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「現状分析と対抗戦略」討論欄

マルクス主義哲学と実践的唯物論

2006/11/3 千坂 史郎

 人文学徒さんのマルクス主義の客観主義批判論文は得るところが大きかった。
 ただ、哲学に関する「3 客観主義の哲学の偏向について」にいくつかの感想を述べたい。

 「村松一人」は、「松村一人」の誤記である。とくに主体的唯物論の哲学者の代表格は、水戸唯研の梅本克己氏の名前が最も代表的である。主体的唯物論と「正統派唯物論」の違いは、戦争責任の受け止め方にも由来する。政治的情勢が「客観的に」おしとどめられなかったとしても、個人の主体的契機を無視しがたいのではないか。戦後に民主化の中で哲学を学んだ青年たちは、いかに主体的に戦争責任を受け止めるべきかで、激論をかわしたと言われている。

 この「唯物論と主体的契機」は、戦後さまざまな政治的局面で顔を出す。60年案安保や70年のベトナム反戦運動や大学闘争においてもそうだった。その点でも、主体性論争は、意義のある論争のひとつといえよう。

 ただ、「正統派」の側の哲学者の中で、芝田進午や古在由重らは、「実践」の概念を位置づけて「実践的唯物論」を掲げた。その構想は、主体的唯物論が陥った実存主義的傾向に陥るのを戒めつつ、客観主義的偏向に陥らず、実践的立場を哲学的に解明しつつさらにいつでも時代が要求する課題に真っ正面から取り組み続けた。芝田進午氏に即して言えば、それは、勤評闘争、ベトナム反戦運動、核兵器廃絶運動、バイオハザード闘争へと連なる。古在由重氏に即して言えば、ほかに都知事選革新都知事誕生への尽力や教科書裁判闘争支援、国民文化会議との連帯などが付け加わる。

 人文学徒さんがいう「土台と上部構造」論ではなく、労働の技術的過程と組織的過程の統一を「労働様式もしくは生産様式」とみなした実践的唯物論の学説においては、労働、生産、社会、民族、国家などを体系的にとらえ民主主義の全面的展開において、人民、国民、民族の主権問題に迫った。いわゆるソ連型哲学を正統派哲学とはみなさず、すでに戦前の唯物論研究会とそのリーダー戸坂潤らに実践的唯物論をみいだす芝田らは、グラムシやレーニン、マルクス、エンゲルスらの文献からもその根拠を展開している。

 日本でも、自主的実践的主体的に唯物論哲学を研究しつづけた一群の流れがあったことを指摘しておきたい。