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「現状分析と対抗戦略」討論欄

全野党の選挙協力で改憲の発議を封印する(2)

2006/08/06 原 仙作

7-1、党議席拡大が最優先の2中総
 次に、共産党が来年の統一地方選、参議院選の選挙方針を出 した第2回中央委員会総会の報告(2中総)について触れてお かねばならない。第1の柱を実現するためには、共産党指導部 の頭の中身を切り替えてもらう必要があるからである。
 志位報告を一言で特徴づけるとすれば、言葉は悪いが「政治 課題そっちのけの党勢力拡大オタク路線」というものである。 改憲阻止などの政治課題が党勢力拡大に従属するという逆転現 象が起きている。志位報告の全体を貫く特徴は次の一文に示さ れている。

「きたるべき選挙の真の争点は、『与党の過半数 割れ』かどうかではなく、自民党政治を大本から変えるたしか な立場をもつ日本共産党がのびるかどうかにある。」

 第何中総報告というものを読むたびにお目にかかる見方であ る。「大命題」と呼んでおこう。たぶん、これが共産党の言う 「科学の目」(注2)なのであろう。ご覧のように、この見方 は共産党指導部に共通なもので、共産党内では常識的な政治の 見方なのであろう。かつては、単なる「枕詞」くらいに解釈し ていたのだが、その執拗なまでの選挙戦術を見ると、景気づけ の言葉ではなく、選挙戦術を直接規定するほど重要な政治の見 方であることがわかってきた。
 しかし、このような政治の見方は、非常に特異な政治の見方 、特異な政治情勢認識だと言わざるを得ないのである。
 たとえば、与党が参議院で過半数を割れば、強行採決もでき なくなる。そうなると、議案審議に時間を費やさざるを得ず、 他の法案処理も山積みとなり、与党の改憲速度は目に見えて落 ちてくる。それは我々が新たに設ける改憲へのひとつの障害物 となる。それだから、与党が参議院で過半数を割るかどうかは 、どうでもいい問題ではないのである。昨年の総選挙における 自民党の圧勝が改憲の速度を加速させたことを見てみればいい 。今では国民投票法が国会に上程されている有様である。しか し、この「大命題」では与党が過半数を割ることは大した問題 じゃない(注3)と言っているのである。

(注2)昨年の総選挙の最中には、「科学の目」の発案者・不 破議長(当時)は次のように演説している。「日本共産党がこ の総選挙でどれだけ前進するか、ここに日本の政治の未来がか かっている」(「政治のゆきづまりをどう打開するか」「赤旗 」2005年8月22日) この見方も同じものである。
(注3)共産党が大した問題じゃないという場合、その議論は 自民と民主が基本政策を同じくするから政権が変わっても政治 は何もかわらないとする考えと、もう一つ、自民が窮地に陥れ ば民主が助け、主要な法案は成立させるという二つの考えから 出てくるのである。しかし、これらの議論が実に雑ぱくな議論 で、共産党自身を窮地に追いつめている考え方であることは「 10」で説明する。

7-2、「真の争点」の分裂が政治情勢誤認の根源にある
 なぜ、共産党指導部にはこんな単純な真実が見えないのか?
 国政選挙の「真の争点」を「共産党がのびるかどうかにある 」とみれば、政治の表舞台で争われている社会福祉の切り捨て や消費税の増税、改憲策動や与党を過半数割れに追い込むこと など、すべての争点が「真の争点」ではないことになるのであ る。
 この見方では、指導部が意識すると否とにかかわらず、与党 を過半数割れに追い込むことなどの現実の争点が重要視されず 、党勢力拡大のための付随物となる。我々、国民には消費税を どうするか、改憲をどうするか、医療制度の改悪をどうするか 、こちらの方が切実で政治の「真の争点」なのだが、共産党に は共産党を伸ばすことが「真の争点」なのである。
 「真の争点」が分裂する。どちらが「真の争点」であろうか ? この場合、こたえは国民が争点だと思う方に「真の争点」 がある。というのは、人間の意識を通過することなしには国民 の政治行動は起こらないからである。今のところ、大多数の国 民にとって共産党が伸びることが一番大事なことだという意識 はない。共産党の言う「真の争点」は、共産党が政権を目前に して、政権交代を国民に問うような政治情勢になった場合には じめて言えることである。こうして、共産党指導部は選挙戦の 現実の争点、真の争点を見誤る。政治情勢のありのままの姿が 見失われる。政治情勢をとらえ損なう。

