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「現状分析と対抗戦略」討論欄

日本国憲法が日本革命の綱領となる時代の到来と無党派、共産主義(4)

2006/11/22 原 仙作

15、時代の概観
 これまでの主張を若干の補足を加えながら、まとめてみよう。
①、IT革命とグローバリズムの展開(アメリカ帝国主義の世界支配)、社会主義諸国 の崩壊は戦後の巨大な地殻変動であり、社会・経済の構造を大きく変えたのである。 その変化は資本主義国における従来型の社会主義・共産主義運動の欠点を露呈、破産 させ、理論と運動の根本的な再構成を迫るものになっている。
 日米戦争を的確に予見したレーニンの予想に反して、従来型の社会主義・共産主義 運動は時代の主要な潮流になることはできなかったのであり、代わって登場してきた のは世界大での民主主義運動であり、日本では無党派層の政治運動として現れてきて いる。
 戦前はブルジョア民主主義が崩壊したが、それは戦後、不死鳥のようによみがえ り、たくましく成長する一方、戦後のプロレタリア民主主義は、成長軌道を描くこと なく、今度は逆に崩壊する事態が出現したのである。世界史の前進は、歴史的に生成 したプロレタリア民主主義が「いびつ」なものであったために、一つの迂回路を辿る ことになった(注6)。
②、このような世界史的な歴史条件の変化と日本独特の無党派層の台頭、そして巨大 与党による本格的改憲策動と新自由主義の攻撃が、日本国憲法を革命の綱領に押し上 げようとしている。煉獄の旅を続けてきた日本国憲法が、今や、日本革命の綱領にな る時代が到来しているのである。
 今はまだ、憲法が日本革命の綱領たることがその担い手にとっても十分意識されて いないが、憲法9条「戦争の放棄」と25条「生存権」の革命的意義が再発見される ことことを通じて、憲法は急激におのれの道を切り開きつつある。ここに護憲運動は 『活憲』運動に発展させなければならない根本的理由がある。
③、この転換は急激にやってきた。昨年の総選挙における小泉自民の圧勝とそれに続 く前原民主党の成立と崩壊、小沢民主党の登場という一連の政治現象が事態を説明す る。この急激な政治情勢の変化の前は、革命化する憲法の担い手たる無党派層は、新 自由主義政策をかかげる民主党を押し上げていたことが政治情勢の”真相”を見えに くいものにしていたのである。
 無党派層は政権交代=絶対善という「イデオロギー」で新自由主義の民主党を押し 上げていたのである。ここには無党派層にとって一つの矛盾があった。おのれの経済 基盤を攻撃する政策を持つ政党を支持しながら、「政治革新」を実現しようとする矛 盾である。ところが、無党派層の抱える矛盾を解消させたのが小泉の郵政民営化選挙 なのである。あの選挙で、小泉は民主党から新自由主義の旗を強引に奪い取ったので ある。
 こうして、新自由主義の自民党と在来型自民党の政策を引き継ぐ民主党という入れ 替わりが生じたのである。この入れ替わりという基本的な流れの中では、金ぴかの新 自由主義を掲げる前原民主党は存立の余地がなく、おのれの思想にふさわしい軽薄な ガセメール事件で失脚し、旧自民党の本流・小沢の登場となるわけである。民主党を 押し上げていた無党派層は、さしあたって、その矛盾を解消したのである。
 こうして無党派層の政治運動は、改憲を主導する自民党に対抗する民主党を押し上 げることを通じて、自己の経済基盤を擁護し、政権交代という「政治革新」をすすめ ると同時に、改憲を抑止する道を探し当てたのである。この道から無党派層が憲法を おのれの政治綱領にする道へは一直線に繋がっている。
 昨年の郵政民営化選挙は巨大与党を生み出しただけではなく、同時に、憲法が日本 革命の綱領になる道筋を掃き清めたのである。憲法はおのれの進むべき道をこうして 切り開いてゆく。
 昨年の総選挙で「刺客」まで立てて新自由主義の旗を鮮明にした小泉に、私の言う 無党派層が流れなかったことは注目すべきことで、大方の共産主義者がこの無党派層 を新自由主義支持と見ることの間違いを証明している。この無党派層はこの間の政治 を経験しつつ自らを教育し、その本来の政治綱領=憲法へと進みつつあるのである。

