しばらくぶりに投稿します。
投稿様式が変わったのに、戸惑ったまま、しばらく離れてい
ました。
両氏の投稿を読んで考えもまだまとまりませんが、少し雑感 を述べます。
1、中産階層の出現について。
原さんの指摘ではその金融資産は下位グループでも日本の株
式市場をすべて買い取ることができるのですか?
それは500兆円ですか?
こういう経済的基礎を元に、中産階層意識を持つにいたり、
自立しているということですが、少しあいまいな気がします。
この点では丸楠男さんの指摘と評価のほうが実感にちかいの
ではないでしょうか。
やはり、現実として資本からは自立できていないでしょう。
ただし、旧社会党支持者層から無党派に移行した層については官
公労関係者が多いと推察されますが、彼らは、もともと資本に従属し
ていませんでしたから、原さんがおっしゃるような傾向を持っているか
もしれません。(1200万人ですか?)
さて、金融資産というと主に貯預金のことでしょうが、スエ
ーデンのような北欧諸国民は労働者として意識的にも相当自立
していますが、そうした諸国では、国民の預貯金額は日本より
ずっと少ないのですよ。
つまり、日本の労働者の預貯金というのは、生活防衛のため
に止むなく行わざるを得ない、それだけギリギリの生活防衛を
強いられているということです。(退職後への備えなど)
竹崎孜氏という方がいます。在スエーデン外務省現地特別調
査員であり、元ストックホルム大学客員教授です。(他サイト
でみつけました)
その方の著作がスエーデンの実情を詳しく述べています。
引用しましょう。
<スエーデンの税金は本当に高いのか>より、
p64~67
・・・日本の家計に比べると、スエーデンの家計のどこにも 見当たらないのが固定家計費である。
日本で固定家経費の項目にあがるのは、教育費、医療費、民 間保険料、貯蓄などが代表的だ。 すべて生活の安心にどうし ても不可欠な出費(貯蓄も将来の出費への備え)となっている だけに・・・こうした準備の有無によって、生活ぶりは決定的 に違ってしまう。
それにもかかわらず、スエーデンでは固定家経費らしい項目 が家計のどこにもない。
教育費などは必ず必要なハズと話しても意味がわからない( !)との言葉が返ってくる。・・・スエーデンでは貯金ができ ないのではなくて、むしろ貯蓄をする理由がないとするほうが 妥当である。・・・
またp26~27
・・・世界には貯蓄に励む理由が見つからないという国民も いる。
日本の研究者がオーストラリアで尋ねたところ、We do not save any money. (貯金などしませんよ)という答えが返ってきた。 同じ質 問に対するスエーデン人の答えも”貯蓄を何故するのかわから ない”だった。さらに、”国や社会は誰のため、何のためにあ るのだろうか?”と付け加える。・・・・
・・・p27 日本とスエーデンの家計内容
スエーデン、年所得700万円 日本、年所得700万 円
可処分所得 70% 可処分所得 57 ,5%
490万円 403 万円
固定家経費 15%
105 万円
社会保険料 7,5%
53万 円
税金 30% 税金 20 %
210万円 140万 円
注1、スエーデンは夫婦共稼ぎで標準世帯。日本はやや高所 得に属す。
注2、物価水準はスエーデンの方が低い。・・・・
以上です。
ですから、預貯金などの金融資産が最下位グループですら5 00兆円にもおよび、日本の株式市場を丸ごと買えるだけの資 産総額となっており、それは米国(!よりによって日米両低福 祉国同士の比較!)と比べると、かくかくしかじかとおっしゃ っても、社会民主的な改革改良がある程度成し遂げられた社会 から見ると、それはただの貧困の象徴にしか見えないというこ とになるのですよ。
それを、日本の本人たちも勘違いして、中流意識をもってい
る、、、というのは持たされている、というほうがあたってい
るようにも見えるのですが。
ですから、こうした中産階級や、中産層の出現をマルクスが
予見できただろうか、彼はきっと驚くだろうし、その学説の修
正を考えたであろう、、と言うのであれば、何を遅れたことを
、独のすぐ隣の北欧社会を観察すれば、日本など問題外、さら
に大幅に修正するだろう、ということもできるのですよ。
つまり、日米両低福祉国同士の比較では話になりません。
(正しい展望が見えてきません。)
北欧諸国や蘭のような改革改良が相当高レベルでなされた諸
国との比較が最重要課題です。(日米は反面教師です)
そうした改革改良のあり方を比較研究してこそ、どういう改
革の展望があるのかという結論に至るでしょう。
また、丸楠男さんはケインズ的社会民主的な改革は今でもそ こそこの成長をもたらすことは事実だが、資本の側は何故そう したそこそこの成長で我慢しなければならないのか、共産主義 の脅威は消えたのに、という資本側の強い要求が出てくる中で 、そうした社会の行く末を悲観的に考えておられるようですね 。
