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「現状分析と対抗戦略」討論欄

日本国憲法が日本革命の綱領になる時代の到来と無党派、共産主義(3)

2006/11/16 原 仙作

12、日本共産党が言う「無党派との共同」の意味
 このように、戦後の歴史の変化は、日本国憲法を独特の歴史的地位に押し上げてい るのであるが、そのことを念頭において、日本共産党が統一戦線の基礎であるという 「無党派との共同」がどういうものであるかを見てみよう。
 共産党員の皆さんは指導部が言う「無党派との共同」というものを誤解している。 共産党にとっての「無党派との共同」とは、共産党陣営に属する大衆団体との共同の ことなのであって、諸政党から独立した、政治革新を求める有象無象の大衆組織・諸 個人との共同ではない。共産党が主導する革新墾運動など共産党陣営の大衆組織・運 動との共同ということなのである。
 今年1月に開かれた第24回党大会では、統一戦線の展望について、中央委員会報 告は次のように述べている。

「一つは、日本共産党と無党派との共同であります。その運動体としては、全国革新 墾の運動が重要です。」(「前衛」No.803、90ページ)

 同大会決議では次のように言われている。

「わが党は、新しい綱領に明記しているように、統一戦線を基礎に民主連合政府をめ ざしている。地域・職場に網の目のように革新墾をつくり、質的にも量的にもいっそ う高い段階に発展させることは、希望ある新しい日本をつくる保障であり、わが党の 綱領的な任務である。」(同42ページ)

 共産党が無党派と規定する革新墾を「いっそう高い段階に発展させる」ことが共産 党の「綱領的な任務」であるということの奇妙さを、この党の指導部は気付いていな い。共産党が「地域・職場に網の目のように革新墾をつくり」と言えるとすれば、こ の革新墾は共産党の指導に従っている大衆組織であって、決して無党派ではない。無 党派とはどの政党の陣営にも属さず、政党から独立しているから無党派なのである。 無党派が共産党に「地域・職場に網の目のように」組織を作れと言われる筋合いはな いのである。
 これでわかるであろうが、共産党指導部のいう「無党派」とは通常の理解とは異な る独特の概念であることが明らかである。指導部の頭のなかでは、共同の対象となる 無党派とは共産党の指導に従う大衆組織とそこに参加する人のことなのである。これ では「無党派との共同」は最初から狭い範囲でしか実現できない。いや、共同はすで に実現されている。後は全国津々浦々に革新墾を作り、そこに国民の過半数を結集す ればいいだけのことである。
 この党にとっては、民主連合政府への接近も、政治情勢を震撼させる大衆の全国的 な政治運動も、整然と共産党の指導の下に隊列を整えて進むことが「法則」として予 定されているのである。共産党の作り上げた図式に従って粛々と進む社会変革の大運 道が党指導部の描く社会変革像であることがこの独特な無党派観からうかがわれるの である。マルクス主義の戯画である。社会変革のダイナミズムは、私が言った無党派 との連携のうちにあるのに対し、共産党の場合は、共産党の指導に従う大衆組織との 連携のうちにある。
 革新墾などに参加しない人達は共同すべき無党派ではなく、政治意識の雑多な諸個 人かそのグループにすぎず、国政では票の取り込みの対象でしかないのである。
 共産党と共同するには本来の無党派は、共産党の基本政策を承認し、共産党陣営に 参加しなければならず、参加することによってはじめて共同の対象たる資格を得るの である。ありのままの姿の無党派と一致点で結びつくのではない。
 様々な大衆運動のレベルでは「一致点での共同」だけで共同している場合も多いで あろうが、その場合の共同は、地方的なものや一時的なものか、政治上の重要性が低 いからか、「一致点での共同」の後に、順次、共産党の「無党派」観に適合的な無党 派に変化させようとしているからにすぎない。全国的なものや国政レベルの共同とい うことになると、俄然、この「無党派」観が貫徹することになる。「平和共同候補」 運動への対応がその代表例である。
 共産党主導の大衆組織が国民的組織として大きく育てない根本的理由がここにある。 エンゲルスが言う大衆を「社会主義にむけさせるやり方を知らない」(理論政策欄 「1893年のドイツ社会民主党・・・」2004/12/17参照)という代表例である。

 共産党の独特の無党派観には、相変わらず、無党派というのはどこに行くかわから ず、共産党が手綱をかけて制御しなければ政治的は役立たずであるという「前衛党」 思想が露骨に表現されているのである。このような独特の偏狭な「無党派」観が、現 在の政治情勢の中で改憲をめぐる護憲派の国民的共同の障害物になっていることは明 らかであろう。

