「嫌韓・嫌中・反日」、実に“嫌な”言葉である。
「失われた10年」と呼ばれる長い不況の中で、「新しい歴史教科書をつくる会」が、「歴史は科学ではない。物語だ。歴史は民族によって異なる」とし、「戦後の歴史教育は日本の歴史の負の面ばかりを強調し過ぎ、あまりにも偏った歴史観を自国民に植え付ける結果となった。」という、いわゆる「自虐史観」なるものを主張し始めた。
また、政界では、時代の閉塞感を吹き飛ばすが如く、小泉首相が「改革」を掲げ、「痛みに耐えて明日を良くしよう」「自民党をぶっ壊す」と絶叫し、登場してきた。
こうした背景の下に、インターネットの普及によって、誰でも、自分の主張を公表することができるようになったことが、その呼び名のままに「ネット右翼」と呼ばれる人々を顕在化させることとなったのだろう。
「ネット右翼」なる言葉が、一般化したのは、イラク人質事件の頃からと思うが、保守的であれ反動的であれ、自分のホームページやブログでその主張を発表するだけなら、基本的に自由であり、なんら問題はない。では、彼らの何が問題なのか。
それは、“他者に対して行う言動”である。
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去る六日、秋篠宮夫人紀子さんが、無事に、男の子を出産した。
このことに関し、「五体不満足」で有名な乙武洋匡氏のブログが、4000件以上の嵐のようなコメントで「炎上」したそうである。
乙武氏は、「世間は昨日から『めでたい、めでたい』と騒いでるけど……ひとつの命が誕生したことがめでたいの?それとも誕生した命が『男児だったから』めでたいの?」などと述べていたが、そのことに対する批判が主らしい。
翌日、「誤解と憤りを招いてしまったことを、深くお詫びする」とし、弁明の書き込みを行ったところ、さらなる批判のコメントが書き込まれたと言う。
私からすれば、何の問題もない意見の表明だと思うが、「これを、全部読むのは、大変だろうなぁ…」というのが、正直に感じた想いである。
乙武氏は「男であろうが、女であろうが、皇室であろうが、民間人であろうが、命の重さは等しく、尊ばれるもの」と述べている。
至極、真っ当な考えだと私は思う。
この間のイラク戦争や、レバノン、パレスチナ等の戦場で生まれた子供も多くいるであろう。日本でも、かつて沖縄戦の最中に出産したという話も聞く。そのような極限の中で生まれた子供たちの誕生であっても、その健やかなる成長を願い祝う気持ちは、変わらず、素晴らしいものだと思う。
その祝う気持ちをその場かぎりにすることなく、子供たちが、生まれてきて良かった、生きてて良かったと思える社会に少しでも近づけることが、祝う側の責任であろう。
しかし、出産後の記者会見で、中林院長が、「国民の期待を考えれば親王でよかったという考えも一瞬、頭をよぎった」と発言したように、男子が生まれれば「おめでたい」で、女子であれば「がっかり」と言うことなのか、ということである。
女性・女系天皇をめぐって、この間、八木秀次(新しい歴史教科書をつくる会・元会長)をはじめ、評論家・コメンテーター達は、天皇は、日本の「伝統」であり、その「伝統」は、男系が続いているからこそ「権威」があり、象徴となりうる、と主張していた。女性天皇や、ましてや女系天皇などは、“論外”ということだそうだ。聞く耳さえ持たぬということなのだから、彼らのコメンテーターぶりが如何なるものか、お判りであろう。
挙句の果ては、皇室に入った者には、人権などなくて当然と言う始末である。
「皇室の妃は、男の子を産むことが最大の公務」などと述べていた皇室ジャーナリストもいたが、雅子さんのプレッシャーというものも想像に難くない。こういう声が、耳に入ってくれば、病気になっても何の不思議もないだろう。
徳仁くんが「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」とその心情を述べたことがあったが、彼らにしてみれば、それくらいの事は、あって当然なのだろう。曲がりなりにも、戦後民主主義の中で育ち、有識者としてマスコミに出ている者たちが、疑いもなく、「男の子でよかった」と言う。
