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多くの人にとって、もっとも身近な投票所の外の日常である職場をめぐって、「民主主義感覚(直接民主主義指向)」「「自己決定」の思想」という、無党派層にとっての「認識の核心」「強固に形成されてきた思想」が実践される場面がなかなか捉えられないので、ここでは、9.11総選挙前後における郵政民営化をめぐる議論を通して、「戦後60年近いさまざまなイデオロギー的束縛を離れて、自分自身を見つめ直そうと目覚め」「改めて自然体での自分の価値観、自分の情報感覚というものについて考えるようになった」無党派層が、「自分なりの主体性を取り戻そうと必死にもがいている姿」を捉えてみたい。
郵政民営化をめぐる議論において、何よりも注目すべき点は、郵政民営化に賛成するにせよ、反対するにせよ、その論点として挙げられたのが、サービスの質が上がるとか下がるとか、あるいはせいぜい、郵貯の350兆円にも上る「国民」資産が外資に食い物にされるとかされないとかいった類の話にとどまったことである。そこには、郵政民営化によって真っ先に直接的な影響をこうむるであろう郵政労働者-雨にぬれ、雪に小声、砂埃の中鼻の穴も耳の穴も真っ黒にして、日が落ちた後にもあて先の文字に必死に目を凝らし、赤バイクにまたがっての発進停車の絶え間ない繰り返しの振動で腰を痛め、それでも「必死にもがいて」駆けずり回りながら、昇進のルートもほとんどなく、あっても極めて低い位置に限定され(**郵便局営業集配課課長”代理”)、一般に長く居れば居るほど「おいしい」といわれている公務員の地位すら定年まで持ちこたえられないものが少なくない、現場労働者-のことや(*注1)、構造改革の本丸に至るその前の段階で、すでに、外資に食い物にされるはずの郵便貯金すら持ち合わせていない無貯蓄世帯が2割にも上っていた、といったことが取り上げ・u毆)られることは最後までついになかった。
*注1
実は郵政民営化の影響は、「郵政事業の発展のためなら、労働条件 も割り切る」という全逓執行部の方針の下、”労”使一体となった労働強化という形で、もうかなり以前から現場労働者にのしかかっ ていた。また、全逓中央委員会は4.28反処分闘争の終結も一方的に決定し、それに従わず裁判を継続する組合員-かつての反マル 生越年闘争の日々において、”組合の指導に従って”争議に参加したがゆえに処分されクビ切られた組合員!-については、その長年 の献身をたたえ、組合員資格の剥奪によって報いたのだった。こうして、民営化阻止の大統一戦線の障害は一掃された。
もちろん、無党派層は郵政事業の労働現場や無貯蓄世帯についても「侮れない知識と情報」を有していたはずであり、にもかかわらず、彼ら彼女らの「民主主義感覚」「政治意識」が、そんなものはあたかも存在しないかのごとくに郵政民営化問題を前にして彼ら彼女らに振舞わせたのは、一見奇異である。
だが、「労働者よ、団結せよ」(「共産党宣言」)「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」(ILO「フィラデルフィア宣言」)といった「さまざまなイデオロギー的束縛を離れ」た、自身は郵政労働者でもなければ無貯蓄世帯でもないが、しかし、郵政事業の利用者ではあった圧倒的多数の無党派層ないし「政治意識の高い」国民が、自然体での自分の価値観、自分の情報感覚」に基づいて郵政民営化を論じたとき、それに賛成するにせよ反対するにせよ、郵政サービスを利用できるものによる、郵政サービスのあり方についての議論に終始し、郵政労働者や無貯蓄世帯のことが視界から完全に抜け落ちてしまったことは、実に「自然」なことだった。