8-1、連敗続きの国政選挙の敗因はどこにあるのか?
 以上、共産党が把握する「真の争点」が原因で、政治の争点 、政治情勢を見誤り、事実上、党勢拡大第一主義になってしま っていることを見てきた。次に、国政選挙における連敗の敗因 を探ってみよう。
 全小選挙区立候補戦術による選挙戦は、2000年以降、連 戦連敗である。2度の参議院選挙と3度の衆議院選挙である。 昨年の衆議院選挙では、改選議席を確保したので「善戦健闘」 なる評価をしているが、巨大与党が成立したうえに得票率でも 減少し、1970年以降の最低を記録しているのであるから、 実質は敗北である。
 その敗因をつぶさに検討し、後退から脱却する新しい手だて を採用し、細心に成否の見込みを計ることが政党としての義務 であろう。しかし、その敗因は究明されたであろうか? 総選 挙を総括した4中総でも24回党大会決議でも、あるいは最近 の2中総でも何ら明示されていないのではなかろうか? 言わ れていることは、党の力量不足、「強く大きな党を」(2中総 )ということだけである。
 しかし、本当に党の力量不足が敗因なのであろうか? 党の 力量不足ということは何も今に始まったことではないはずであ る。参議院選で躍進した1998年ですら、党の力量不足が嘆 かれていたではないか。曰く、選挙戦での前進に党勢拡大が追 いついていない(注4)と。だから、力量不足でも躍進した選 挙戦もあったのであり、5連敗の敗因を力量不足に還元するこ とは具体的な敗因を見失うことになる。
 従って、具体的な敗因は別にあるのだが、しかしまた、よく 指摘される全小選挙区立候補戦術が原因なのかというと、19 96年の総選挙も1998年の参議院選挙もその戦術で躍進し たのであるから、簡単に原因と断定するわけにはいかない。
 国政選挙は、政党間の総力戦であるから、いろいろな要因が 複合的に重なって敗因を形成するわけであるが、それでも敗北 の主要な原因を摘出することは可能であるし、また、ぜひとも やらなければならない。

(注4)1998年の参議院選の前年、1996年の総選挙に おける躍進を受けて開かれた21回党大会決議は次のように言 っている。「いまのわが党の発展の特徴は、日本共産党の政治 的影響力の大きな広がりにくらべて、党勢拡大が、たちおくれ ていることである。」(「前衛」1997年11月臨時増刊、 45ページ)

8-2、100万票の基礎票の流出
 そこで、国政選挙に現れた共産党に関わる否定的現象を採り あげて、敗北の主要な原因を特定してみることにしよう。昨年 の総選挙では比例区の得票数は492万票で9議席を確保して いる。その内、基礎票が250万票、流入票が242万票、流 出した基礎票が100万票(対抗戦略欄「日本共産党の200 5年総選挙・・・」2005/10/28参照)となっている 。従来の基礎票は350万票である。
 これらの数字を見ると、流出した基礎票100万票が全得票 の20%強を占め、また、従来の基礎票の28.57%となっ ている。従来の基礎票の30%近くが失われるという現象が起 きているのである。昨年の総選挙では34万票の得票増をもっ て「善戦健闘」と評価したのであるから、この100万票にの ぼる基礎票の流出がいかに大きいかがわかる。ここに敗因の主 要な根拠の一つがあると断定しても間違いではあるまい。
 奇妙なことに、共産党指導部は、この基礎票の流出という重 大問題に一貫して目をつぶっていると指摘しないわけにはいか ない。基礎票というものは、その政党の数十年にわたる活動の 成果そのものであり、絶えず移動する流入票の比ではない重要 性を持っている。その基礎票が大規模に流出するということは 、共産党の議会内外での先細りを予見する指標でもある。
 したがって、基礎票が流出する原因を探ることが敗因の主要 な原因を特定する作業となるはずである。
 まず、共産党の全政治活動を政策、組織、運動という区分け で特定作業をはじめると、国政政策が批判されて基礎票が流出 しているとは考えにくい。その選挙政策の基本骨格はそれこそ ずーっと以前から変わっていないからである。最近では拉致問 題などの影響もあろうが、それは流入票に影響する方が大きい であろう。基礎票は天安門事件などの風雪を経験した支持票な のであるから、拉致問題の影響は軽微であるとみてよかろう。
 組織のあり方、運営については多くの批判があるが、これら の批判も今に始まったことではなく、それこそずーっと以前か らあった問題である。最近、突出して影響を与えたものと考え られるのは筆坂問題くらいである。しかし、基礎票は嫌気がさ しても党幹部の不祥事くらいで他党派に向かうということはな かった。他党派の方が不祥事だらけだからである。