その考え自体が、根本的におかしいと言っているのに、男女平等と何が関係あるんだ、差別などしていないと言い張る。
彼らに、いくら“人間の平等”を語っても「論外」と言うのだから、無駄なのである。頭の中は「一君万民」の明治時代から、何の進歩もないのである。進歩のないことが「伝統」と言い張っているだけである。
記者会見によれば、文仁くん、紀子さんは、
>「どちらでもいい」「どんな状態の子供でも自分たちの子供だから受け入れたい、というお気持ちが強かった。変にかき乱すようなことをしてほしくないし、自然な形で受け入れたい」(朝日09月06日)
との旨、話していたそうである。
「男の子、男の子」と騒いでいる方々とは、子供の誕生についての考え方が、随分と、違うようである。
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去る8月、雅子さんの転地療養をかねて、皇太子一家がオランダを訪問することとなった。
ネット右翼とも呼ぶべき者たちが、「右翼」としての思想の下に、左翼を批判するのは基本的に自由であるが、彼らがやっているのが“左翼叩き”だけかと思っていたら、実は、激烈な「雅子さんバッシング」もやっていることには、本当に、驚かされてしまう。
ここに書くのも憚られるような言葉のオンパレードで、誹謗・中傷を行っている。また、さらに、その侮辱的言辞は、皇太子である徳仁くんにまで及んでいるのである。
天皇家の男子の名には、「仁」という文字が、使われている。いつの頃からかということなどには、興味はないが、“仁”とは、孔子の最も尊んだ徳であると言う。思い遣りとか労わりの心というような意味で、私は受け取っているのであるが、果たして、「伝統」というものを、最も重んじているであろう「右翼」の方々は、そうした伝統については、全く無頓着であるように見受けられるのは、一体、どういうことであろう。
そのような侮辱的発言を続けて、人として恥ずかしくないのであろうか。
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また、出産後の記者会見で、宮内庁の金沢医務主管は、「新宮さまは『オギャー』とおっしゃっていた」と述べていた。この発言には、はっきり言って、驚きを通り越して、呆れ果ててしまったものである。
どう考えてみても「オギャー」は、赤ん坊の産声・泣き声であろう。
生まれたばかりの赤ん坊が、まるで「神の子」とでも言うかの如く、「喋った」とでも言いたいのであろうか。もちろんそうではないであろうが(?)、皇室に関することについては、どんなことでも、「敬語」を使わなければならないという強迫観念にでも取り憑かれているとしか思えないのである。
この間のマスコミ報道では、誰一人、「天皇制は廃止すべきだ」と言う者はいなかったようだ。以前の世論調査では、約一割の人が天皇制廃止に賛成であったが、おめでたい事柄に、水を差すとでも思っているのかどうか、そのような意見は、無きものとされている。
しかし、それも、「当然のこと」であろう。人間の平等な社会を目指す筈の共産党が、「天皇制の存廃は、将来の国民が決めること」と現状追認しているのであるから、何をかいわんやである。
まして、首相の靖国参拝を批判したに過ぎない、加藤紘一氏の実家が放火されるような世相なのである。誰が、好き好んで、顔を曝しながら、そのような「危険」を冒してまで、発言するであろうか。
そうやって、異論を述べる者たちの言論の自由が脅かされ、萎縮して行くのである。
私達は、民主主義の理念に反する制度として、天皇制の廃止を主張している。しかし、それは、当然に、天皇家の人々の人権を尊重するからでもある。私個人は、明仁さんに対して特別な権威を感じたり敬意を抱いたりもしてはいないし、また、恨みなどを持つものでもない。ただ、
> 私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。……しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。
