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「現状分析と対抗戦略」討論欄

原さんへ

2007/2/24 丸 楠夫

 「7月には参議院選があり、大きな政治的事件になるようであれば、また、新たな材料で議論をし直すこともできるでしょう。」とのことですが、前回私が述べたことの中には、「新たな材料」などなくとも、いくらでも返答可能なものもありはしなかったでしょうか?
 例えば、私は、原さんの「共産主義の三原色」の「「9.「見捨てられる」のは自業自得ではないか?」全文の撤回を、原さんがすみやかに明言されることを要求し」ていたはずです。もちろん要求に応じないということであればそれはそれで結構ですが、ならば当然、その理由ぐらいは、「新たな材料」抜きでも、原さんご自身の良心と自らの発言に対する責任感にのっとって、いくらでも「すみやかに明言」できるし、またそれが人として最低限の誠意というものでもないでしょうか?
 誠意ある「すみやかな」お返事を切に期待します。
 しかしながら、今回は短いお返事であるにもかかわらず、相変わらず原さんのユニークさに、私は大変感銘を受けました。

「「無党派層という<言葉>は、いっそのこと死語にしてしまいましょう。」とありますが、これが丸さんの結論なのでしょう。丸さんの言わんとする端的な結論が出たところで、…」

と原さんはおっしゃっていますが、私などは

「無党派層という<概念>の枠に踊らされるのは―そしてその概念の枠によって他人を躍らせることも―もうやめましょう。
 無党派層という<言葉>は、いっそのこと死語にしてしまいましょう。
 宮崎県知事選を受けて、<無党派層対策が求められている>と言う政党や政治家、マスコミに対して、<お前らの言う無党派層対策って何だ>と質問状をたたきつけてやりましょう。」

と三つ並んでいれば、どれかひとつに特に重きが置かれていると取るにしても、一番最初かもしくは最後に挙げられているものをそう見なすのが普通かとばかり思い込んでいましたが、原さんはあえて真ん中の二つ目を、それもそれだけを、私の投稿全体の「結論」として紹介してくださっているわけですが、これは一体どういう基準でお選びになったのでしょうか?
 もっとも、こちらのほうは私のまったく興味本位の疑問ですので、もし原さんの気が向けば、四月の統一地方選の前ぐらいまでにお答えいただければ、幸いと思います。