13、「時代の同行者」としての無党派層
 「青い鳥」は、「無党派層が自らの青い鳥を自由に羽ばたかせてやる日は、一体い つになるだろう。」と述べているが、この言葉に見られるように、無党派層の政治運 動 に対する傍観者的態度が現れている。この態度は、個人の態度としては別に非難 されるべきものではなく、通常の他党派との関係を前提にする通常の態度である。し かし、この態度では無党派層と手を握ることはむずかしい。傍観者的な態度と無党派 層の弱点を重視する見方とは同じ原因(例の分析ツールを有効と見る見方)から発す るものだからである。
 実は、「青い鳥」と私の間には、無党派層の見方について、もう一つ大きな違いが あるのである。それは、「青い鳥」の無党派観が「政党支持なし層」を対象にするの に対して、私の場合は「政党支持なし層」のなかのある傾向を持つ集団(1200万 人)を選別し対象化していることである。世界情勢と日本の政治情勢が日本国憲法を 革命の綱領に押し上げてくるという認識のもとでは、無党派層に傍観者的な態度では いられないのである。「政党支持なし層」の中から、どうしても同盟軍たりうる部隊 を見いださなければならない。
 ここに私と「青い鳥」とのもう一つの違いがあるのである。時代認識の違いが実践 的視点の照射先を規定する。
 共産党の場合、傍観者的である以上に、さらに連携が困難な事情が加わる。すでに みた独特の無党派観があり、無党派が共産党と連携するには、共産党の指導性の承認 と基本政策の受け入れという洗礼儀式が待っているからである。
 だが、両者は最初から運命共同体の関係にある。運命共同体という言葉が嫌なら同 盟すべき関係のうちに置かれていると言い換えてもいい。翼を失った共産党の代わり に、その空白を代位する存在。共同してはじめて一極を構成できるような相互関係。 この認識のあるなしは、共産党にとって決定的な意味をもっている。日本の進路をわ けるキー・ストーンでもある。
 無党派は共産党がそのままならば変わらない。今のところ無党派には頭部がなく、 統一的な指揮権も存在しないのである。「前衛」党が変わるほかない。すでに述べた 共産主義の理想が失墜し、世界的な規模で民主主義運動が登場して来るという世界と 日本の歴史条件がその変化を要請しているのである。例の独特の無党派観を捨て、あ りのままの無党派と連携し、彼らの要求に耳を傾ける対応、工夫の過程を通じて相互 理解と相互変革の共同を築き上げる方法を身につけなければならないのである。
 旧来の政治観念図が適用できる世界だと思いこみ、無党派層を票取りと解体の対象 にすることは、自己の生命の源泉を解体するに等しい行為になっているのである。最 近、上田耕一郎が「人生の同行者」という題名の本を出版しているが、その書名を拝 借すれば、共産党は無党派層を「時代の同行者」と認識して、その対応、連携の仕方 を根本的に転換しなければならないのである。
 歴史の比喩を用いて説明すれば、その関係は現代版労農同盟にあたるということで ある。古くからの共産主義者にはこのような説明の方がわかりやすいであろう。思わ ぬ僥倖をものにして権力を握ったレーニンは、労働者階級単独では権力を維持できな いことを悟り、農民階級(小ブルジョア)を味方に引き入れるために、農民階級の政 党・エスエルの土地国有化綱領を飲んだ故事を思い出すべきであろう。
 同盟軍にするには、こちらからの積極的な働きかけが必要で、場合によっては様々 な譲歩をしてでも提携しなければならないことをこの独特の政治情勢が要求している のである。そのような政治情勢にあることを知らない共産党は民主党に票を入れる無 党派層を「二大政党制」に取り込まれていると批判しているのである。