8-3、全小選挙区立候補戦術が敗北の一大原因だ
 したがって、何らかの運動の仕方に関わるものが主な原因な のである。選挙戦で現れる批判であるから、選挙戦における運 動、すなわち選挙戦術への批判が中心だということになる。
 全小選挙区立候補戦術が批判される論点の一つは、その戦術 が事実上、自民党の議席を小選挙区で安定的に確保するのに役 立っているということである。もう一つは同じ基本政策の民主 党でも政権を交代させる方がベターだという批判である。この 二つの批判が総合されて、現状では共産党に1票入れても自民 党を利するだけだという批判になり、民主党を中心とする他党 に基礎票が流出していくのである。私の狭い個人的な経験でも 確認できる。
 ここで批判されている自民党補完機能は、もともとあったも のではなく、小選挙区制のもとで民主党が急速に大政党に成長 したことにより生み出されたものである。新しく誕生した政治 要因が既存の戦術に新しい政治的機能を付加するという政治現 象である。
 そういうわけで、共産党は全小選挙区立候補戦術を再考し、 利敵行為となる側面を払拭する選挙戦術を考案しないことには 基礎票の流出は止まらないということになる。
 流出票の受け皿になっている民主党が小沢民主党に転換し、 全野党共闘を呼びかけて与党の過半数割れを訴えていることと 考え合わせると、このままでは共産党の基礎票の流出はさらに 拡大する可能性が高くなっている。流入票も止まる。「平和共 同候補」運動についても、共産党は背を向けているが、こちら の方の影響も相当受けると見なければならないだろう。今度の 2中総では650万票という目標を掲げているが、基礎票の流 出に目をつむり、頑迷に選挙戦術を変更をしなければ、基礎票 の中核を残して流出しかねない政治的条件が生まれてきている 。誤りに固執すれば傷が深くなるのは世の常である。

9、全小選挙区立候補戦術では政治情勢は変えられない
 共産党指導部が基礎票の流出に目をつぶり、全小選挙区立候 補戦術に固執するのはなぜだろうか? 諸文書から読み取れる ことは、小選挙区での闘いが比例区の得票を押し上げるという 認識である。しかし、この問題は地方の党員と機関の意識性や 選挙活動の仕方でプラスにもマイナスにも変化するものである (公明党がいい例だ)が、ともあれ、党指導部にとっては比例 区の議席増による前進が至上命令となっているわけである。
 それで、目標とする議席が何議席かというと、改選議席より 1議席多い「絶対確保議席」6議席である。これでは政治情勢 をどう変えるかなど眼中にないことになる。仮に現状より1議 席だけ共産党の議席が増えたところで、与党には何の痛手でも ないし、改憲のロードマップが変化するわけでもない。政治情 勢が変わり、共産党の存在感が高まり、何か国民の要求が実現 されるわけでもない。
 要するに、政治情勢を変化させる見込みのないことであるが 、1議席増のためにすべてを賭けるという選挙戦術である。例 の「大命題」を地で行く選挙戦術である。すでに検討した敗因 からすれば、1議席増に固執して2議席失う可能性の方が高い のだが、しかし、これが革新政党のとるべき戦術なのだろうか ? これでは事実上、政治情勢を変えることに関心を持たず、 政治の争点に見向きもせず、ひたすら党の議席増だけを考える 選挙戦術になってしまう。「大命題」に規定された選挙戦術で はそうなるほかない。
 少なくとも、現有勢力でも政治情勢を最大限に有利に展開さ せる選挙戦術を考えるべきではないのだろうか? 政治情勢を 政治革新に有利な方向で展開させる選挙戦術を編み出して、そ の戦術に乗って議席増をはかるべきではないのだろうか? 基 礎票の流出もそのことを訴えているのではあるまいか?