 政治の表面では自民党と民主党の政権争いであるが、その背後で進んでいるのは改 憲をめぐる日本革命の攻防なのであり、この攻防がやがて自民党と民主党の政権争い という「外皮」を突き破って政治の表舞台に登場してくるのであって、その時、無党 派層はおのれの政治綱領が憲法であることを完全に理解することになる。
④ この無党派層の政治運動は、その経済的基礎から見てもマルクス主義の一般的な 政治闘争の観念図式で裁断できる存在ではなく、様々な弱点を持ちながらも、理論の 予見を越えた歴史の経過から、21世紀の政治運動の主流となるべく運命づけられて おり、それゆえに、翼を失った共産主義運動・共産党はこの無党派層との連携にその 再生を託さざるを得ない歴史的地位に立つことになった。前衛ではなく、一般民主主 義運動の一翼としての共産主義運動という政治的位置の変化が起きている。旧来の政 治運動観で言えば、動揺的で両極分解するはずの(小ブルジョア)民主主義運動が共 産主義運動と時代を牽引する主流となるという歴史の転倒が起きている。
⑤、それゆえ、現代版労農同盟ともいうべき無党派層との提携にあたっては、日本共 産党は従来型の対応では誤る(滋賀県知事選が典型)のであって、まず、無党派の意 見を尊重し、彼らの政治運動を支える「縁の下の力持ち」としての対応が絶対に必要 である。この対応の仕方は、これまでの共産党と無党派の提携失敗の事例を見てくる 限りでは、どんなに力説しても力説しすぎることはない。
 紋切り型の基本政策を提示し、それを飲むか飲まないかで、機械的に提携か否かを 決める対応は止めなければならない。政策の基本方向が同じであれば、相手を成長過 程にある存在として見る視点が絶対に必要である。一から出直すような対応(社会主 義諸国の崩壊がそれを要請する)の積み上げの中で、相互の信頼関係を築き、そのう えではじめて無党派層の弱点を払拭し、その民主主義的側面・指向を強化できるよう な連携のあり方を探求することが、自党の変革=リストラクチュアリング(民主主義 化)とともに、共産党・共産主義運動の焦眉の課題になっている。この両者の連携の 成否は共産党と無党派、ひいてはこの国の命運をわける重大事業になっているのであ る。
⑥、この時代、日本国憲法が革命の綱領となる時代では社会民主主義は「時代の同行 者」であり、共産党はその対応にコペルニクス的転換が求められている。社会民主主 義と共産主義を分裂させる原因となった歴史的分水嶺はすでに消滅しており、過去の 因縁を越えて歴史的和解を進める必要がある。そのイニシアティヴを共産党がとるべ きである。
⑦、現在の政治情勢の核心は、日本革命の綱領となる憲法の改憲をめぐる攻防にあ り、政治情勢の今後の展開はこの攻防へと順次激化・収斂していく。したがって、こ れから生起してくる様々な政治現象、諸党派の行動の評価は、この核心に照らして評 価する場合にだけ正しい評価ができる。そこへ、一般的な主義主張、一般理論の見地 を持ち込むと、すべては誤った評価になるのである。
⑧、ところが、日本共産党は、政治情勢をその基本政策の違いから自・民対共という 一般的な政治構図で把握するために、日本国憲法が革命化し、事実上、日本国憲法が 日本革命の綱領になり、その綱領をめぐる改憲攻防が全政治情勢の核心となってきて いることを見ることができないのである。その結果、共産党の政治情勢認識はまった く狂ったものになり、その意図するところとは逆に、事実上、国政の上では改憲勢力 の別働隊の役割を果たしているのである。