と言い、米長邦雄氏(日本将棋連盟会長・東京都教育委員)が「日本の学校において国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と発言したことに対し「強制になるということでないことが望ましいですね」と答えられたことには、真っ当な考えをお持ちの方だと思っている。
天皇家には、婚姻の自由も表現の自由も行動の自由も著しく制限されている。象徴としてであれ、国家の制度として、平等原則に完全に反する天皇制を維持している限り、恐らくこれからも悲しむべきことが起こるであろう。こうしたことを解消するには、天皇制を廃止するしかないのである。
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今、「美しい国へ」と主張し、「闘う政治家」を標榜する安倍晋三氏が、自民党総裁に選出され、日本の首相になろうとしている。
その最大目標は、「憲法改正」であり、9条改悪であるが、手始めにであろうか、大学入学までの「4月から9月の間に、ボランティア活動をやってもらうことも考える必要がある」と述べ、奉仕活動を義務づける考えも示した(http://www.asahi.com/politics/update/0914/002.html)そうだ。
そうした考えは既にブレーンである下村博文衆院議員が、「奉仕活動をしてもらい、その経験がなければ大学に入学させない」と言っており、また、稲田朋美衆院議員は、「若者に農業に就かせる『徴農』を実施すれば、ニート問題は解決する」「教育基本法に愛国心を盛り込むべきだ。愛国心が駄目なら祖国愛と書くべきだ」(産経「安倍政権でこうなる」)などと述べていた。
「徴農」「ボランティア活動」という名の“強制”のようである。
「ボランティア」の意味が解って言っているのかとさえ疑問に感じる発言だが、なるほど!確か、この国は、過去にも同じようなことをやっていた“経験”があるからなぁ…。「美しい国」というのは、朝鮮・台湾を植民地支配したような、戦前に戻ることを言うのだろうな。それが「保守革命」なるものなのであろうな…。
私には、どうしても、そう思えてしまうのだが、「強制連行などなかった」と主張される方々は、「そんな言葉は、当時はない」などと言って、今度もまた否定されるのであろうか。
ネット右翼やそれに共鳴する人々が、「表現の自由」の名の下に、「名無し」の匿名性に隠れ、他者を誹謗・中傷し、罵倒することも許されると考えるのは、大きな間違いである。権力を持つ者は、常に、民衆の力を利用しようとするものである。ネット上では、報酬を得て煽りを行う「プロ固定」なる者の存在も耳にする。「釣り」行為に大手新聞がまんまと乗せられたこともある。
今の日本社会は、基本的に何を言おうが自由であるが、たかだか60年ほど前は、そんな自由さえなかったのである。その自由は、“不断の努力”(憲法第12条)によってのみ確保されるものなのである。
実際、共産党のビラを撒いていただけで、公安に付け回され、逮捕されるような時代になっているのだ。表現の自由・行動の自由など、現憲法下においてさえ、いつも、脅かされているのである。
また、「社会的害悪」と認定されるようにでもなれば、憲法改悪で、さらに容易に、「公共の福祉」の名によって、サイト自体が“御取り潰し”になるようなこともありうるであろう。
「煽り」や「祭り」に、面白がって付和雷同し、個人攻撃・サイト攻撃などやっていれば、被害にあうのは、次は、あなたの番かもしれないのである。
「新しい歴史教科書をつくる会」は、昨今、人事問題等で揺れているようであるが、藤岡信勝副会長によれば、先に触れた八木秀次氏について、
> 八木氏は情報提供者として公安調査庁から報酬を得ており、それを知人に見せびらかしていた。西尾氏のいう「公安のイヌ」というのは、表現はともかく、間違っていない。(体験的八木秀次論)
と語っている。
このような個人情報を公安に渡し報酬(我々の税金である!)を得るような人物が、堂々とマスコミに出て、「皇国史観」を述べ、女性・女系天皇を否定して回り、また、「安倍氏の政策と日本教育再生機構の基本方針は一致しているので、全力で協力したい」などと語っているのである。
一方、藤岡氏自身が認めるように、氏は、1991年までは、共産党員であったということである。