10、政治情勢を概念図で裁断する誤り
 民主党と選挙協力を結び与党を過半数割れに追い込むという 戦術はどうだろうか? その戦術により与党が過半数割れを起 こしても、民主党が「助け船」を出すから意味がない、改憲の ロードマップは不変だとでも言うのであろうか? 体制派の二 大政党であるから、必ず「助け船」を出す法則的必然性がある とでも言うのであろうか? 全小選挙区立候補戦術でいいとい う共産党員の多くは指導部ともども、このように考えているよ うであるが、この見方は「科学的社会主義」の先見性を示すも のではなく、「マルクス主義の戯画」というものである。「一 寸先は闇」ともなる政治情勢は具体的に検討することが必要で ある。
 昨年の郵政民営化法案をめぐる自民党内の抗争について、次 のように予想してもおかしくなかった。ブッシュ政権が強力に 要請する郵政民営化法案であるから、その要請は対米従属政党 ・自民党の実現すべき至上命題となっており、自民党内のゴタ ゴタはあれ、最終的には手打ち式が行われ法案は成立するだろ うと。いわば、自民党内の茶番劇、コップの中の嵐にすぎない と。しかし、実際は違っていた。民主党も小泉政権の最重要法 案に「助け船」を出すどころか、党利党略で自民党内の造反派 と手を結んで法案を否決してしまった。
 この事例は非常に重要な意味をもっている。同じ党内だから とか、基本政策が同じだからといって、そこに起こる抗争が、 必ずしも茶番やコップの中の嵐に終わるわけではないこと、必 ずしも「助け船」が出されるわけではないことを示しており、 経験や共産党の「科学的社会主義」が作り上げた政治概念図( 自=民対共)(注5)から見るだけでは足りないことを示して いる。
 このことは何を意味するか? 政治概念図は現実の抗争を見 る場合の「手がかり」になるだけで、政治概念図で裁断できる かどうかは、具体的に分析してみなければわからないというこ とである。民主党が「助け船」を出すかどうかについて、政治 概念図から言えることは10中8、9、「助け船」を出すので はなかろうかということくらいなのである。これを100%「 助け船」を出すと見る法則的必然性というように理解すれば誤 りなのである。「マルクス主義の戯画」になるのである。政治 概念図で度を越して現実を裁断すれば現実を深く理解するどこ ろか、現実を見誤るのである。共産党指導部が、昨年の総選挙 で候補者擁立に追われたのも、自民党内の抗争を「コップの中 の嵐」と予断をもって見ていたからである。

(注5)本年1月の24回党大会決議に次のような文言がある 。

「自民・民主の『大連立』がたえず問題になって いるが、政治の中身うえでは、すでに両党は事実上の『大連立 』状態にある。」(「前衛」No803、31ページ)

 この規定は、形のうえでは別個の政党だが、基本政策や実際 の政治活動では、自民党と相互に連携し同一の政治を行ってい るという意味であろう。前原民主党の時期に書かれた決議だと いう点を考慮しても、郵政民営化をめぐる自民党内の抗争劇を 見た後では粗雑な議論であることを免れない。両党を一体のも のと見れば、政治の舞台は単純な2項対立(自=民対共)とな り、政治戦術も単純なものになるしかない。全小選挙区立候補 戦術がそれである。すでに引用した「大命題」と、この「大連 立」認識がない交ぜになって全小選挙区立候補戦術が打ち出さ れてくるのである。

11、新しい政治現象か?
 現実は、自民党内での抗争が党を分裂させている。党をたた き出された部分の一部は新党を結成し意気軒昂である。この現 象を過小評価しては郵政解散であわてたのと同じ誤りを再び繰 り返すことになる。あの抗争劇の争点は小泉郵政民営化法案の 売国性という点である。対米従属の支配政党の中に国益派が出 現し分裂したということは、55年政治体制ができあがって以 来はじめてのことであり、この新しい政治現象(注6)を軽視 すべきではない。つぶさにその帰趨を研究しなければならない のである。
 体制派が対米従属から抜けられるものかとタカをくくるのは 政治概念図による現実の裁断である。この新党が、新たに成立 した小沢民主党と連携しようとしており、小沢民主党はその最 大の政治目標として政権獲得を掲げ、前原民主党が見向きもし なかった全野党協力も呼びかけている。小沢民主党は政権戦略 の一環として対決姿勢を前面に打ち出しつつある。さきの通常 国会では民主党案に相乗りするという共謀罪法案についての自 民党の妥協案さえ民主党は拒否し、その対決姿勢を強めている 。そのために国民投票法案以下の重要法案が継続審議になって いる。最近では、地方の首長選でも相乗り禁止令を出し始めた 。
 この事実をよく見るべきで、できあがった政治概念図で裁断 し、基本政策が同じだから、対決姿勢はポーズだけだと断定す るのは誤りである。