⑨、この別働隊となる政治メカニズムを見てみよう。共産党の綱領では、民主連合政 府による民主主義革命が当面の革命である。そこで、民主連合政府の見地、すなわ ち、綱領の見地から政治情勢を眺めると、どうしても、自・民対共という政治情勢把 握になるのである。また、その基本政策の違いで政党を分類する見地から見ても自・ 民対共という情勢把握になる。これが第1。
 現実には、自民と民主が争っているが、それは表面上の対立とし、同じ基本政策を 持つ「同じ穴のむじな」として、自・民対共という図式は崩れないのである。その結 果、自民と民主の争いは無視され、「二大政党」ではなく「確かな野党を」というこ とになり、民主党に票を入れる無党派層まで批判されることになるうえ、全小選挙区 立候補戦術まで繰り返されるのである。こうして巨大与党の別働隊となるのである。
 ところが、政治情勢の核心が革命化する憲法をめぐる攻防にあるということがわか れば、自民対民主の争いは無視してはならず、むしろ利用しなければならないという ことになる。というのは、民主党が政権を取った方が、同じ改憲勢力でも改憲日程が 大幅に遅れることは明らかだからである。現在の政治情勢は自公対全野党という構図 でみることが改憲阻止の見地からすれば唯一の正しい見方なのである。
 改憲阻止の見地ではなく、基本政策の違いの見地や、民主連合政府の見地をもちこ むことは現在の政治情勢の核心=革命化する憲法を巡る攻防を見失うことを意味する のである。共産党はこれがわかっていない。基本政策の根本的違いによる政党の対立 が必ずしも、その時々の政治情勢の核心になるとはかぎらないのである。戦後の政治 史をみても、自共対決が政治情勢の焦点に登ったことは一度もない。
 第2は、現在の歴史的にも独自な無党派層をマルクス主義の一般的な政治闘争の観 念図式から見る動揺分子扱いである。共産党は彼らの運動を一般観念図式から見て発 展的に見ることができない。その結果、無党派層の運動が現在は民主党を押し上げて いるが、やがて、民主党支持を越えて憲法を綱領とする政治運動にまで発展していく 力を持っていることを見ることができないのである。
 それだから、無党派層の現状を固定的に見て彼らを批判し、民主連合政府の陣営に 引き寄せようとするのである。ところが、すでに述べたように、無党派層は共産党が 目指す政権は選択肢の外にあるから容易なことでは共産党になびくことはなく、逆に 自民党の別働隊と共産党は逆批判されることになるのである。
 無党派層がゆくゆくはめざすことになる綱領としての憲法と共産党の民主主義革命 ・民主連合政府は対立するものではなく、ほとんど同じものでありながら、政治情勢 を見誤っていることと、図式的な無党派観が原因で、共産党は無党派層を批判し敵に 回すというまったく愚劣な政治行動をとっているのである。共産党は、ソ連の崩壊を 双手を挙げて歓迎したが、共産党はそのソ連と同じ役回りを現在の政治情勢の中で やっているのである。
⑩、すでに述べたような時代の大きな変化は、資本主義社会である日本で現行憲法を 革命の綱領とするような、これまでの共産主義者の常識では奇想天外な事態を生み出 し、マルクス主義の諸概念の再検討を迫るほどのものなのであるが、古くからの共産 主義者達は、新しく生起してくる現実を古い概念で解釈し、政治情勢の核心を見失 い、時代に取り残されるばかりか反動的な役割を果たすような事態に追い込まれてい る。
 古き前衛が後衛を越えて足かせになる時代、それはマルクスが言うように、大きな 時代変化における一つの法則であるようにさえ見える。共産主義の一般的な諸原則が 無条件に通用すると考え、変化する現実を古き理論フレームに解消し裁断する教条主 義は、無条件に反動の位置に移行するほかない時代がやってきているのである。