そうなのですよ。反戦連合氏との論争でも述べましたが、今
日の情勢の下では、こうした社会民主的な改革改良社会が達成
した成果を守り発展させるのは、それこそ資本側のそうした意
思と資本に頑強に抵抗する労働者人民との闘いであり、そこに
こそ、進歩と反動の分岐点が鋭く現れているのです。
さる方は、北欧はすでに瓦解していると叫びましたが。
そうした社会体制では持たないと、帝国主義陣営は悲鳴を上げ、決してそうした社会を許さないし、国際競争力も保持できていない、
と主張したわけですよ。 なるほど、資本側の厳しい攻撃を代弁すればそうなるでしょうね。
ですから、闘いのレベルがそうした社会の行く末をきめるのですよ。
たとえば、皮肉な例を示しますと、
以前成長競争力指数(GCI)やビジネス競争力指数(BC
I)について紹介しましたが、そうした資本主義的指数でも、
(今がわかる時代がわかる世界地図)
GCI BCI
1位 フィンランド 1位 フィンランド
2位 米国 2位 米国
3位 スエーデン 3位 スエーデン
4位 デンマーク 4位 デンマーク
・・・・・・・・・・・・・
11位 日本 13位 日本
となっています。(05年版、つまり、指数は03年時点のも
の)
実際のその経済成長では、
03年
05年
ノルウエー 2216億ドル(100) 283
9億ドル(131)
スエーデン 3008億ドル(100) 354
1億ドル(118)
デンマーク 2124億ドル(100) 254
4億ドル(120)
フィンランド 1615億ドル(100) 19
32億ドル(120)
米国 10兆8816億ドル(100) 12兆45
51億ドル(114)
日本 4兆3264億ドル(100) 4兆50
59億ドル(104)
となっているわけです。
(もっと長期のデータもありますが)
ですから、米国や日本のような新自由主義むき出しの攻撃が
なされている国よりも、北欧諸国のほうがそこそこどころか、
順調に成長しているということがわかります。
(どちらも今がわかる時代がわかる、、、の05年版、07
年版から)
こうした経済成長・路線もしかし、資本に抗する労働者人民
の強い政治的民主的意思・自覚と闘いによって支えられている
のです。
闘い、これこそが展望を切り開きます。
平和と民主主義、生活防衛の闘い、これこそが展望を切り開きます。
もちろん、選挙闘争が重大なのはいうまでもありません。
2、日本国憲法が革命の綱領に押し上げられるのか?
日本の情勢では確かに、今は憲法をめぐる闘いが結節点とな
っています。
しかし、それは将来のより豊かな社会民主的な改革改良され
た社会への展望とも同時に確固として結びついている、そうい
う全体の展望の一部であるべきです。
なぜなら、そうした社会は、現実に我々の目の前に存在する、より豊かで、民主的な社会だからです。
スエーデンの場合は180年間戦争をしなかった平和な社会でもあります。
憲法はそういう意味では、(いまだ全面達成されていない、)”理念” として存在しているということです。
理念と実在、そこのところは展望としては大いに違います。
北欧や蘭のような社会から見ると、平和原理はあるものの、
ごく普通のことを述べているに過ぎないのが日本国憲法でしょ
う。
社会民主的改革改良への確固たる展望、それが日々の平和や生活と
権利を守る闘争での指針とされねばなりません。
日本国憲法もその平和原理は優れているがこうした社会民主
的な改革改良の確固とした展望ときちんとリンクされてこそ生
きるのです。
なぜなら、それが実在するものであるために、平和と生活と権利を守る日々の闘いを確固とした展望のもとにしっかりと支え、激励するものとなるからです。
ですから、日本国憲法をもってきて革命の綱領と呼ぶには少 々抵抗を感じますね。民主的改革の指針というようなものでし ょう。
というか、かえって、そういう呼び方は認識の遅れを示して
いるようで、国際的にはちょっと恥ずかしいような気がします
。
まあ、それだけ日本が遅れているということなのでしょうが
。
それにしても、そういう呼び方はこのさざ波というごく狭い
サイトの中でのみ通用する用語でしかないような気がしますが
、どうでしょう。
3、社会民主主義は時代の同行者か?
いいえ、違いますよ。
時代の先行者です。先導者といってもいいでしょうが。
もちろん、社会民主主義”者”は個々具体的な人物像を伴う
ので、同行者でしょうね。
でも、その理念としては時代の先行者、先導者です。
日本共産党? 不破綱領?
う~ん理念としては取り残されていますね。後衛ですか。
運動論、政治行動論的には、おっしゃるように、自公反動勢
力の別働隊的な活動に帰着しています。 戦術として稚拙です
。
以上雑多な感想ですみません。
多多のご批判はあるでしょうが、それもまた、議論活性化の
一手段と考えれば、拙論を聞き流せるのではないでしょうか。