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「現状分析と対抗戦略」討論欄

それがまさにレッテル貼りというものです

2006/09/12 ぴーす2006 40代 会社員

 うーん。そういうのは「党派としての責任の所在を明確にして」共闘の原則を守っているというのではなく、「レッテル貼りをして排除の論理を振りかざしている」というのではないでしょうか。
 「『9条の会』は共産党が中心的に担っているから、共産党として扱おう」とい言う人が多いけど、私はそれには反対です。明らかに共産党員の人がきても「○○9条の会」として出て来ている限りは「○○9条の会」の人として扱うべきだと思いますよ。内心が教条的共産党員であるかどうかは関係ないのです。その人が「○○9条の会」の名を使って共闘の運動を露骨に共産党の利害に誘導のしようとすれば、その時はじめて批判すればいいわけです。
 なお、私の実感としては共産党員も「常に党派としての責任の所在を明確にして」いる人ばかりではなく、党への所属を隠して大衆運動現場に出てくる人が実に多いですよ。共産党公認で選挙に出たことがあるような人が一市民として来ていても、私は「お前は共産党だろう」とはいいません。露骨に共産党賛美をはじめない限り。
 そもそも私は公安警察ではないので、「○○労組の人なら共産党だ」とか、「○○運動なら××派」だというレッテル貼りをする能力がないのです。

 なお、革マルという例を出した私が悪いかも知れないけど、革マルというのは一つの例に過ぎず、言いたかったことは共産党一般に強くある排除の体質のことです。共産党の人は新左翼各派の区別はつけずに、一般的に「ニセ左翼」とか「トロツキスト」として、排除しようとします。スカンジナビアさんが純粋トロツキストの日本革命的共産主義者同盟中央委員会(かけはし派)だけを高く評価されているのは興味深いですが。
 さらに、共産党の排除の対象は新左翼系に限りません。一番強く出るのは元共産党系の人にたいしてです。(もっとも遡れば黒田寛一だって元共産党員だし、革労協をのぞくほとんどの内ゲバ派の指導層は元共産党員ですがそれはここではふれません)例えば、原水禁の統一大会が86年に崩壊したのは、草野さん吉田さんたちを排除しろと原水協が執拗に主張したことが主要な原因でした。様々な共闘の場で「こえ」派を排除しろとか、誰それを排除しろとか声高にいいつづけてきたでしょう。もし、例えば筆坂さんがグループを作って共闘の場にやってきたらどうなります? いまでもここそこで小さな排除の論理を振りかざし続けているじゃないですか。共産党内の対立なんか党外の人はどうでもいいんで、共闘するなら誰それを排除しろ、どこそこを入れるなとか、排除の論理を振りかざす者が共闘の一番の阻害者なのです。