<(注6)プロレタリア民主主義についての将来の予想とは、言うまでもなく、共産 主義が世界的に勝利するという予想に他ならない。特殊な歴史事情を排除した世界史 の一般的な発展行程が問題であり、そこではプロレタリア民主主義の勝利は必然で あった。「いびつ」なプロレタリア民主主義による世界史の発展行程の歪曲は特殊な 歴史的事情として捨象されるのは当然のことであった。
 しかしながら、世界史的な発展行程に関わる領域でも、レーニンは現実主義者で あって、共産主義の世界史的発展行程が閉ざされかねないことをも予想していた。晩 年、病をおして出席した共産主義インターナショナル(第3インター)第4回大会で レーニンは短い演説を行っており、次のように述べている。

「1921年の第3回大会で、われわれは、共産党の組織的構成、活動の方法と内容 にかんする決議を採択した。この決議はすばらしいものである。だが、それはほとん ど一貫してロシア的である。つまり、すべてが、ロシアの条件からとられている。こ の点に、決議のよい面もあるが、また悪い面もある。・・・第2に、たとえそれを読 むにしても、それがあまりにロシア的だから、外国人のだれもそれを理解するものは いないであろう。・・・それは一貫してロシア精神が貫いているからである。第3 に、例外としてだれか外国人がそれを理解したところで、彼はそれを実行することは できないであろう。これが決議の第3の欠陥である。・・・私は、われわれが、この 決議で大きな誤りをおかしたという印象、つまり、われわれが自分で今後の成功への 道を断ってしまったという印象を受けた。・・・われわれは、わがロシアの経験を、 外国人にどう紹介したらよいのか理解しなかった。決議に言われていることはみな、 空文句にとどまっている。しかし、これを理解しなければ、これからさき前進してい くことはできない。」(「共産主義インターナショナル第4回大会」全集33巻 447、8ページ、1922年11月)
 

 不幸にも、レーニンの予見が的中してしまったことは、社会主義世界体制の崩壊に 始まる全世界的な共産主義運動の崩壊・破産として現実化していることを見ればわか ることである。なお、この予見に関わる論点は、共産主義政党に課せられた重い十字 架として長く日本共産党の全運動を制約してきたことは、後段で詳しく触れることに する。>

