1、はじめに
誰か、「平和共同候補」運動の展望を語れ、という声が寄せられていたが、現実には、展望どころか、追い込まれた政治状況の中からでてきた動きだけに、確たる成算があっての構想ではないだろう。現実の必要性が生み出した運動は、最初は皆そうである。この運動の展望を語る場合、抽象的な理念や図式から接近してみても、展望を構想する手がかりは死んだ抽象ばかりで袋小路にはまりこむ。かといって、現実に密着すれば、追い込まれているだけに天恵を夢想することなしには展望の手がかりを得るのはむずかしい。
そこで、現実を一皮めくると見えてくるある可能性を開示することから始めよう。
2、全野党の選挙協力が示す可能性
ことは過去の選挙戦の実情を多少加工することからはじまる。2004年の参議院選のデータをそのまま使い、民主党、共産党、社民党の全面的な選挙協力があれば、来るべき参議院選でどのような現実をもたらしうるのか、その可能性を目の前に広げてみることにする。
加工の方法はいたって単純である。
(1)、野党の選挙協力で、各選挙区の野党票が1票でも自民票を上回っていれば、機械的に野党が来年の参議院選で当選できるものとみなす。
(2)、以下の「1」、「2」、「3」・・の分類は新聞の確定得票一覧の表記にもとづいて機械的に選挙協力の型を分類したもので、選挙協力の実態とは異なって分類されている選挙区もある。選挙区によっては、新社会党などの選挙協力区もあるはずだが、新聞表記には見えないため、ここでの考察からは抜け落ちている。
(3)、各選挙区とも現・前・元職を優先して候補者にしており、幸運にも相互にぶつかり合うことはない。
(4)、新人同士の場合は、民・社・共の中で得票実績が他党より群を抜いているものを優先(「2」、「3」、「5」)し、そうでない場合は、獲得議席のバランスを考え社・共のうち得票の多い方(「4」の秋田)を優先している。
1、1人区で、前回、民主単独で1議席を確保しており、来年、自民の議席を奪える選挙区=9選挙区=青森、山梨、滋賀、奈良、岡山、長崎、宮崎、大分、高知
2、1人区で民主←共で議席を奪える選挙区=6選挙区=鳥取、徳島、香川、愛媛、佐賀、熊本、
3、1人区で民主←共・社で議席を奪える選挙区 =2選挙区=富山、山形、
4、1人区で 社←民・共で議席を奪える選挙区 =3選挙区=秋田、大分、沖縄
5、2人区で民主←社・共で議席を奪える選挙区 =2選挙区=北海道、広島
6、3人区で共←民・社で議席を奪える選挙区 =4選挙区=神奈川、埼玉、大阪、愛知
7、4人区で共←民・社で議席を奪える選挙区 =1選挙区=東京
この場合、自・公から2001年参議院選挙の26議席を奪い、新たに民主党は18議席増、共産党には5議席増を確保している。社民党は3議席増。むろん、この議席配分は一例にすぎない。民主支持票を共産に回すには票割りの技術的な問題と有権者の好き嫌いの問題は残る。なお、大分は「1」と「4」に二重に記載されているが、元職がいる社民(「4」)に配分している。
この場合、来年の参議院選における選挙区での獲得議席数は
自民24+公明0 前々回は自民45+公明5
この24+0の議席に前回の比例区の議席数を加えると自民(24+15)+公明(0+8)=47議席が来年の参議院選における与党の獲得議席数となる。非改選議席は自民49+公明11であるから、合計107議席となり、過半数121を大きく割り込むことになる。
各党の議席は次のようになる。括弧内は現議席数。自民88(111)、公明19(24)、民主110(82)、共産13(9)、社民9(6)、その他4。なお、選挙後の無所属の会派入りを加えて修正すると自民89(112)、公明19(24)、民主111(83)、共産13(9)、社民9(6)、その他2である。
この議席数を見ると、与党は参議院選で過半数を割り、強行採決もできなくなるから改憲策動の速度が落ちる。共産は単独では不可能な選挙区選挙でゼロから一挙に5議席という夢を実現し、社民党も選挙区でゼロから3議席を確保する。護憲派の議席が8議席増える。良いことづくめではないか。
この可能性は、野党の党首が決断するだけで現実化する。
3、どのような政策協定を結ぶのか?