元党員が、反共の側に回ることは、しばしば、あることであるが、学者がそれまでとは全く異なる立場に立ち、国家主義的歴史観を唱導することには、これまた、驚くばかりである。あなたには、真理を探究する立場にあった者として、これまで指導してきた学生達に、恥じるところはないのか?と言いたい。
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日本とロシアが戦争してから、一世紀が過ぎた。
ポーツマス講和条約をめぐって、その「勝利」の代償の少なさに、民衆は激怒し、日比谷焼打ち事件を起こした。一部の人間たちに煽られたとも言われている。しかし、民衆が、講和条約破棄を求め、戦争の継続を欲したのは事実であろう。
夏目漱石は、「三四郎」で、この頃のことを次のように書いた。
>「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。…」…三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。
司馬遼太郎氏は、
> 日比谷公会堂の焼き打ちという愚かな騒ぎの果てに日露戦争も終わり、政府は大変な債務を抱え、また庶民にとっては戦後の不況が直撃していた時代です。しかし人々の意識は、戦争に勝って一流の国になったつもりでいる、この意識がどの国にもない滑稽さだと漱石は思っている。そういう諸相が全て集約されて、広田先生の「亡びるね」という台詞になる。それから太平洋戦争の敗戦までわずか三十有余年です。広田先生がいったとおりに、亡びたんです。国家といっても、はかないものですね。(この国のかたち 四)
と評していた。
安倍氏は、「わたしたち日本人は歴史にたいしては、つねに謙虚でなければならないと考えているし、だから中国にたいして、すでに公式に謝罪を繰り返している」(「美しい国へ」)などと述べている。
確かに、小泉首相も「植民地支配と侵略によって、…多大の損害と苦痛を与えました」と語っていた。(アジア・アフリカ首脳会議)にもかかわらず、一方で、「自存自衛の戦争」とする靖国神社に参拝し続けた。
安倍氏は、さらに、「植民地支配・侵略」と語ることも避け、「歴史認識は歴史家にまかせる」と言い、「自虐的な偏向教育の是正」を主張しているのである。
これでは、「美しい国へ」で述べていることと、実際にやろうとしていることが、裏腹であり、それこそ、歴史歪曲の教科書を子供たちに教え込もうとする“偏向教育”ではないか。
今夏、“防衛大学校長”に就任した、五百旗頭真氏は、
> 靖国参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺(まひ)させ、日本が営々として築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか。侵略戦争を行ったうえ敗北した日本に対する不信は、世界に、とりわけアジアに根深かった。しかし戦後日本は平和的発展主義をとり、世界で最も格差の少ない豊かな社会を築いた。さらに民主主義社会を確立し、そして途上国の国づくりへの協力を重ねた。これを見て、世界は日本を信認するようになった。……信用という対外資産は、首相が靖国参拝にこだわったことによって大きく損なわれた(「小泉内閣5年をこう見る」)
と、はっきり“侵略戦争”と述べている。
政府自ら、「植民地支配・侵略」を認めてきたにもかかわらず、それ自体を「自虐」と言うのであれば、日本は、何をやっても「悪くはなかった・正しかった」と肯定され、反省などという言葉さえ、この国には不要となる。
その得るところは「美しい国」どころか、二枚舌の「嘘つきの国」という評価だけであろう。
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私達は、憲法の民主的・平和的条項を守り、発展させたいと思っている。
政府であれ、外国であれ、マスコミであれ、党中央であれ、おかしいと思うことはおかしいと言っている。