16、世界は「おもしろい」が、日本だけが例外に見える理由
 共産党が現在の政治情勢を見誤り、巨大与党の別働隊たる不名誉な役回りをするは めに陥っているメカニズムはすでに要約したが、現在の政治情勢を見誤る直接の原因 は何度も言うが自・民対共という図式で政治情勢を見ていることである。そして、こ の図式を維持する基礎には、現在の政治情勢の核心である革命化する憲法という新し く生起してきた政治情勢を見落としていることがある。憲法が革命化して改憲を巡る 攻防が日本革命の攻防へと発展しつつあることを見落としているのである。
 ブルジョア社会でブルジョア憲法が革命化してくるということがどうしても理解で きないのである。その結果とも原因ともなっているのが新綱領で新たに設定した民主 連合政府という民主主義革命のコースである。共産党は自・民対共という政治情勢を 打開して民主連合政府へ進むというコースしか考えられないのである。しかし、現実 は複雑怪奇なもので、民主連合政府というコースではなく、憲法を革命化するという 奇想天外なコースを進んでいるのである。この現実がわからないためにどういう政治 情勢認識が生じるかを最近の「赤旗まつり」の不破講演から見てみよう。
 先の「赤旗祭り」で、不破は「いま世界がおもしろい」(「赤旗」11月11日 付)という講演を行っている。ソ連が崩壊して、アメリカ一極の世界になったため、 これまでソ連が存在したことでアメリカに文句を言いにくかった西側諸国がアメリカ に文句を言い始める一方、世界の様々な民主主義運動や社会主義、共産主義の運動も ソ連に遠慮することなく大手を振って発展しており、「世界がおもしろい」状態に なっているというのである。
 ところが不破の見るところでは日本だけがその例外なのである。日本だけが世界の 「おもしろい」趨勢に逆行しているのである。共産党はこれまで日本資本主義の異常 として3つのものあげてきたが、今度は4つめの異常として「反共主義」を「格上げ してもいいのではないか」というほど共産党が日本では疎外されていると彼は嘆いて いるのである。
 なぜ、世界が躍動しているのに日本だけで「反共主義」が強まっていると不破には 感じられのであろうか? なぜ、日本だけが世界の例外のように不破には見えるの か? それは憲法が日本革命の綱領になり、日本が新しい時代へ進む攻防がすでには じまっていることが見えていないからである。日本も例外ではないのであって、民主 連合政府ではなく、別の形態で、すなわち、日本国憲法が革命の綱領となる形態で新 しい時代への攻防が始まっていること、社会の変革期には多様な可能性が噴出し、そ れらがめまぐるしく変化し、人間があらかじめ考えていたもの(民主連合政府)とは 別のものを現実が用意していることを彼は理解できないのである。
 彼は新しい時代へと進むべき政治形態としては民主連合政府しか念頭になく、民主 連合政府へ進む芽が育っていないかという視点だけから日本を見回すのである。だか ら国政選挙で5連敗もさせられると日本は例外に見えるのである。
 普通なら5連敗もすれば、自分の認識にどこか間違いはないのかと反省するものな のだが、不破には「反共主義」が強まって見えるのである。「反共主義」を強めて共 産党を5連敗させる国民が悪いのである。共産党の外の世界が間違っているのであ る。ここに彼の言いようのない、救いようのなさがある。彼の「科学的社会主義」が 露呈し、彼の反弁証法的物の見方が表現されている。客観的現実をつぶさに研究する ことが弁証法の基礎であることが忘れられている。弁証法の基礎を忘れ、自ら墓穴を 掘って被害妄想に陥っている彼の姿がよく現れている。
 彼は民主連合政府という形態というものが現実がもつ多様な可能性の一面を切り 取った一面的形態であるということを忘れている。彼の頭の中には、「民主主義の前 進は世界の大道=民主連合政府」 という理解が公式として詰まっているのである。 これが事物を固定的に見る、あまりにも非弁証法的な見方であることに彼は気がつい ていない。「民主主義の前進は世界の大道だ」という命題は、少しもその形態を決定 するものではないということが忘れられている。
 より民主主義的な社会へと進むのは世界史の普遍的な大道であるが、そこへ進む 際、どのような形態をとるかは千差万別であり、日本の場合も例外ではない。共産党 の新綱領が採用した民主連合政府は、現実が持つ無数の可能性、無数の組み合わせの 内から取り出した一つの形態でしかない。この理解が決定的だ。だから、新綱領で採 用した形態=民主連合政府は本質的に一面的なものなのである。
 人間が目の前の歴史的諸条件を考慮して考え出す社会変革の形態はすべて一面的で ある。革命がその形態で進んだ試しは歴史上一度もないとさえ言えるだろう。パリ・ コミューンもマルクスが考えだしたものではなく、労働者の実践が発見したものであ り、ソビエトもしかりである。
 社会の変動期には、政治現象に現れるすべてのものの形態を急速に変化させ、古い ものに新しい内容を盛り込み、新しいものを急速に陳腐化させるというのはレーニン が再三再四力説したことであり、古くからの活動家はこれをどうしても理解すること ができないとも指摘していた。現在の日本に当てはめれば、共産党の新綱領の民主連 合政府は打ち出されて国民に浸透することもなく急速に力を失い、古い憲法が新しい 内容が盛り込まれ革命化していくということが現実に進行していることである。私よ り説得力のあるレーニンに説明してもらおう。

「カウツキー、・・のような、非常に博学なマルクス主義者と、社会主義に一身をさ さげた第2インターナショナルの指導者の身のうえにおこったことは、有益な教訓に なるであろう。・・・彼らは弾力性のある戦術が必要なことについては十分に知って いた。彼らはマルクスの弁証法をまなび、他人にも教えた。・・・だが、彼らはこの 弁証法を適用するにあたって、大きな誤りをおかした。すなわち、実践のうえでは非 弁証法論者であり、形態が急速に変化し、古い形態(日本国憲法のことだ---引用 者)に新しい内容が急速に盛られていくのを考慮にいれることができない人であるこ とがわかったので・・・ある。彼らが破産した基本的な原因は、彼らが労働運動と社 会主義の成長のある特定の形態(民主連合政府のことだ---引用者)だけに「目をう ばわれ」、それが一面的なことをわすれ、客観的条件のために急激な転換(民主連合 政府から革命化する憲法へ---引用者)がどうしても避けられなくなったのを見るこ とをおそれ、簡単な棒暗記の、一見したところでは争う余地のない真理(全小選挙区 立候補戦術のことだ---引用者)--3は2より大きい--を繰りかえしつづけたところ にある。」(「共産主義の『左翼主義』小児病」全集31巻、92ページ)