しかし、どこやらから、基本政策の違う政党が選挙協力をすることはあり得ないとか、邪道で野合だという批判が聞こえてきそうだが、まあ、説明を聞いてもらいたい。政策協定なしに選挙協力をするわけではない。民主党とも政策協定を結ぶのである。ここが一番肝心な苦心のしどころで、次のような政策協定を結ぶのである。
その政策協定とは「2010年の参議院選が終わるまでは、改憲の発議に賛成しない」というものだ。
この一点だけで政策協定を結ぶ。政権協定ではないのだから、柔軟に、現今の最大の政治課題に関連するある一点だけで政策協定を結ぶのである。最も合意に達しやすいところだけで政策協定を結ぶのである。なかには、消費税や社会保障での協定も含まなければ意味がないという議論も出そうであるが、これは我彼の力関係を計算できない空論である。我彼の力関係を考慮しないで、あれもこれもほしいと欲ばれば何一つ取れないことになる。政策協定の原則論をところかまわず振り回す御仁はいつも絵にかいた餅すら得られない。
その政策協定を結んでも、選挙が終わってから反故にされたらどうするか?という疑問が出そうだが、反故にされたらお手上げである。我々がそれなりの政治戦略に着手するのが遅すぎたということである。反故にされるようなら、この政策協定を結ばなくても自・公・民連合で改憲は発議される成り行きだったのである。
しかし、民主が改憲発議に流れるにしても、政策協定を結んでいた方が流れにくい。民主内の護憲派も協定反故反対の論陣を張りやすいし、相応の世論の批判も浴びるであろう。また、政権党になろうとする政党が政策協定を反故にして国民の信頼を失うのは痛手でもあろう。流出した共産党の基礎票も返ってくるかもしれない。そのうえ、反故にされても、社・共が選挙協力で増やした議席は残る。護憲派の議席比率が若干でも上がるのである。それゆえ、反故にされても、この政策協定は結ぶ価値があるのである。
4、小沢民主党は選挙協力に乗ってくるか?
次に、この政策協定と選挙協力に小沢民主党は乗ってくる可能性はあるかということだが、必ず乗ってくると見る。その理由は次のとおり。
(1)、小沢は政権取りをめざしており、その第1ステップに来たるべき参議院選をすえている。この参議院選で与党を過半数割れに追い込むことが政権戦略のキーストーンになっている。これに失敗するわけにはいかないので、確実に与党を過半数割れに追い込む選挙協力はどうしてもやりたいはずである。
(2)、2004年の参議院選では、その前の参議院選の65議席から、自民党を49議席まで追い込んだが、現在の与党の議席数135を過半数割れの120以下に追い落とすためには最低でも15議席を奪わなければならない。この目標を確実に達成するためには、比例区を前回並の得票と仮定すれば、選挙区で新たに11議席以上を確実に与党から奪わなければならない。しかし、選挙区で11議席以上を前回並の民・社の選挙協力だけで奪いとることはかなり難しいことである。
(3)、小沢民主党は改憲を急いではいないことである。小沢民主党にとっては、改憲より政権獲得が優先する。そのうえ、政権を獲れば、政権基盤の強化が必要になり、党内での意見統一が容易ではない改憲の実現は更に後の課題になるはずである。
(4)、したがって、小沢民主党にとっては、この政策協定は現実の政治活動のうえでは何らの制約にもならいはずである。小沢民主党は、政策協定による制約を実際上ほとんど受けずに、自党の議席を大幅に増やし、参議院の第1党になる選挙協力が得られることになる。
(5)、4月11日の朝日新聞の記事に、記者の質問に答えた小沢の発言が載っている。「選挙協力かどうかは別だけど、共産党だけいらないと言う必要はない。反自公、非自公が過半数を取るかどうかだ。」 また、7月15日には沖縄で「民主党1人の力ですべてができるわけではない。各党・各派の力を合わせなきゃいけない」(NIKKEI NET7月15日)と述べ、野党間の選挙協力に改めて意欲を示したことが伝えられている。小沢は共産党を排除していないのは明白であり、交渉の余地があるのも疑いない。
以上、小沢民主党にとっては「空気」のような、あってなきがごとしの政策協定を結ぶ。ここに、選挙協力を実現する手がかりの全核心がある。しかし、与党にとっては大打撃であろう。すでに、次期総理総裁が確実な安倍晋三は総裁選の公約に改憲を掲げることを表明しつつあり、その著書(「美しい国へ」)をみるかぎりは改憲一本に執念を燃やす政権になりかねない。事態は一刻の猶予もならないところへ進みつつあるが、民主党が改憲の発議に賛成しなければ、改憲の発議は3年間は封印される。
5、改憲派に1票を入れたくないという声があるが
さて、ここまで書いてくると、また、新たな批判が聞こえてくる。選挙協力で選出される民主党の候補者が明白な改憲派ならどうするのだ、そんな候補者に一票は死んでも入れたくないというような批判だ。こうした狭い純真さを説得するのが政治指導者の役割だと思うのだが、考えてもらいたいことがある。政治の世界では政治的に物事を見る必要があるということを。この政策協定を結べば、民主党の改憲派であれ、改憲の発議を3年間封印することに賛成する一員となる。改憲派も彼らの意思に反し3年間は護憲派の助っ人になるのだ。ここに政治の摩訶不思議さがある。