(注6) 郵政民営化をめぐる自民党内の抗争は「コップの中 の嵐」ではなく、日本の進路をめぐる支配階級内の二つの路線 闘争の本格的はじまりである可能性がでてきた。その対立は、 これまで言われてきた伝統的自民党支配の型か新自由主義かと いう枠を越えて、「売国」というファクターが中心軸に登場す ることによって、新たな段階に入ったように見えるのである。 戦後左翼の資本主義論争が「自立-従属」論争であったように 、日本での路線闘争は対米「自立-従属」問題が中心軸に座る ことによって、はじめて本格的な路線闘争となる。
 その路線闘争のベースには1985年のプラザ合意にはじま るアメリカの対日政策の根本的転換(基調としての保護・育成 から収奪へ)がある。この転換は社会主義諸国の崩壊を見るこ とによって既定路線となり、「マネー敗戦」(吉川元忠)を経 てようやく支配階級内の意識にのぼりはじめることになる。売 国小泉論を主題とする数多くの出版物もその証左と思われ、郵 政民営化法案という売国法案をめぐり、本格的路線闘争として 最初の形を取り始めたように見えるのである。
 55年体制の成立以来、絶えてなかった支配階級内の本格的 路線闘争が登場してくる歴史的条件としてもう一つ考えられる のは、本来登場すべきはずの対抗路線が、1998年に共産党 の躍進として萌芽的な動きをみせたものの、時代に対応できな い教条と組織・運動のために自滅しつつあることである。
 あの自民党内の死闘が小沢民主党の登場で、自・民の路線闘 争へと発展する可能性を排除するべきではない。そうなれば、 従来、共産党が言ってきた2大政党制論も実情に合わなくなっ てくる。自民党と民主党の関係が協調から対立へと基調を変え る可能性が出てきた。その意味で政治情勢は流動的なものにな ってきており、政治戦術の間口を広くとり、第1の柱として示 した可能性は最大限に利用されるべきなのである。

12、政治戦術では細部の違いが問題なのだ
 対決姿勢はポーズだけだと断定することが、なぜ誤りなのか? その意味は二重である。一つはすでに説明した政治概念図を度を越して適用していること。もう一つは次のことである。ここが非常に重要なところなのであるが、政治概念図にしたがって安易に対立はポーズだけだと断定してしまうと、政治の舞台が単純なわかりやすい姿に見えるのであるが、実はその時、政治情勢を我々に有利に展開させる可能性や手がかりを見失ってしまうのである。
 この手がかりや可能性は政治概念図では捉えられない1~2割の領域に起こる政治現象を通して現れてくる。前原民主党の自民党へのすり寄り姿勢と小沢民主党の対決ポーズなどの政治現象の違いのうちに現れてくる。
 政治戦術の領域では、基本政策が同じでも相手側の小さな違いが問題なのである。学者が政党を区分けする時には基本政策の異同に着目して区分けするであろう。しかし、政治家はこの区分けで満足するわけにはいかない。というのは、政争では戦術を作り上げるうえで小さな相違をも見逃すわけにはいかないからである。同じものを見ても、門外漢と専門家では見るところが違うはずである。
 我々を有利にする可能性や手がかりをつかもうとすれば、相手側のささいな違いをも見逃すべきではないのである。自民党と民主党を十把一絡げに見るのがまちがいなら、前原民主党と小沢民主党を十把一絡げに見ることもまちがいである。この説明からわかるであろうが、共産党の指導部は学者の区分で満足しており、政治家としての区分を行っていないのである。「大局的」とか「真の」とか「本質的」とか、「基本的」など学者好みの用語を用いることはできても、政治を争う者が見るべき区分で事態を見ていない。戦術が必要とする概念がないのである。
 この学者と政治家による区分の違いは次のように言い換えることもできる。政治情勢や政党の一般的特徴づけに必要とされる概念・その構成要因と戦術を決定する場合に必要とされる概念・その構成要因は別のものだ。というのは、着目すべき点が違うからである。共産党の指導部は前者の概念を後者にまで代用させて使っている、というよりこの区別が必要なことを知らないのである。
 この項をまとめてみよう。政治情勢や政党観、政党の階級配置などを見る場合、基本的特徴が問題になる。一方、政治戦術の領域ではそれらの基本的特徴を前提にして、さらに細部の異同、対立と共同、強弱等々の特徴が問題になる。この戦術レベルでは、戦術から見て重要な異同、対立と共同、強弱等々を基本的特徴で一刀両断にして、その違いを無視する(政治概念図で裁断する)ことは誤りなのである。
 基本的特徴が問題になる領域では細部の相違は無視しなければならない。しかし、細部が問題になる領域(政治戦術)では基本的特徴を押しつけ細部の相違を無視してはならないのである。これが共産党の指導部にはわかっていない。学者はいても政治家がいない。だから、政治戦術というものが元々ないのである。全小選挙区立候補戦術が「大命題」に直接規定されて出てくる理由もここにある。