14、「時代の同行者」としての社会民主主義
 同じ事は社会民主主義に対しても言えることである。日本国憲法が革命の綱領にな る時代では、社会民主主義は無条件に同盟軍、「時代の同行者」である。思想として も、もはや、克服の対象ではないのである。列強間の帝国主義戦争がもはや過去のも の(注4)になっており、社会民主主義と共産主義を分裂させたレーニン時代の歴史 的分水嶺は消滅したのである。分裂の歴史的原因がすでに消滅している。あるのは、 これまでの行動様式の違いと過去の因縁だけである。
 共産党は統一戦線論としては、確かに社会民主主義主要打撃論を克服し否定してい る。しかし、第1次世界大戦の勃発以来、「社会主義の分裂」がおこり、それ以来、 思想としての社会民主主義は一貫して打倒の対象であった。主要打撃論の否定と思想 としての社会民主主義の「克服」を具体的な実践活動で区別するのはむずかしい。思 想は空中に漂うものではなく、社会党員、そのシンパサイダーに担われているからで ある。統一戦線論としては社会党員と手をつなぎ、その手をつないだ社会党員の社会 民主主義思想を、もう一方の手で攻撃するという情景を思いうかべてみるといい。
 第一義的には、こうした事情があるために、統一戦線論以外の領域では社会民主主 義主要打撃論が形を変えて生き残ってきたのである。そのうえ、この国の歴史的諸条 件と共産党の教条主義が社民主要打撃論を後押しした。その事情については、ここで は詳しく述べないが次の事実を示せば了解していただけよう。
 共産党の党勢を機関紙発行部数で見ると、1980年の355万部をピークに一貫 して減少しており、2004年には半減の173万部にまで落ちこんでいる。この1 980年は、いわゆる「社・公」合意がなされた年で、社会党が共産党を含む全野党 連合政権論から、社公連合政権論へ転換した年にあたる。この時から、社・共共闘が 様々な政治レベルで全国的に減少を開始するのであるが、「赤旗」の発行部数は、こ の社共共闘の減少に符節を合わせるかのように減少していく。つまり、共産党は旧社 会党が開拓した社会民主主義の陣地を蚕食することで発展してきたことが推測される のである。ここに両者が、歴史的に犬猿の因縁を継続することになった一大原因があ ると見ていいだろう。
 それゆえに、ここでも共産党はその対応の仕方を根本的に改めなければならないの である。共産党にとっての「時代の同行者」としての社会民主主義という位置づけへ の転換が必要なのだ。社会民主主義主要打撃論から「時代の同行者」へのコペルニク ス的転換が必要なのである。
 私がけんか両成敗とは言わず、共産党に社民党との関係改善のイニシアティヴを取 れと要求するのは、変化した時代の要請だと言うだけでなく、ほかでもない前衛党と しての理論的優位をかつて誇り、「社民」と蔑視し、前衛党としての精神的矜持を持 していたからにほかならない。共産党が関係改善のイニシアティブをとることは、か つて前衛党を自負した者の国民に対する義務であると思うのである。また、国民の根 本的利害を最優先に考える思想に立つものであれば、運動の障害となっている原因を 取り除くためにイニシアティヴを発揮することに何の障害があるだろうか。

<(注4)、現代帝国主義についての議論は様々あるが、ここでは次の点を確認して おけば足りる。社会民主主義から共産主義の分離を進めたのはレーニンであるが、分 裂の原因は列強間の帝国主義戦争に対する評価の違いにあった。『帝国主義論』の解 明した中心点は、帝国主義列強によるあれこれの戦争の問題ではなく、世界を分割し 他国を植民地支配下においた帝国主義列強間の戦争の問題であり、その戦争が不可避 であることを、経済の土台となった独占に遡って明らかにしたことである。
 しかし、今日、旧列強間の戦争は60年間にわたってないうえに、第2次大戦で最 も激しく戦われた独仏がEUという共同体に合流し相互の戦争を過去のものにしている という厳然たる事実がある。これらの事実は、何をどう解釈しようと、戦前の帝国主 義の運動法則(列強間の戦争に至るそれ)が、戦後は根本的に変化したことを示して いるのである。旧列強間の戦争を過去のものにした最大の要因は、経済的な要因では なく、戦後世界に広がった強力な民主主義運動だということである。こうして、社会 民主主義と共産主義を分裂させた歴史的要因は消失し、相互を敵対させた根本的な歴 史的原因もなくなっている。「社民」なる蔑称を相変わらず振り回す論者は時代の変 化を理解できない者達ということになる。>