 納得していただけたであろうか? 憲法が革命化し、別の形態で事態が進み始める という、この日本の政治情勢の核心(この認識が決定的なのだ!)を見失い、民主連 合政府の見地(固定的に見れば、それは教条に転化する)から政治を眺めれば、改憲 を阻止することに役立つ国政選挙共闘に背を向けることになり、また民主党に票を入 れる無党派層を批判することにもなる。同じように、与党を助ける全小選挙区立候補 戦術をとることにもなり、こうして、自ら”おもしろくない”政治情勢を作り出して いれば、日本が例外に見えるのであり、「反共主義」が強まっていると感じることに もなるのである。
 不破には見るべきものが何も見えていない。こうして、「共産党が伸びれば日本は 良くなる」と、ボロボロになった古いお経を唱えて460万票を死票にしているので ある。
 新綱領の民主連合政府がレーニンの言うように「一面的」であることを理解し、民 主連合政府がめざすものとほぼ同じものが憲法を革命の綱領とする形態で現実に進ん でいることを理解すれば、一挙に日本も「おもしろい」国だと言えるようになるので ある。「反共主義」が強まっているのではなく、自ら作り出していることを理解すれ ば、「反共主義」の多くも克服できるのである。 
 だから、私が共産党に対案を出すとすれば次のようになる。
 第一段は、実践的には憲法を革命化するコースに乗り換え、自公民対共ではなく、 自公対全野党という対決図を作り出す。これは共産党が政治姿勢を転換すれば明日に でも実現する。そして、「改憲の発議を封印する」というような政策協定を結び、来 年の参議院選で安倍政権を退陣に追い込む。
 第2段は、無党派層と共同して民主党を政権につけることに全力をあげ、その過程 を通じて無党派層との提携を無数の糸で作り出す。これが決定的に大事なことで、 「二大政党」に支配された政治を回天させてゆくポイントである。第3極づくりの基 礎作業である。むろん、「9条の会」などの草の根の活動も積極的に進めことも当然 である。
 第3段は、民主党が政権基盤を強化する過程でその政策に影響を与えながら、無党 派層との提携をさらに緊密にし、「平和共同候補」運動などとも協力して護憲派の議 席拡大をめざす基盤作りを全力をあげて進める。ここでは民主党が政権基盤を固める 速度と共産党が無党派層と緊密に結びつく速度との競争になる。
 第4段は、いよいよ、民主党が改憲を政策課題に掲げる時期がくるであろうが、今 はそこまでは考えなくてもいいであろう。現実は非常に弾力的で可変的だ。ただ一つ だけ言えることは、民主党が改憲を掲げる時期は、改憲を掲げると同時に、広範な無 党派層が民主党から離れる時期、無党派層が憲法をおのれの政治綱領に掲げる時期に なるだろうということである。共産党はその時までに自党を改革し、無党派層に魅力 的な存在に「変身」していなければならないのである。この「変身」も速度が問題に なり、「変身」速度と無党派層との緊密化の速度は比例する。
 このように見てくればわかるであろうが、共産党の現状を見る目はすべて一面的、 固定的、図式的、機械的である。機械的唯物論という言葉があるが、「科学的社会主 義」ではなく「機械的社会主義」という名称のほうがその思考の特質にふさわしい。

追記:以上は、第1部としてすでに投稿した「日本国憲法が日本革命の綱領・・・ (1)~(3)」への補足となる。