13-1、自民党と民主党の抗争を激化させることに活路があ る(1)
 基本政策が同じであっても、ある政治情勢の下では与党の最 重要法案である郵政民営化法案でさえ、党利党略的に民主党は 拒否したのである。この事実をしっかり見てもらいたい。小沢 民主党の下では、自民党との対立が主要な側面になる可能性が 高い。
 自民党との対立が主要な側面になる可能性というと、基本政 策が同じ政党間でそんなことはあり得ないと共産党員の皆さん は思うかも知れないが、そうした予断が政治概念図に基づいて 度を越して現実を裁断する見方なのである。現実には基本政策 が同じ政党間で、対立が主要な側面となり、激しい政権争奪戦 を繰り広げる例はいくらでもあることである。
 この可能性は反体制派が国会で逼塞しているが故にさらに高 まる。体制派の2大政党が抗争していれば、反体制派に票を奪 われ体制危機を招来するという政治的条件がないからである。 後顧の憂いなくケンカができる政治情勢にある。そこでは、改 憲であれ、何であれ、政策は政権取りの手段になりうる。郵政 民営化法案を見ればわかることである。
 だから、改憲法案は、その方向が一致していても自・民の政 争の具になりうる。郵政民営化法案以上に政争の具になる可能 性がある。というのは、反改憲派が大がかりな反改憲運動を起 こすからである。政権をとろうとする政党は、この運動を取り 込もうとして、自らの政策に反して、一時的に改憲凍結ポーズ をとろうとする可能性が高いからである。一時的な凍結ポーズ でもないよりは我々に有利である。

13-2、自民党と民主党の抗争を激化させることに活路があ る(2)
 できあいの政治概念図から安直に判断して、基本政策の同じ 自民と民主のやることだから、対立場面を作っても、それは表 向きで、裏では手を握っていて「できレース」をやっているに すぎないと考えるのは危険である。1~10まで手を握ってい るのでもなければ、1~10まで対立しているわけではない。 現実はその中間にあり、どの位置にあるかは政治概念図からは 判断できないのであって、具体的な政治動向を分析することで しか結論をだせないのである。
 共産党指導部の場合、言わばこのデリケートな部分への関心 が薄いばかりか、政治概念図で一刀両断にして顧みることがな い。大雑把に1~10までいっしょだというのである。2中総 に見える「大連立」論(注7)がそれである。
 国会の少数派である護憲派が、対立が主要な側面となる可能 性を政治概念図で裁断して見過ごすのは誤りである。自民と民 主の対立点はどんなささいなものでも徹底的に利用しなければ ならない。対立する可能性があるならば、その可能性を現実性 に転化するように働きかけなければならない。改憲問題に焦点 を合わせれば社民党の選挙戦術の方が正しいのである。
 共産党が、すでに述べた第一の柱の政策を結び、民主党と連 携すれば、その分だけ自・民の抗争を激化させることができ、 ここで述べた対立の可能性をさらに高めることができるはずで ある。政治情勢に働きかけて、情勢を流動化させ、共産党の存 在感を高め、改憲阻止の政治的条件を少しでも有利にすること ができるようになる。
 この対立の可能性に着目し、その可能性を研究し、その可能 性に能動的に働きかけ、確たる現実性に転化させるのが、政治 情勢に働きかけ、政治情勢を切り開くということの真の意味で あろう。少数派政党が2大政党を振り回す政治構図を作り出し 、おのれの目指す改憲阻止の政治的条件を国会内に構築する可 能性がここにあるのである。

(注7)、この「大連立」論は戦術レベルの概念にまで無意識 に適用されている点で誤りだが、政治情勢の基本的特徴づけと しても、小沢民主党の成立後は誤りである可能性が高い。

14-1、ロシアの巨人は政治戦術をどう見ているか(1)
 私は全小選挙区立候補戦術を政治情勢も党の力量も考慮して いない点で、無謀な戦術(注8)だと考えるのであるが、すで に引用した「大命題」を想起しながら、次のレーニンの言葉を 熟読玩味してもらいたい。

