暫くぶりです。
結局ピースさんが実際に行っていることは、なんなんでしょ
うかね。
私には理解不能です。
内ゲバ党派とは共闘できない、と言うことはハッキリしてい
るそうですよね。
そういっていながら、”じゃあ、内ゲバ党派って何なんです
か?
<中核や革マルなど>、と”など”、と言う言葉を使うから
には他にもあるんでしょう。是非明らかにしてください。”と
言う風に私に反問していますね。
其れは逆でしょう。あなたが内ゲバ党派反対はハッキリして
いると言うんですから、因みに私に言わせると、~と~だが、
あなたはどうですか、と質問すべきなのでは?
そうでないと、ハッキリしているのかどうかすら分りません
よ。
私は九州の地方都市に永らく住んでいて、スッカリ中央の情
勢に疎くなっていますが、30年前の記憶では、中核、革マル
、革労協、の3派は凄惨な殺人を自派の戦略目的としていたと
思います。
先ずこれらは間違いなく内ゲバ党派です。
ニセ左翼暴力集団と言うのは共産党が良く使った用語でした
。
私は当時、共産党員でしたが、党籍を離れて、17年程たち
ますので、そうした共産党の定義を私に求められても正確には
申し上げられません。党中央委員会に問い合わせるのが一番か
と思います。
私の記憶では、東アジア反日武装戦線、大地の牙、などがあ
ったように思います。60年代末~70年代初期には、赤軍派
、連合赤軍や、それに連なる京浜安保共闘などがありました。
これらがどういう系統のものであるのか詳しくは知りません。
ブンド系とは聞いていますが。
共産党はこうした諸派をニセ左翼暴力集団と呼んでいたよう
に記憶しています。
ですから、どうもあなたの言うほどにはあなたの”内ゲバ党
派とは共闘できないと言うのはハッキリしている”と言うのが
ハッキリしているのかあいまいに感じられます。
”大衆運動では有象無象が集まるので、そんなもの(内ゲバ
党派としての)党派性が明らかにならないうちから、排除でき
ないではないか、”とのことですが、”排除”ではなく”共闘
できない”です。
結局ピースさんは”排除”という言葉に象徴される様に、ハ
ッキリしているといっても其れは内心の問題としてであって、
現実には”排除”となるんだから、そんなことできっこないだ
ろう、と問題をあいまいにしているだけではないですか?
自分たちの主張として常に明確にしておき、共闘の原則とし
ての確認を求め続けると言う立場をゆるがせにしないというこ
とです。
第4インター系かけはし派はそのように主張しています。
そうした原則が確認できないのであれば、排除ではなく共闘
しない、でよいと言うことでしょう。
その場合は共闘はなくなります。あくまで、共闘なのですか
ら、排除ではなく自分たちが共闘する意思の問題です。
言うまでも無く共闘すること自体が目的ではありません。
運動を大きく前進させるためには共闘しない(できない)方
が良い場合もあるでしょう。
ピースさんが盛んに”排除”と言う言葉を使うと言うのは、
内ゲバ党派としての党派性を意図的に隠して、共闘に潜り込ん
でいるそういう分子に対して、さあどうするか、そんなことで
きないだろうということを言っているように聞こえます。
そういう例もあるかもしれませんよね。
ですから、そういうことにならないように、常に内ゲバ党派
(ニセ左翼暴力集団でも良いが)のように意見の違いを暴力で
解決しようとしてきた(そして非暴力の闘いであるということ
に同意できない)人達とは共闘できないということを常に確認
すべきなのですよ。
もし、意図的に隠して潜り込んでいるとしたら、その人達と
は共闘できない、しない、とすればよいのです。排除ではあり
ません。自分たちの共闘の意思の問題です。
大地の牙諸君や中核や革マルと共闘することが問題となるな ら、私なら、絶対反対、共闘しない(できない)、と言う意思 を明確にします。そのほうが運動としては前進するでしょうか ら。共闘とは運動の前進にとって、明らかに有利な場合に成り 立つのですから。共闘それ自体は手段であって目的ではありま せん。(共闘することが運動にとって、不利有害という場合も ありえますよ)
それから、怒らないでくださいよなどといいながら、スター
リニスト的だなどと言っていますが、そうした決め付けは私は
あなたにはしていません。NRですか。私は失礼ながら、そう
した党派は知りません。トロッキストという言葉には私はむし
ろある種の敬意を払っています。したがって、そうした決め付
けをすることは避けています。
もちろん、相手が誇りを持って自称するのであればそうした用
語を相手に用いるのはいいと思いますが、自分からはしません
ね。
そうした決め付けは何派であれスターリニスト的なんでしょ
うから、、。