我々に必要なのは護憲派勢力を統一し拡大する時間である。3年間の封印はその時間を提供してくれる。この政策協定で、民主党内の改憲派も3年間は護憲派の陣営に取り込むことができる。国会内では、取るに足りないわずかな少数護憲派が、民主党内の多数派改憲論者を3年間は飲み込むことができるのであり、さらには巨大与党の改憲策動を3年間は金縛りにする。これが政治の技術というべきもので、政治情勢の転換を図ろうとする熱意と柔軟な発想があれば構想できるものである。
しかも、従来の民主党とは異なり、小沢民主党は全野党協力に意欲的だ。このチャンスを見逃す手はない。
共産党の選挙区票が完全に死票化しているばかりか、小選挙区制による選挙戦の力学を通じて与党の巨大化に貢献した現状にも革命が起こる。全国の選挙区票が選挙協力を通じて有効なものになり、単独では不可能な5選挙区の当選という奇跡を引き起こす。改憲阻止の政治戦略という視点からみても、党の議会勢力拡大という視点から見ても、非常に有効な戦術で、現状の全小選挙区立候補戦術の稚拙さ、それゆえの与党への貢献とは天地の差が出る。
6、「平和共同候補」運動についての若干の展望
以上が、改憲阻止の展望を開く政治戦略の第1の柱だとすれば、第2の柱が「平和共同候補」運動である。むろん、これらの政治戦略のベースには草の根における護憲派拡大運動があることは言うまでもない。
私見では第1の柱に連動させてのみ、「平和共同候補」運動は比較的容易に運動の発展を見ることができるだろう。第1段階の連動の場は2人区が中心である。ここで「市場化テスト」をおこなう。2人区でならば、社・共との統一候補も立てやすい。自民に漁夫の利を奪われる愚も避けられる。民・社・共の選挙協力が成立しても北海道と広島を除けば、他の2人区は選挙協力からはずすことができる。
2人区は大都市部ではないが都市化が進んでおり、市民運動がわりと盛んで社会の末端までその影響力が及びやすい。すばらしい平和共同候補の発掘も比較的容易であろう。先の滋賀県知事選が、その見本を示してくれている。下層化を強制され、社会の底に沈殿しする若者に手が届きにくくなっている大都市部より好条件がある。
これらの選挙区のうちで、有望な人材を得られる選挙区でのみ平和共同候補を擁立する。選挙区の、いや全国の注目を集めるようなすばらしい候補者を擁立することが必須条件だ。「平和共同候補」運動をシンボライズする候補者が必要なのである。第一段階は量より質だ。そうして少なくとも5議席以上(注1)は確保する。「平和共同候補」運動が抜群の集票力を持つことを実証できれば、社・共に見直し機運が出てくるであろうし、2010年に向けての人材の確保も容易になる。
歴史のある時期には、個人の役割が決定的となる時期がある。運動の第一段階では理念と運動と人材の絶妙な組み合わせが求められている。
2人区は北海道、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、千葉、新潟、長野、静岡、岐阜、京都、兵庫、広島、福岡の15選挙区ある。これらの選挙区は、ほぼ、自民1、民主1の指定席状態になっている。まず、「市場化テスト」に合格する先例をつくりあげ、その威力を社・共に見せつけることだ。この運動は2段階に分けて構想すべきで、第1の柱が「市場化テスト」の時間を提供してくれる。「平和共同候補」運動の正念場は2010年になる。
「平和共同候補」運動の実情に疎い私には、今のところ、この程度のイメージがあるだけである。この運動の実情に詳しく、その理念と人材を組み合わせ「B層」をも感奮させる構想をコーディネートする人材が、この運動の展望を語るであろう。
(注1)、81以上をめざすのに5議席ではガッカリだと思われるかもしれないが、焦らずに、視野を広く持つべきである。参考までに、民主党の現有議席83の政治的傾向をHPなどを見た限りで分類してみよう。安保、防衛、憲法問題に明確に触れているHPは少なく、環境、福祉、安全、子育て、医療、地方分権、地域振興、景気回復などだけに触れているものが多い。そういうわけで、明確な基準で分類しにくいのであるが、分類基準の記述を省略して私の「勘」で分類してみると次のようになる。(1)しっかりした護憲派20人、(2)まあ、護憲派と見ていい7人、(3)よくわからん派27人、(4)これは改憲派だな29人。
(3)に分類されている議員は環境、福祉重視の市民派的な傾向の議員が多く、「かくれ」護憲派であったり、護憲派の働きかけ如何では変わる可能性が見込める議員もいると見てよい。(4)の改憲派にもいろいろな違いがある。提出された改憲案によっては、反対の改憲派も出てくるはずである。
大雑把ではあるが、護憲派、中間派、改憲派が各1/3である。改憲の発議にあたって、国会を100万のデモで包囲できるような事態が出現すれば、党議拘束がはずされたり、党議拘束を蹴って改憲の発議に反対する民主党議員が出てくることは必定である。与党からも出てくる。先の郵政民営化法案採決における造反議員の比ではないはずである。あきらめるのはまだ早い。