しえたかもしれないし、自部族内に選択的に吸収して行
き、現代の主要先進社会にはみられない、対女性差別なき少数
民族社会を築きあげたといえるのかもしれない。
当該社会内関係と共に、社会対異社会相互間関係(一種の互
酬関係)の視座の中にジェンダー問題のアポリアを解くヒント
めいたものがあるのかもしれない。
■共産党はどうか.
歴史に傾きかけたようなので現代に戻るとする。
冒頭のほうで《女性ならでは視点からの政策提言》とふれた
が、力量不足ゆえ、独断と偏見の(?)エッセイ風言及にとど
めたい。
共産党にも女性党首(委員長または議長)は生れないのだろ
うか? 希望的観測にすぎないかもしれないが、ぜひ近い将来
に女性党首が実現化することを切望したい。党機関などはいろ
いろな機会に「数ある諸党の中でも女性議員数はダントツ1位
です」と宣伝しているが、かねてから旧社会党のような女性党
首が不在なことに一抹の寂しさ(?)を感じているのが正直な
ところだ。
発達した資本主義国における“前衛党”に女人禁制制なんて
ありえない!(仮にあったとしたら爆笑もの)のだから、制度
的側面からみても妨害要素は存しないはず。 まぁ、もとより
女性であっても(生活史面等での後天的影響も陰に陽に影響し
うる)、取り巻き連中の優劣如何等によっては「ゴリゴリのイ
デオローグに豹変」したあげく逆差別で“女尊男卑”路線に暴
走しない、とも限らない(??)だろうし、必ずしも楽観視し
うるとも限らないが・・・。
共産党は入党勧誘宣伝の平易な言葉(確かに勧誘パンフをス
ナオに読めばやさしいと感じる。)にもかかわらず、モノモノ
シさだとか或る種の近寄りがたさを感じる人が多い。進んで党
大会決定集や何中総文書ともなれば、イデオロギーになじめな
い限り親近感の湧きにくい文言が頻出する。
だが女性が党首になればこういった問題は意外と早く解決さ
れるのではないだろうか? ややマト外れの感なきにしもあら
ずかもしれないが、総じて女性は理念先行型よりも体感生活実
感に根差した腰の座った観点で事物をみることが男性よりも得
意ではないだろうか? (近い将来に女性の誰が党首に就きそ
うだとかそんなことは予測しようがないし言えっこないし、ま
た、言うつもりもないが)、不破氏や志位氏のあのゴリゴリの
“檄文”調の文章はまず女性には書き得ない類いのシロモノで
ないのか? 女性が党首になればふくよかさと生活実感に満ち
た文体で、幅広い生活者層の琴線にうったえるそのような文章
が生れる、そんな気がするのだが・・・(なにげにウマく言え
ずにスミマセン)。
グループの中にあってもその中の一方に偏し過ぎたり、閉鎖
組織のシガラミめいたものに絡めとられたりということも、男
性に比したら少ないのではないだろうか? 「産み」の苦しさ
を身を以って経験できる存在ならではの、と言おうか(ウゥー
ン、またもやウマく言えないが・・・)ふくよかな母性感覚(
?)のようなものは、ぼくら男性陣には望んでも絶対に持ち得
ないファクターであること。それだけは確かである。
自民党の舛添要一氏や石原都知事、かつてのK本S一郎氏など 、《貧しい女性観》を露呈した揚げ句居直ってしまう全体の奉 仕者は少なくないが、女性の共産党党首就任が実現することに よって、一定の歯止め機能が働くことは期待できると思われる 。必然的に「ニラミが効く」ようになるからだというのは言う までもないだろう。その側近(もちろん女性?)も以前にもま して周囲にニラミを効かすように振舞わなくてはならなくなろ う、公私両面において。 もちろん、筆坂氏のような疑問符を 突き付けられるような類いの対女性関連発言については、普段 から更に厳しくチェック機能が働くようになるのではないか。
いずれにしても、女性を取り巻く社会実態を熟考するうえで 、本当の深奥な意味だとか微妙なニュアンスからのジェンダー 問題理解というのは、例外的なケースを除いて男性には理解し にくいファクターを孕んでいるのかもしれない。少なくともそ の程度の謙虚さ(?)を持ち合わせないと、吹き荒れる「対ジ ェンダー・バッシング」「対フェミニズム・バッシング」には 真っ向からの対峙(対案提起と実践)はしえないのではないか な、と最近痛感しているところなのである