ネット右翼やその言に共鳴している人々も、日本を少しでも良くしたいと思っているのであれば、政府の行為を丸ごと支持したり、「美しい国へ」などという“巧言令色”に惑わされることなく、少なくとも、権力というものを実際に行使しうる者たちの言動には、十分の警戒心を忘れないで頂きたいと思う。
また、願わくは、五徳とも言われる「仁・義・礼・智・信」というような伝統についても、今一度、心に問い直してみて欲しいものである。
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追伸:
樹々の緑さん。こんにちは。
そうでしたね。確かに、党は、「中国当局の暴挙を批判される方々は日本共産党へ」と言っていました。その頃は、私の考えと一致していたので、当たり前のように思っていたのですが、今回の発言に違和感を覚えたのは、やはり、人権に対する解釈が、一貫していないからなのだろうと思います。別のことで、考え中のことがあるので、また、纏まったら、投稿したいと思います。
スバルさん。お久しぶりです。
今回の騒動に関して、右傾化を危惧し、天皇制廃止の意見を持つ者として、投稿しました。党中央は、もう「なるようになる論」ですから、廃止については言及しないと思います。民主主義の発展を願う一国民として、発言を続けたいと思っています。
人文学徒さん。
中国の状況報告など、ご苦労さまです。なかなか、触れる時間がないのですが、引き続き、ご投稿お願いします。
少し話がずれますが、上記のように、五百旗頭氏が、小泉首相の靖国参拝などについて批判したことには、ちょっと驚きましたね。
もちろん、小泉政権に対する認識では、私達とは違う部分も大きいですが、まさかここまで言うとは、任命した小泉首相も、思いもよらなかったでしょうか…?
「つくる会」の藤岡氏らも真理を追究するという“学者魂”というものを、少しは見習ったらどうか、と思います。
さつきさん、お帰りなさい。
劣化ウラン弾について、詳しいご報告をありがとう。私自身は、先月、放送されていたNHKスペシャルなどで理解を深めている程度なのですが、開発段階で既に、「将来政治的に使えなくなる可能性がある兵器」と、米軍内部資料でも指摘されていたようですね。
アメリカ政府は、自国の国民に対する健康被害さえ「我、関せず」という態度なのですから、まして、他国の人間のことなど、なんとも思っていないのでしょう。
また、2001年当時、嘉手納基地に、約40万発の劣化ウラン弾があったそうですね。
> 資料には、劣化ウラン弾の種類や量の一覧表があり、嘉手納基地については「30MM API/HEI PGU 14B/B AJ」(30ミリ装甲貫通焼夷(しょうい)弾/高性能焼夷弾)など5種類の弾丸名と量が記載。30ミリ装甲貫通焼夷弾は、戦車や装甲車を上空から攻撃する戦闘機に搭載されるといい、5種類の総量は39万8768発に上った。また、韓国の各基地は▽水原(ス・ウォン)基地約136万発▽清州(チョン・ジュ)基地約93万発▽烏山基地約45万発--だった。(毎日新聞 2006年8月2日)
安倍氏は、ブレーンである岡崎久彦氏の言うがままにアメリカべったりで、本当にテロをなくそうなどという気は、サラサラなく、世界中の日本人をさらなる危険に曝すつもりなんでしょうね。
原仙作さん。
若者や国民意識についての分析など、有難うございます。今回の投稿を少しずつ書いていたところ、原さんの投稿を見つけました。ほとんど書き上げていたので、参考とせずに、投稿することにします。別の観点からの意見表明ですが、思うところは原さんと同じです。
「ヒーロー」を待望する気持ちは、よく解るのです。私自身も、「共産党をぶっ壊す」と言って、公然と、批判する人物が現れないかと思っている一人ですから。筆坂氏には、離党してから言う前に、これまで、党内で批判したことがあったのか、という想いです。もちろん、やっていないでしょうが。私のような末端党員でさえ、できることは、やっているというのに…です。
さざ波に集われる皆さん。ご投稿、ご苦労さまです。
私自身、なかなか、投稿できない状態ですが、是非、どしどしと、ご投稿を、お願い致します。
編集部の皆さん、ご苦労の多いことと思いますが、頑張ってください。
拙く長い文を、最後までお読み頂いた皆さん、有難うございました。
では、また。