小泉総理については、散々批判してきました。
これ以上、追い討ちをするのも飽きてはいますが、一応、総括をしたいと思います。
小泉さんへの期待の原因は、閉塞状況にあった日本の 状況を打開してくれるというところにあったと思います。
むろん、アメリカや財界は、族議員を斬って、自分たちに 尽くしてくれるであろう小泉さんを推すのは当然ですが、 問題は国民の意識です。
悪用された旧来自民党政治への不満
旧来自民党政治は、高成長と適度な利益配分を実現してきた。
しかし一方で、政治腐敗、環境破壊、男女差別などが深刻化した。
また、確かに生産点でのセーフティーネット(終身雇用や公共事業など)はそれなりにあったが、生活点でのそれが不足していた。そのことが、特に女性や若者の不満を高めた。
80年代末は、リクルート事件や消費税問題があって、社会党に一旦人々の期待が集まったときがあった。しかし、冷戦が崩壊し、 マスコミも、新自由主義に乗りかえっていった。社会党も時代の流れについていけなかった。一方で、小沢一郎さんたちが「生活者のための政治」を掲げると、これへの期待が集まった。中選挙区制がいけない、官僚がけしからん、こうして、93年、支持を集めた。それが新進党へつながっていった(裏で財界やアメリカも応援した。)
自民党も、94年社会党を抱き込んで政権を奪還。95年以降、社会党は人望を失い後退。政治地図が右へ傾きます。自民党が新進党に引っ張られる形で構造改革を断行したのが96年成立した橋本政権でした。橋本政権はアメリカの要求を呑む形で構造改革を行うが、恐慌を招き、2年半で退陣。小渕政権があとを継ぎ、ケインズ政策を取りつつ、一方で労働者派遣のほぼ全面自由化を強行します。
このころ、朝日新聞や民主党、自由党が、構造改革を呼号します。
森総理は空前の不人気。2000年総選挙で自民党は都市部でボロ負けします。そこで、危機感を抱いて、小泉総裁が登場したわけです。
小泉さんの自作自演「経済・財政危機」
小泉さんは、民主党や共産党のお株を奪って公共事業のカットなどを強行。
人々は「痛みに耐えれば、大丈夫。中小企業などがつぶれ、失業者が一時増えても、そのかわり生活点のセーフティネット(育児や社会保障など)をきちんとしてくれるだろう。」くらいの認識だったと思います。あるいは「中小企業が、不良債権処理でつぶれても、引き上げられたお金が、新ビジネスに流れ込むだろう」くらいの認識だったと思います。構造改革支持の民主党支持層、公共事業カット論の共産党支持層が雪崩を打って、自民党へ流れ込みます。
ところが、経済は、急降下。その結果、財政は悪化します。すると小泉さんは、財政が危ないから、社会保障の抑制を、と言い出します。 医療費負担増を強行。一方で、ドル買い為替介入を続けているにも関わらずです。
人々は、すっかり、「財政が危ない」「だから緊縮財政を」という小泉さんにすっかりだまされ、批判したとしても「国債を30兆円に抑制できなかった」という表層的なものでした。これでは小泉さんは堪えません。
(だまされた、と気付いた人も、小選挙区制の下で、社共に見切りをつけて民主に入れた人が多く、民主が一時復調しただけでした。)
また、一方で、このままでは企業の競争力が低下するとして、労働の規制緩和を強行しました。
本当は、公共事業カットや、中小企業こそが不況の元凶なのに、それをすり替え、負担増を国民に強いたのです。その間、株価低迷を突いて、外資が大量に日本企業を乗っ取りました。また、2005年ころには、日本から流出したお金を得たアメリカ人が東京を中心にバブルを起こし、これが総選挙での東京での自民党への追い風のひとつとなりました。
小泉さんは、自分で経済を破壊しておいて、危ない危ないと叫んで、負担増や労働の規制緩和=大手企業への所得移転を庶民に強いました。
野党も体たらくを反省せよ
こうした事態を招いた責任は野党にもある。民主党も共産党も、公共事業カットや単なる増税反対で、せいぜい、言って、社会保障充実です。
しかし、小泉さんの言う「小さな政府」を否定しないことにはどうしようもない。
むしろ、教条主義的な増税反対論の前に「大きな政府」ないし「官から公へ」といった、社会全体のビジョンを示すべきではなかったか。
民主党も、岡田体制では年金充実や育児支援を言いながら、「小さな政府」というのが矛盾していました。所詮、「小さな政府」など、無理なのです。
そのことを認めたうえででは「大きな政府」の中でどういう配分にするかということを野党は言ってこなかったのが、真の敗因だと思います。
安倍政権を攻める際も心していただきたいと思います。