15、前衛と後衛が逆転する時代
 日本国憲法が革命の綱領になるということに関連して言えば、共産党は新綱領で、 対米独立と憲法の全条項を実のあるものにする「民主主義的改革」を「民主主義革命」 と規定した。だが、国政上における護憲共闘に消極的な実際の政治姿勢をみると、す でに述べたように、おのれが新綱領で規定した「民主主義的改革」の意味がわかって いるようには見えない。日本国憲法が持つことになったこの国の社会変革の綱領たる 地位を理解しているようには見えないのである。
 翼を失った共産党が、共産主義の後退の時代であることを感じ、さしあたっては資 本主義の枠内での民主主義的改革を押し出すしか手はないと考える理論なき現実主義 の発想から生まれてきた産物のように見えるのである。無党派層との連携への対応が 変化せず、社会民主主義、社民党に対する政治姿勢も変わっていない、「平和共同候 補」運動に背を向ける姿勢、国政上の護憲共闘を視野に置かない唯我独尊の全小選挙 区立候補戦術、これらの政治方針、戦術は新綱領採択の前後で何の変化もないことが、 共産党の無理解を雄弁に示しているのである。
 綱領は変えたがその実践は化石のような対応ぶりなのである。現実の変化を理解で きないものは不可避的に時代の変化に立ち後れる。
 さきほど、日本国憲法は革命の綱領になるのだと言ったのであるが、憲法の条文が ひとりでに革命化するわけではない。革命の綱領になるには憲法に魂が吹き込まなけ ればならない。魂を吹き込む主体は護憲派である。他に誰もいない。小泉、安倍はそ の火付け役である。しかし、護憲派の一大陣営たる共産党が、憲法が持つことになっ た独特の歴史的地位、革命の綱領になるという歴史的地位を理解していない。そのう え、長い活動歴を誇る共産主義者であればあるほど、ブルジョア憲法という牢固とし た概念把握から抜け出せないでいる。天皇条項があることがさらに邪魔をする。ここ に護憲運動が時代を変えるエネルギーを周囲に発散できないでいる一つの原因がある。
 長い間、現実を古い言葉で解釈してきた者は新しい変化も古い言葉で理解する。古 くからの共産主義者ではなく、新しくやって来た人々、「新しい人」(大江健三郎) が、はじめて読む日本国憲法に目を見張り、その素晴らしさに目覚め、憲法に魂を吹 き込み、現行憲法を革命の憲法に変える主体となる。先に進んでいた者が後衛になり、 遅れてやってきた者が前衛になる。
 古くからの共産主義者が、この憲法の今日の革命的な歴史的役割を理解できない理 由は他にもある。この絶対平和主義の思想は、思想としては支配層から空論として攻 撃され、この憲法を守ろうとする運動の一翼・共産主義運動からも空想と見なされて きたことである。というのは、共産主義は資本主義の支配する世界では、資本の国家 暴力・戦争は必然であり、それに対抗する革命、民族解放闘争のカウンター暴力を肯 定するからである。暴力をめぐる思想としては、日本国憲法は両者の思想の対極にあっ たものなのである。思想が対極にあるから、憲法の今日的、歴史的意義が理解しにく いのである。
 ところで、この絶対平和主義という思想が空想的であるということは、他方ではブ ルジョア民主主義の限界を越えていることを意味していることに気付くべきである。 それゆえ、日本国憲法の絶対平和主義はブルジョア憲法の歴史的枠組みを超えている のであり、その思想はそのままで、共産主義がめざす国家なき未来社会像と一致する。 この点も多くの共産主義者は見落としがちである。革命の暴力を肯定する観念が邪魔 するのである。
 それに加えて、憲法25条の生存権規定「すべての国民は、健康で文化的な最低限 度の生活を営む権利を有する。」を考慮してみたまえ。この条文もまたブルジョア民 主主義の限界を超えており、いわば、ロシア革命と二つの世界大戦がこの国に刻みつ けた歴史の足跡である。この二つの条文が真に実現されれば、すでにそれは社会主義 の理想への大いなる第一歩ではないのか?
 共産党の新綱領が憲法の全条項を「完全実施」(新綱領)する資本主義の枠内での 民主的改革というのは、厳密に言えば重大な誤りであることがわかるであろう。この 点に照らしても、共産党が現憲法の持つ現代的な歴史的かつ革命的意義を理解してい ないことがわかるのである。
 日本国憲法が革命の綱領になるのは、単に歴史の変化する諸条件がその役割を押し つけているだけでなく、もともと、憲法がその役割を担うだけの思想を内包している からでもある。日本現代史の変化、その紆余曲折は、歴史の皮肉というほかないが、 共産主義思想の理想が失墜することによって、我々は日本国憲法の持つ革命思想を今 や再発見しつつあるのである。左翼の既成観念に縛られない新しくやって来た人達だ けが、その素晴らしさを素直に理解できるのである。時代の変化は、こうした、事物 が転倒する歴史事情を生み出しているのである。
 そして、最も注目すべきことは、いわば、共産主義の理想とも言うべき思想が、こ の国では、革命なしに、すでに、憲法の条文として刻まれているというその現実であ る。この真に驚歎すべき事実も又、古くからの左翼は見落としている。共産党は見落 としているのである。独特の無党派観をつくりあげ、無党派との共同にがんじがらめ の制約を課し、無理やり「民主連合政府」の方向に引きずろうとし、巨大与党を利す る全小選挙区立候補戦術に固執する共産党指導部の政治姿勢が、この憲法の歴史的役 割を見失っていること、したがってまた、改憲が焦眉の政治課題となってきた政治情 勢をまったく見誤っていることを疑いもなく証明しているのである。前衛が後衛にな る究極の姿がここにある。
 「後衛の位置から」というのは、丸山真男の著書の題名であるが、憲法に体現され た戦後民主主義のリーダー・丸山真男の思想が前衛になる時代がついに到来したので ある。丸山の没後10年、丸山の著作が国民に読まれ続け、今日、陸続として丸山本 が出版される真の理由である。
 ことのついでに言えば、1993年に共産党議長・宮本顕治が突如、丸山批判を開 始した真の理由もここにあり、彼の長年の党生活で培った「本能」がその危機を教え たのである。しかし、危機の原因が丸山にあったわけではなく、おのれ自身の内にあっ たことは言うまでもない。
 スターリン憲法が滅んで日本国憲法が革命の憲法となるという時代の弁証法、IT革 命を技術的基礎とするグローバリズムの進展と新自由主義がもたらす歴史の逆転、こ うした時代の変化、転倒を理解するためには、時代が生起する事件に照らして、自己 のこれまで立脚してきた理論、概念への絶えざる反省が必要なのであるが、長い活動 歴を誇る左翼ほどなじみの理論フレームに生起する事件を解消してしまいがちである。 新しい現象を古い概念で理解しようとする。新しいものを古い革袋に詰め込む。こう して、変化する新しい時代の特徴を見落とすことになる。
 稀代の弁証家・マルクスが共産主義の一般理論を述べた『共産党宣言』さえ、歴史 上に生成する一都市の反乱・パリ・コミューンに照らしてその理論を再点検し修正を 施していたというのにである(注5)。