そしてこの「自然」差は、近年何も郵政民営化問題に限って発揮されるものではなく、「公務員と民間労働者」「高齢者と現役世代」「大都市圏と地方」等々、その時々に誰かによって設定されるお題に応じて、「自然体での自分の価値観、自分の情報感覚・・・主体性」はもう一方の「自然体での自分の価値観、自分の情報感覚・・・主体性」とまったく断絶してしまい、「民主主義感覚(直接民主主義指向)」「「自己決定」の思想」になんら反することなく、片方が片方によって各個撃破されていくのである。それは今やありふれた政治的日常風景となっている。
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無党派層の理念型を示す物として挙げた先の引用を読んでいくと、二つの点に気づく。ひとつは「自分」「自己」といった言葉が頻出していること。それと、「民主主義感覚(直接民主主義指向)」「「自己決定」の思想」を「認識の核心」「強固に形成されてきた思想」とする無党派層が、直接「「民主主義感覚(直接民主主義指向」「「自己決定」の思想」の「担い手として登場」するのではなく、なぜか「侮れない知識と情報の担い手として登場してくる」とされている点である。
いくらその前に「政治意識は高」いという断りがあるにしても(むしろそういう断りがあればなおのこと)、このような無党派層の「登場」の仕方に不自然さは否めない。だが、この「ことを理解するべきである」以上、不自然だといって済ますわけにも行かないので、ここはひとつ温故知新のたとえに従って、19世紀の世界からカール・マルクス先生にアドバイスを仰いでみよう。
「数百万の家族が、彼らの生活様式、利害、教養を他の階級の生活様式等々から分離し、それらに敵対的に対置させる経済的生存諸条件の下で生活している限りでは、彼らはひとつの階級をなす。分割地農民の間には局地的な関連しか存在せず、彼らの利害の同一性が彼らの間に連帯も、国民的結合も、政治的組織も生み出さない限りでは、彼らは階級を形成しない。だから彼らは、自分たちの階級利害を、議会を通してであれ、国民公会を通してであれ、自分自身の名前で主張することができない。彼らは自らを代表することができず、代表されなければならない。彼らの代表者は、同時に彼らの主人として、彼らを支配する権威として現れなければならず、彼らを他の階 級から保護し、彼らに上から雨と日の光を送り届ける、無制限の統治権力として現れなければならない。従って分割地農民の政治的影響力は、執行権力が議会を、国家が社会を、自らに従属させるということに、その最後の表現を見出した。」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」)
無党派層は「ネット上で情報を収集し、意見交換を行い、自己の政治判断を決定しようとする」。確かにインターネットは、マルクスが言うような「局地的な関連」などではなく全国的、全世界的な関連ではある。だが、それが単に、情報収集、意見交換、”自己の”政治的判断の決定、をもたらすにとどまり、一向に「彼らの間に連帯も、国民的結合も、政治的組織も生み出さない限りでは」、現実の政治における位置づけとしては、マルクスが言うところの「「局地的関連」といかほどの差異もない。無党派層がたとえどんなに「民主主義感覚(直接民主主義指向)」「「自己決定」の思想」を「認識の核心」「強固に形成されてきた思想」とし、政治意識や知識、情報感覚に優れていようとも、無党派層を構成する一人一人の生身の人間は、政治的には限りなくゼロに近い一票を保持しているに過ぎないのだから、連帯や国民的結合、政治的組織を生み出す力を欠き、かろうじて細い通信回線一本でつながっただけの「自己」「自分」という語の頻出は、無党派層の自立、この確立の表現としてよりも、むしろ現状では、無党派層相互の分断と孤立の表現として際立ってくる。
そのような無党派層が、自分たちの「認識の核心」であり「強固に形成されてきた思想」である「民主主義感覚(直接民主主義指向)」「「自己決定」の思想」を、自ら担い手となって「議会を通してであれ」、あるいは日常の職場生活において労働三権を通してであれ、「自分自身の名前で主張することができない」としても、それはごく自然なことではないだろうか?
