原さん
労作の投稿、ご苦労様です。また、以降に予告された2、3部をも含めて、こういう論文をこのさざ波に書いて下さっていることを「さざ波同人」の1人として感謝しています。
マルクス主義の歴史に通じ、その最近作も読まれていて、過去の「教条部分」や限界をも研究された上で、最新の社会現状分析も怠らず、これらを永年にわたって付き合わす作業を重ねて来られた事が分かります。そして今回は、3部に渡るその集大成を企画・予告された上の、その第1部だ。貴方の人生、執念が籠もった、その産物としみじみと読んだものです。
さらに、こういう著作を書ける方は、現在の日本にはなかなかいないはずだと感慨ひとしおでした。マルクス主義による現状分析論とか、第2部で予定されている「マルクス主義理論の変化」とかといった範疇の中で、将来日本のどこかに残るような労作ではないかと推察しているほどです。さぞかし名のある政治学者だろう、あの方か、この方かなどなどとも。
この著作と比べると失礼ながら不破哲三氏のそれらは、現状分析が根本的に欠けた経文読みそのものに見え、まるでさざ波への「ナントカ連合」氏の「マルクス主義論文は、現実の人間とは無関係である」という主張に基づいたものと見える程です。
また貴方の、11日付け僕へのお返事の中でこう書かれている意味も改めて噛み締めています。
「なお、無党派層についての原稿は膨大なものになっており、もう少し時間がかかりそうです。私なりの客観主義への批判の形になると思っています」
僕がさざ波でいつも述べている二つのことの内の一つ「マルクス主義の客観主義的理解批判」を具体的に展開して下さったということがよく分かりました。この点に関してはまた、第3部では「日本の変革主体」まで書かれるということで、まるで僕の欲しい物が全て入ってくると感じたものです。浅学な僕ですが、これらのことからこの3部作の水準というものがよく理解できるような気がします。そして、これだけの学術論文にはそれなりの敬意を払って、お付き合いさせたいただこうと思い立ちました。
まず無党派層の分析、役割規定は、以下のように思いました。百年1日のような教条主義・「労働者階級頼み」に対して、マルクス主義的な現代日本的階級分析であると。「左」右の教条主義に比較して、多様な現状分析に基づく極めて新鮮なものと思いました。
目にについた部分、読者にご紹介したい部分はこんなところでしょうか。
「無党派層は現在の日本の政治情勢の特徴を一身に体現する存在で、その把握を見誤れば全政治情勢の核心をとらえ損なう、言わば、政治戦略の試金石たる存在なのである。しかし、旧来の共産主義運動の側は古い理論の枠組みにとらわれて、この無党派層の歴史的役割をとらえ損なっており、その結果として、政治情勢を打開する道をみずから閉ざし、自らを窮地に追い込む一方、巨大与党の誕生を許し改憲の危機を迎えているのである」
「なお、この1200万票前後の無党派層を職業別に分類したデータなどがほしいところであるが見あたらない。推測で言うほかないが、日本の職業構成比率を基準にして見ると、都市勤労者の比率が高く、相対的に高学歴の職業層が多いのではあるまいか」
「私の言う無党派の主流(多数派)は90年代に社会主義世界体制の崩壊、日本経済のバブル崩壊、日本社会党の崩壊という3大崩壊を契機に政治に登場してくるもので、1995年の都知事選で青島都知事を生み出し、1998年には共産党を躍進させ、2000年以降は民主党を「二大政党」の一角に押し上げている反小泉の政治革新派である」
「ここに上げた共産党陣営を中心とする左翼陣営の大状況は、旧に復する思考や判断基準、運動方法で挽回できる事態ではないであろう。戦後も半世紀以上が過ぎて、しかも国民の圧倒的多数が給与生活者になっている現状で、共産党の職場支部の多くが立ち消えていく姿はどんな理由があるにしろ、これまでの共産党・共産主義の労働運動、政治運動の破産傾向を示しており、まったく新しい闘い方が必要になっていることを示しているのである。旧来の社会主義、共産主義運動のリストラクチャリングが必要なことを示しているのではないのか?」
「最下層の純金融資産総額(日本のそれを5段階に分けたもの。日経新聞、野村総研調べの数字、人文学徒注)の50%でも、日本資本主義を買収できる(!)ほどの経済状態では、労働者の階層化にともない、その意識も変われば、要求の内容や運動の仕方も変わってこざるを得ないのは当然であろう。私が全く新しい闘い方が必要じゃないのかという理由の経済的基礎がここにある」
「GDPは1959年の10兆円からバブル期の600兆円、その後の500兆円割れから現在の550兆円へと跳躍する。わずか30年で60倍という驚異的な経済成長を達成するのである。GNP、GDP統計のなかった1950年頃から比較すれば、100倍にもなろうというすさまじさである」
「日本の場合、貯蓄0~300万円世帯の全世帯に占める比率は15.4%(総務省「貯蓄動向調査」)である。一方、同じ年の米国では0~3万ドル(当時1ドル=105円)の世帯比率は57.9%、この米国の最下層の世帯比率・57.9%にまで日本の世帯数を広げると、貯蓄1000万円~1400万円の世帯層まで入ってくる。ドルに換算して13万3千ドル、13万3千ドルの貯蓄水準といえば、米の80%の世帯をカバーしてしまうのである。米では2.1%の世帯が全貯蓄の47.9%を保有する寡占状態にある結果である」
次に、今回最も重視されたテーマ、日本国憲法の綱領的役割がこの新たな中産階級から説明されていきますね。
「日本国憲法がその理念、イデオロギー、綱領になる。小泉、安倍の攻撃と護憲派の攻勢的な戦いが日本国憲法を革命の綱領に押し上げる。歴史の新たな諸条件の組み合わせが、歴史上に出現したブルジョア憲法の究極の形態である日本国憲法を革命の綱領たる地位に押し上げようとしている」
「ブルジョア憲法が発達した資本主義国の革命の綱領だと言うのは、まったくの論理矛盾だ、ナンセンスだと嘲笑してはいけない。マルクス主義の一般理論にしたがった形式論理をところかまわず振り回してはいけない。私は日本国憲法が革命の綱領だと言っているのではなく、革命の綱領になるのだと言っている」
「日本国憲法に新たな歴史的役割を与える新たな歴史的条件とは、次のふたつのものである。一つには、日本国憲法は、新自由主義と「戦争のできる国」をめざす支配層の攻撃にさらされて、軍国主義を封印する手段から支配層の攻撃に対抗する平和・福祉国家の守護神(思想、イデオロギー)へと変貌する。戦後を妥協による共存で生きてきた両者の関係が敵対関係としての本質を顕在化させる。もう一つは、社会主義世界体制の崩壊にともなう共産主義の理想の失墜である。これらの新しい変化が広範な中産階級の存在と結びついて日本国憲法を革命の綱領に押し上げるのである」
「なぜ中産階級が憲法をおのれの綱領にするのか? 憲法がもともと彼らの自立、自己決定思想の母胎であるということと、改憲勢力の経済綱領が新自由主義であり、中産階級の経済的地位を攻撃するからである」
「今日の政治情勢が歴史的に生成してきた無党派層と共産党の連携に独特の歴史的意義を付与しているのである。革命の綱領になる日本国憲法が両者の提携を強制する。
その関係は、いわば、運命共同体であって、消え去り解体していく小ブルジョア政治運動と「前衛」党という通常の関係では断じてない。私が無党派層の積極面、その可能性を評価する歴史的・理論的理由がここにある」
以下、共産党の大衆運動の狭さへの指摘と(4)の補足とは、ここでは触れませんが、2部、3部もおおいに期待しています。