丸さんへ
再反論を読みました。「無党派層という<言葉>は、いっそ
のこと死語にしてしまいましょう。」とありますが、これが丸
さんの結論なのでしょう。丸さんの言わんとする端的な結論が
出たところで、後は読者の皆さんの判断にゆだねたいと思いま
す。7月には参議院選があり、大きな政治的事件になるようで
あれば、また、新たな材料で議論をし直すこともできるでしょ
う。
スカンジナビアンさんへ
北欧の社会民主主義について触れない点のご不満は、重々承
知しているつもりです。遅れた私の議論の仕方からすれば、自
分で確認できる議論の積み上げの延長線上にしか対象をとらえ
られないという制約があるものですから、どうしてもスカンジ
ナビアンさんからすれば”今頃、何を言ってるんだ”という感
想にもなるわけです。北欧の社会民主主義をどうみて、その成
果をどうとらえるかという議論は、私の投稿「(2)の<注2
>」で触れたように、もう少し時間をいただきたいと思ってい
ます。
私の投稿に関してふたつほど述べておくと、庶民の貯蓄50
0兆円にしろ、北欧諸国ではないアメリカ庶民の貯蓄との比較
にしろ、それらはマルクスの古典的労働者階級範疇とは大きく
隔たった内実を持つに至った日本の庶民の経済的実情を特徴づ
け確認するための指標でしかありません。
だから、アメリカを持ち出したことがアメリカを世界の生活
最先進国と前提しているわけではありません。資本主義社会で
最も富(貨幣、商品などの経済的富)が蓄積された社会として
比較に持ち出されたというだけで、それ以上の意味はもってい
ないのです。むろん、日本の庶民の貯蓄水準の高さが世界に冠
たる豊かな生活の表現だと主張しているわけでもありません。
それからもうひとつ、スカンジナビアンさんの次のような私
への批判についてです。
「こういう経済的基礎を元に、中産階層意識を持つにいたり、 自立しているということですが、少しあいまいな気がします。 この点では丸楠男さんの指摘と評価のほうが実感にちかいの ではないでしょうか。 やはり、現実として資本からは自立で きていないでしょう。」
私へのこの批判は誤解ではないでしょうか? 私は中産階級 が全体として、経済的に資本から自立しているとは述べていま せん。私は次のように述べています。
「経済的従属は革命の主体形成能力を否定する根拠にはならな いのです。 むしろ、逆だ。切っても切れない経済的従属関係 に置かれていることが、革命の主体形成能力を陶冶させる。中 産階級の大半も資本に経済的に従属しているからこそ、その多 くは労働者階級と同じ立場に立たされることになる。中産階級 が経済的に資本に従属していることは、彼らの政治革新能力を 否定する根拠にはできないものです。」(「丸さんの共産主義 の3原色」)
中産階級の大半は資本に経済的に従属していると私は述べて
いるのです。
私が中産階級の「自立」という表現を使っているのは次のよ
うな言い方においてです。
「日本の中産階級の中核(中の中と中の上という意識をもつ層 )は、その過半が自己の労働力を売却して生活する社会階層で ありながら、その経済資産によって、経済的地位の上でも意識 においても、労働者階級から自立していると見るべきであろう 。」(「日本国憲法が・・・」(2)の<注2>)
「労働者階級からの自立」という言い方なのです。むろん、
労働力という商品を資本に販売して生活をしている人間集団は
範疇(ここでは形式としてのそれ)としては労働者階級に属し
ているわけですが、その古典的範疇が想定していた内容=労働
者の賃金とその生活実態(「資本論」第1巻基準)を大きく突
き破っている点で、さらには労組や階級政党(共産党)などに
対する意識(社会主義世界体制の崩壊という洗礼を受けている
)という点で「自立」という表現を用いているのです。
ここで引用した拙文の前にある文章「この中産階級を『労働
者階級』」概念でくくるところに無理がある。」ということを
別の表現で「労働者階級からの自立」と説明したものです。
樹々の緑さん、人文学徒さんへ
いつも的確な要約と助言をいただき感謝しております。ネッ
ト上の投稿とはいえ心血を注がざるを得ない手前、大きな励み
になっています。ありがとうございます。