ここであのエジプト大統領選挙について思い出してみよう。
ムバラクとムバラクに体現される現在のエジプトのあり方と、「敵対的に対置させる経済的生存諸条件の元で生活している」圧倒的多数のエジプトの有権者は、その一方で、ムバラクに対抗する連帯・国民的結合・政治的組織を生み出すことができず、従ってムバラクに対し「自分自身の名前で主張し」「自らを代表すること」ができなかった。
だから、エジプトの70%の有権者は、投票そのものを放棄することによってしか、ムバラクへの不同意を表明できなかったし、そして同じ理由から、日本においても過去12年間、国政選挙の投票率は低迷を続けたのである。
だが、主権在民と代表民主制の近代国民国家において、有権者は選挙から逃走する事はできても、選挙の結果から逃走する事はできない。事実、エジプトの70%の有権者の主観的意図は如何であれ、ムバラクは投票率30%の選挙で得票率80%の支持を受け、全エジプトを代表する大統領となったし、日本においても、有権者の選挙からの逃走は、選挙に参加した有権者の代表を自分自身の代表として、無条件かつ自動的に事前承認すこと以外の何者でもなかった。
もちろんこのような<代表する-代表される>関係は、近代代表制国家の建前としての消極的なものに過ぎない。だがもしも、「自分自身の名前で主張」することも「自らを代表すること」もできない者が、”代表される”ことを望んだとしたらどうなるだろう?果たしてある人々を、その当人たちが本来する筈のところと比べて遜色なく、代表”してあげる”ことなどできるだろうか?
だが、実際に代表しているかどうかにかかわらず、あたかも代表しているかのように”装う”ことだったら、実は案外容易にできるのかもしれない。もしかしたら代表して”あげている”方でも客観的には敵対しているはずの相手を、本気で代表して”あげている”つもりになっていることだってあるかもしれない。そしてそれが可能であるのなら、実態にかかわりなく、(時には自分自身をさえ欺いて!)あたかも代表されているかのごとく振舞うことも可能なのではないだろうか?もちろん、そんな関係は倒錯以外の何者でもない。
2005年9月11日の高投票率が意味していたものは、有権者の間にインターネット回線以上の「連帯も、国民的結合も、政治的組織も生み出」されることがないままに、従って「自分自身の名前で主張すること」も「自らを代表すること」もないままに、そしてもちろん、彼我を「敵対的に対置させる経済的生存諸条件」が解消することもないままに、77割近い有権者が、自分が、自分以外の何者かによって代表されることができると本気で思ったか、(自分自身を欺いて)そう思おうとしたということであった。しかも結果は、多くの有権者にとっての「経済的生存諸条件」と最も鋭く「敵対的に対置」しているはずの、構造改革の党、小泉自民党に、最も多くの票が集中したのである。
これにはもちろん、原仙作氏の「現状分析と対抗戦略」欄05年8月27日付投稿「日本共産党のとる全小選挙区立候補戦術の誤り」にもあるとおり、小泉自民党の「無党派層がさまざまな政権を経験したことがないという経験不足・・・に付け込み、解散=直接民主主義・・・庶民性を押し出す小泉流パーソナリティーの演出、華やかな経歴の女性新人の起用など」「政治情勢と国民性を考慮しない共産党の教条的な戦術とは好対照を成す」巧みな戦術があったことは確かである。
だが、それを言うのならば、ほんの少し前までの民主党もまた、「無党派層がさまざまな政権を経験したことがないという経験不足・・・に付け込み」、世間交代選挙、政権選択選挙を歌って無党派層の「民主主義感覚(直接民主主義指向)」「「自己決定」の思想」に訴え、民主党が構造改革の党として現実には多くの国民・無党派層と「敵対的に対置」していることを忘れさせ、あるいは政権交代さえすれば(あたかも小泉が「郵政民営化さえ実現すれば、内政も外交もすべて良くなる」といったように!)構造改革の党と多くの国民・無党派層とを「敵対的に対置させる経済的生存諸条件」など、あたかも消えてなくなるかのごとく思わせて、「自分自身の名前で主張することも」「自らを代表すること」もできない者たちを代表”してあげる”ものとして、保守二大政党体制の一方にまで上り詰めたのではなかったか?
そして1990年代後半のー労働運動を始めとする社会運動の高揚をまったく伴わない-日本共産党の選挙(だけに限定された!)連続躍進も、国会・地方議会のオール与党体制に「自分自身の名前で主張することも」「自らを代表すること」もできない無党派層の「民主主義感覚」を、投票所の中で票に(票だけに!)換算し得た結果ではなかったか?