<(注5)『共産党宣言』が書かれて、25年後にはマルクスは次のように述べてい た。

「最近25年間に事情は大いに変化したが、それでもこの『宣言』のなかにのべられ ている一般的諸原則は、だいたいにおいて、今日もなお完全な正しさを失っていない 。」(「1872年ドイツ語版への序文」岩波文庫版7ページ)

 共産主義を信奉する大半の読者は、「今日もなお完全な正しさを失っていない。」 というところだけを見ている。だが、我々が見ならうべきことは、共産主義の「一般 的諸原則」すら、歴史的事件に照らして見直し、その正しさを再点検するマルクスの 態度である。資本主義であるかぎり、共産主義の一般的諸原則、一般理論は永遠に変 わらないと考える人は革命的楽天主義者ではなく、素朴な反動家になる。言わずもが なのことであるが、この態度はマルクスの性格によるのではなく、弁証法というもの の見方が必然的に認識主体に要請する態度なのである。>

14、時代に取り残される革命家
 時代が変わるということは、ありとあらゆる以前の相互関係、その相互の位置を変 え、古い概念を陳腐なものにし、以前からの対応に変化を強制する。相対的に正しかっ た古い観念や以前の対応が誤りとなり、時代の促進因が時代の後退要因に転化する。 革命家は、時代に遅れたくなければ、絶えず自己革命を強制される。幾多の革命を経 験し、目撃してきたマルクスは予言者のごとく言っている。とりわけ、今日でも「帝 国主義社民」などという言葉を使う自称共産主義者たちは、よく、マルクスの言葉の 意味を味わってみる必要がある。

「どんな革命にも、その真実の代表者達とならんで、違ったタイプの人間がわりこん でくるものである。彼らのうちのあるものは、過去の革命の生き残り、信徒であって、 現在の運動にたいする理解を欠いてはいるが、人も知るその誠実と勇気によって、あ るいはたんなる伝統の力によって、民衆に影響力を保っている。また他の者は、毎年 毎年、時の政府に反対して同じ紋切り型の雄弁を一くさりくりかえしてきたおかげで、 第一級の革命家という評判をくすねとった、ただのわめき屋である。・・・彼らは、 その力のおよぶ範囲で、労働者階級の真の行動をさまたげたが、それは、以前のあら ゆる革命でこの種の人間が革命の十分な発展を妨げたのと全く同様である。彼らは避 けられない害悪である。時とともに、彼らはふり落とされる。」(「フランスにおけ る内乱」全集17巻325ページ)

 つづく
(以上で第1部がおわる。全体は第3部までとなる。第2部はマルクス主義理論の変 化、第3部は日本の変革主体の問題を取り扱う。)