「だが、力関係や、力関係の計算については、わ が共産党左派は・・・考えることができない。ここにマルクス 主義とマルクス主義戦術の核心があるのに、彼らは次のような 『高慢な』空文句を弄してこの『核心』をよけている。」(「 左翼的な児戯と小ブルジョア性について」全集27巻330ペ ージ)
 「力関係や、力関係の計算について」何ひとつ考慮すること なく、「『真の争点』は・・・日本共産党がのびるかどうかに ある」とか「日本共産党が総選挙でどれだけ前進するか、ここ に日本の政治の未来がかかっている」と言うのは「高慢な空文 句」ではあるまいか?
 レーニンはマルクス主義戦術の核心があると、そこまで言っ ている。これは単なる修辞ではない。そのうえ、さらにマルク ス主義の核心だとも言っている。だから「力関係や、力関係の 計算」を考慮できないような党ではマルクス主義の党ではない と言っているのであるが、この点は措くとしても戦術に関して は若干の説明が必要であろう。
 ここに言う「力関係や、力関係の計算」というのは、もう少 し具体的に述べれば次のようなことである。

「力のまさっている敵に打ち勝つことは、最大限 の努力を払う場合にはじめてできることであり、かならず、最 も綿密に、注意深く、慎重に、たくみに、たとえどんなに小さ なものであろうと敵のあいだのあらゆる『ひび』を利用し、各 国のブルジョアジーの間や、個々の国内のブルジョアジーのい ろいろなグループまたは種類の間のあらゆる利害の対立を利用 し、また大衆的な同盟者を、よしんば一時的な、動揺的な、ふ たしかな、たよりにならない、条件的な同盟者でも、手に入れ ることを理解しないものは、マルクス主義と科学的な近代社会 主義一般をすこしも理解しないものである。」(「共産主義内 の左翼主義小児病」全集31巻58ページ)

(注8)私が「無謀な戦術」というのは、政治情勢と我彼の力 量を考えずに自滅する戦術のことである。衆議院選では過去3 回で0勝900敗になっている。供託金が没収され巨額な党資 金が流出する。当選が目的ではないから、安易に党職員を候補 に立て、真剣味の欠けた訴えで有権者の愛相づかしを誘う。そ れがまた党員を疲弊させる。前回の参議院選では97.5%( 前2中総)の支部が選挙戦に参加したが、昨年の総選挙では8 2%(4中総)に下がっている。その選挙戦術が客観的には自 民党の議席安定に貢献していることで、反自民共産支持の基礎 票を流出させている。

14-2、ロシアの巨人は政治戦術をどう見ているか(2)
 私が学者の区分で満足せず、政治家の眼で区分を行うべきだ と述べたことの具体例がここにある。原文には「かならず」と いう言葉に傍点を附して強調してあり、レーニンの涙ぐましい までの説明ぶりがうかがえるが、さて、日本共産党の全小選挙 区立候補戦術は敵のどのような「ひび」を利用した戦術なので あろうか?レーニンは「かならず」「あらゆる『ひび』」を利 用しろとまで言っている。そして、ここに述べてあることを理 解しない者は、「マルクス主義と科学的な近代社会主義一般を 理解しないもの」であると再び繰り返している。
 現在の共産党指導部を見ると、レーニンのここでの説明は何 度繰り返しても繰り返したりないほどである。
 「マルクス主義と科学的な近代社会主義を理解しない」教条 的で硬直的な議論をするヨーロッパの社会民主主義左派にレー ニンが渾身の思いで伝えようとするマルクス主義戦術の奥義は 、一言で言えば次のことである。

「われわれが勝利にむかって、もっと確信をもっ て、もっとしっかり進むのに、ただ一つだけたりないものがあ る。すなわち、戦術のうえでは最大限に弾力性を発揮しなけれ ばならないということを、すべての国のすべての共産主義者が いたるところで、徹底的に考えぬいて自覚することである。」 (同91ページ)(注9)

(注9)、余談になるが、その革命が成功するなら、ソビエト ・ロシアは犠牲になってもいいとまでレーニンが言ったドイツ で、最大限に柔軟な戦術を駆使してドイツ革命を成功させたな らば、その後の世界史は現在とはまったく別のものとなってい た可能性がある。マルクスが構想した世界革命の開始である。 崩壊する前のソ連も別のものになっていたであろう。その意味 で、一つの政治戦術が時として一国の運命を全く別のものにす る可能性があることを脳裏に刻んでおきたいものである。

15、無謀で幼稚な選挙戦術が共産党を窮地に追い込んでいる
 去る7月31日、書記局長の市田は、記者会見で、民主党と の選挙協力を否定して次のように言っている。

「民主党は国の基本政策で自民党と同じ土俵に乗 り、悪政を競い合っている。もともと選挙での協力の可能性が 存在していない間柄だ」(「YOMIURI ON LINE」 7月31日 )