2005年9月11日に、現代日本政治の倒錯状況を、最高度にまで実現しえた小泉のテクニックは、確かに驚嘆に値する。だが、そのような倒錯を成立させるためには、何人をも代表”されないままには置かない”近代代表制国家の中にあって「自分自身の名前で主張」したり「自らを代表することができない」ために、「代表され」ることを望まずにはいられない、膨大な国民の存在が先行していなければならなかったのである。
共産党から民主党、民主党から小泉自民党へと、融通無碍に投票先を変えていく無党派層の柔軟性は、一般には、選挙の帰趨を決する無党派層の”強み”と認識されている。しかし、90年代後半においては「民主主義感覚(直接民主主義指向)」「「自己決定」の思想」という自らの「認識の核心」「強固に形成されてきた思想」と鋭く対立する組織形態をとる共産党に代表”されざるを得ず”、2000年以降つい最近までは、官公労という最大の”既得権益層”(!)を選挙実働部隊とする”改革抵抗勢力”(!)の民主党よって代表されざるを得なかったことを思い出せば、無党派層の投票行動の変遷は、強さというよりもむしろ、「自らを代表することができ」ず「自分自身の名前で主張することができない」ものの”弱さ”としてこそ捉えるべきではないだろうか?
だから、投票所の中とは違い、連帯し、団結し、自分自身の名前で主張し、自分で自分を代表して団体交渉等に望まない限り、選ぶに値する選択肢が出来合いで出てくることなどまずありえない職場に戻ったとたん、実に多くの無党派層が、上司や、経営者(陣)や、企業組織全体によって「代表されなければならなくなり、昇給を、ベースアップを、ボーナスを、残業代を、首にしないでいてくれることを、つまり「保護」と「上から雨と日の光を送り届け」てくれることを、ただ耐えながら待ち続ける存在へと落ちぶれてしまうのではないだろうか?
先ほどの原氏の05年8月27付け投稿に、示されていた
「自民党政権を転覆させようとして千載一遇の機会を逸した無党派 層の願望・・・本格的政治革新への胎動は、方途を見失えば政治的 アパシーに留まることなく、右翼的変革へと吸収されるばかりか、 右翼的変革への急先鋒へと変貌を遂げていく」
という懸念は、少なからぬ人が抱いている懸念でもあろう。でも本当は、2005年9月11日に「自民党政権を転覆させ」る「千載一遇の機会を逸する、もうかなり以前から、「主人」「支配する権威」「無制限の統治権力」が、半数近い有権者にとって、最も生活に密接した職場という領域のほとんどで、わが世の春を謳歌していたことの中に、そして90年代の共産党の選挙躍進の中にさえ「無党派層の・・・本格的な政治変革への胎動」がいとも簡単に「右翼的変革の急先鋒へと変貌を遂げていく」可能性が一杯に湛えられていたのである。
「社会主義国の崩壊以来」、「民主主義間感覚(直接民主主義指向)」を「認識の核心」とし、「「自己決定」の思想」を「強固に形成」していたというそのとき、そして「さまざまなイデオロギー的束縛を離れて、自分自身を見つめなおそうと目覚めて言った日本人」が、「亜rためて自然体での自分の価値観、自分の情報感覚を取り戻そうと必死にもがいてい」たというまさにその時、-それがまったく不十分で、みすぼらしく、多くの点で徹底的に批判されてしかるべきものだったにせよ-職場や、社会の濃く断面の身近な日常から、「連帯」市、「国民的結合」を図り、「政治的組織を海だ」すべク「自分の名前で主張し」、自らを自らで代表しようと「必死にもがいている姿」は、死滅しつつあったのである。
それが「戦後60年近いさまざまなイデオロギー的束縛を離れて、自分自身を見つめなおそうと目覚めてい」くことの代償として高かったのか安かったのかは議論の分かれるところではあろうが、現在、「民主主義感覚(直接民主主義指向)」「「自己決定」の思想」を「認識の核心」「強固に形成されてきた思想」とするはずの無党派層が、「右翼的変革の急先鋒へと変貌」しかねないという、倒錯した事態への危惧が高まっていることは確かなようである。
メーテルリンクの「青い鳥」の中で、チルチるとミチルが世界中探し回って見つけることができなかった幸せの青い鳥が、実は我が家の鳥かごの中にいたように、日常の生活の中でついに見つけることのできなかった無党派層の「民主主義感覚(直接民主主義指向)」「「自己決定」の思想」は、なんとインターネットの網の中に囚われていたのだった。無党派層が自らの青い鳥を自由に羽ばたかせてやる日は、一体いつになるだろう。