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「現状分析と対抗戦略」討論欄

誰にとって「白日の下に明白」なのか

2007/4/27 樹々の緑

 とんびさんの一般投稿欄4月7日付投稿を拝見しました。その後本欄への原仙作氏 の「都知事選に勝機はあった」という分析投稿と、それに対するとんびさんの投稿も 拝見し、さらに、土佐の頑固者氏の投稿(あるいは風来坊氏の投稿)を拝見して、同 感しています。

 ただ、私が今回の選挙に関わっていちばん思ったのは、それでも石原候補に281 万票を投じた人たちがいるということです。吉田候補が、あれだけ「奮闘」しても 69万票弱であるのに対してです。

 これに関して、浅野候補を推した人々の中からも、一部には、「石原候補を圧勝さ せるなんて、都民の民度も低いものだ」というような、悪罵としか言えないような 「評価」が出ていると聞きました。
 また、「毎日」11日(水)付「記者の目」で(「サンデー毎日」)日下部記者など は、都議会民主党が、4年前のように公然たる造反者を出さずに浅野支持を貫いたこ とを肯定的に評価していますが、石原氏に好意を持っている民主党都議を支えている 有権者から、かなりの票が石原氏に流れたと私は推測しています(「毎日」9日付1 面記事によると、投票した民主党支持層の浅野歩留り率は69%でした)。それを毅然 として阻止するための行動を、選挙中の民主党はとっていなかったと思うのです。も ともと一枚岩ではない以上、そういう期待をすること自体が、無い物ねだりだったと 評価すべきなのかも知れませんけれど。
 私は、自民党政治の転換を求めて民主党(や社民党)に期待を寄せ、今回の都知事 選挙で浅野候補を積極的に支援した人びとが、一方で、身近なところから石原支持票 を流出させ、結果として4年前よりは明確に票を減らさせたものの、やはり「圧勝」 といわせるだけの勝利を石原氏に得させたことについて、どのような評価をしている のかが、非常に重要だと思っています。
 そういう時に、「都議会民主党の態度は一応評価できる」では、足りませんし、ま して「石原を圧勝させるなんて都民の民度も低い」などという総括は、決して受け容 れられるものではありません。

 「さざ波通信」の場は、日本共産党の民主的改革を志向する場ですから、当然、吉 田万三氏を推して浅野候補批判に精力を費やし、石原都政を終らせるための広範な都 民の共同を作り上げ(、現実に石原都政を終らせ)るという、今回都知事選最大の政 治課題について、日本共産党が果たした否定的役割と、その因って来る原因を分析す ることは、大事です。
 しかし同時に、共産党の誤りの分析だけで終らせるのではなく、それを非難してい る浅野氏支持勢力が、今回の選挙をどのように総括しているかも、問うべきだと思い ます。
 というのも、沖縄参院補選結果を承けて、狩俣候補の敗因分析で民主党の一部か ら、「共産党とブリッジ共闘をしたことによって、全野党共闘は果たせたが、連合の 一部がこれに反発して、必ずしも積極的に動かなかった。共産党を含む全野党共闘を やっても勝てなかったのだから、これは今後考え直すべき課題だ」という声が出始め ている、と報道されているからです。
 改憲手続法案の審議をめぐる野党側の院内共同状況を見ても、その傾向はジワジワ と出ているように感じます。「真理を独占しようとする」日本共産党の姿勢に、改め て「とても一緒にやれる連中ではない」という「反共セクト主義」も、出始めていま す。
 こういうときに、日本共産党指導部に「そら見ろ! 民主党や社民党のいう『政権 交代』など、底の知れたものにすぎないのは明白じゃないか」といわせてしまえば、 どんどん、「社民主要打撃論」に傾斜していくことは目に見えているのではないで しょうか。
 私は、こういう、一応進歩的・民主主義的と言える民衆の政治勢力の中における馬 鹿げた争いの「進展」に、非常な憂慮を感じています。この争いにおいてどちらが 「大人になる」べきかは、自明だと思います。

 とんびさんの7日付投稿には、

民主党は『自殺行為』をすでに繰り返し、ジレンマに陥っているのではないでしょうか。

という指摘がありました。これは私の先の投稿中の、

民主党がこれ(日本共産党や吉田候補を支持する勢力との共同-樹々の緑補注)を拒否したり、共同歩調をとりつつ裏取引や裏切り行動に出たりすれば、それこそ民主党の自殺行為になる。『幻想』の幻想性が白日の下に曝されるのである。

という部分に対するものだと思います。
 私はもちろん、この部分で、未だ「自殺行為により『幻想』の幻想性が白日の下に 曝され」てはいないということを前提にしていました。それは、論旨の中で「共同行 動を通じて、広範な民衆自身が深い自己経験として民主党の限界と本質を学ぶ」とい うことを重視していたからです。

 私は、とんびさんとそれほど見解の隔たりはないように思っているのですが、上の 点については、違和感を禁じえません。
 もちろん、とんびさんが他方で、

「どう組織するか」が目的というのには、私も賛成であり、むしろ都知事選後にも無党派層を効果的に組織する取組が続いてほしいと考えております。

と述べられていることは知っています。

 しかし、民主党が「すでに自殺行為を繰り返している」と評価できるのは、日 本共産党とその周辺にいる人たちだけだと思っています。民主党が抱えたある種 の「ジレンマ」は、もともとこの政党の成り立ちから来ています。そこに深刻に存在 している矛盾(もともと支配層にも通じている改憲タカ派勢力と、労働者階級の根本 的利益を裏切る右翼労働組合勢力との野合集団であり、にも拘らず、その傘下・影響 下にある多数の労働者民衆に対しては、その利益を代弁しているというポーズをとら ざるをえないという矛盾)を、浅野候補を支持して結集していた人びとは、本当に理 解していると言えるでしょうか。これらの人びとの目に、「『幻想』の幻想性が白日 の下に曝され」ていると言えるのでしょうか。非常に疑問です。

 この人びとの、このような認識こそ、日本共産党とその周辺にいる人たちは、 自らの献身的な態度・方針を通じて、早急に改めてもらわなければならない、そのた めにどうすべきなのかが、日本共産党側が今回の都知事選・沖縄参院補選結果を 検討する際の最大かつ最優先の着眼点であると思います。

 たしかに、現実には、相対的に多くの有権者が、「政策と人柄を印刷物やマスコミ 報道等から知って判断する」程度のことを通じてしか、選挙に参加できないことは、 理解しています。しかし、一定規模以上の数の人間が、直接の政治的体験を通して、 現存する諸政治勢力の実体を知ることは、間接的な文書や報道でしか政策判断ができ ない人びとに対しても、相当の影響を及ぼすでしょう。いわゆる「口コミ」の底力で す。何らかの形で、受動的な従来の立ち位置を抜け出て、選挙の政治過程に積極的に 参加した人は、そのような「口コミ」影響力という点でも、非常なポテンシャルエナ ジーを持っていると思うのです。

 そして私は、未だにこれらの人たちには、民主党が「自殺行為を繰り返している」 という認識はない、と考えています。