 武部と冬柴は、この発言を聞いて椅子から飛び上がって喜ん だであろう。
 この発言のどこに相手陣営の「ひび」を利用して政治情勢を おのれに有利に展開させようとする発想があるだろうか? ど こに与党の改憲策動にくさびを打とうする発想があるだろうか ? 基本政策が違うから「協力の可能性が存在していない」?  笑うべき幼稚さではないか。武部と冬柴が笑いをかみ殺して いる姿を何度テレビで見せつけられたことか!「戦術のうえで は最大限の弾力性を発揮しなければならない」というレーニン の言葉を市田はどう聞くのであろうか?
 この幼稚さ(注10)が共産党を窮地に追いつめている。国 政上の基本政策が違えば選挙協力する余地がないと思いこむの であるから、他政党で提携できる政党はなく、一人我が道を行 く全小選挙区立候補戦術しか残らなくなる。その戦術が与党の 議席安定に貢献することになっても、他の戦術が考えられない のだから、この不愉快な貢献にも目をつぶらざるを得ないこと になる。そうして基礎票の大量流出を招き寄せる。自滅の道を 進む。
 あまり言いたいことではないが、山荘のご老人よ、これがあ なたの教える「科学的社会主義」なのか? 
 市田は、手をかえ品をかえ、懇々と説くレーニンの説明をよ く考えてみるべきだ。レーニンの言うところは、たとえ、どん なに敵対的な政党であっても、基本政策がまったく違う政党で あっても、頭のてっぺんからつま先まで、どんな状況でも、ど んな時期でも、絶対に利用できない政党や政治グループは存在 しないと言っているのである。これが弁証法的な見方であり、 この見方がわからない政党はマルクス主義の党ではないと言っ ているのである。

(注10)この幼稚さがどこから来るかはすでに説明した。特 異な政治情勢認識である「大命題」、政治概念図による度を過 ぎた現実の裁断、戦術が必要とする概念の欠如がそれである。
 この幼稚さを見て思い出すのは共産党指導部が以前に行った 二つの提案である。1998年に参議院選の躍進を受けて、不 破委員長(当時)が提案した安保凍結の暫定連合政権論。基本 政策は白紙で安保破棄政策だけを棚上げにした無原則政権論で あった。もう一つは2000年の衆議院補選、東京21区で無 所属の川田悦子氏を推すにあたって共産党が提案した協定の一 項目に「反共産の態度を取らない」とあったことである。

16、結論-天恵と決断
 昨年の小泉による「クーデター」解散と総選挙によって巨大 与党が成立し、他方では、与党にすり寄る前原民主党のぶざま な倒壊が小沢民主党を誕生させた。この二つの新しい政治要因 の独特の組み合わせが、思いもよらず、護憲派にひとつの天恵 をもたらしている。政策協定による全野党選挙共闘を成立させ る可能性という天恵である。
 民主党が昨年の総選挙であそこまでやられなければ、全野党 共闘の提唱が民主党から出ることはなかったろう。また、あそ こまでやられてはじめて、民主党執行部の思い切った若返りも 可能であったし、そのことによって、若手・前原らの無能さが 完膚無きまで国民にさらされることにもなった。
 新自由主義という金ぴかの制服を着た若手が「ガセメール」 で自滅し、逼塞することを余儀なくされてはじめて小沢が登場 する道が開けたのである。そして、小沢を措いて他には全野党 共闘を提唱できる民主党の政治家はいない。
 言うまでもなく、小沢はあの田中角栄の秘蔵っ子にして自民 党の元幹事長である。自民党内の元祖新自由主義者であり、一 度は自民党を下野させた細川政権のキーマンにして、小選挙区 制実施の「立役者」でもある。その小沢が小選挙区制ゆえに全 野党選挙協力を提唱している。
 皮肉な歴史の巡り合わせだが、天恵はこうした幾重もの政治 ドラマを経て我々の目の前に置かれている。しかし、この天恵 をわがものにするには、旧来の空疎な定型的思考を打ち破る柔 軟な思考と知恵と工夫が必要であることは、すでに見たとおり である。
 幸運の女神に後ろ髪がないというが、問題は共産党指導部が この天恵をわがものにする頭の切り替えができるかどうかであ る。右傾化する政治情勢の転換と共産党の命運はひとえにこの 一点にかかっている。

追記、指導部の言説を鵜呑みにしがちな共産党員の皆さんに説 明することを念頭においたため、後編では繰り返し同じ主題に 立ち返ることになった。そのことが投稿を読みにくいものにし ている。記して謝す。2006/8/6