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「現状分析と対抗戦略」討論欄

社会民主主義について

2007/5/12 風来坊 50代 自営業

 時々、共産党の社会民主主義化の議論がなされる。
 共産主義が社会民主主義から決別した契機は、1914年8月4日にドイツ社会民主党が戦費予算に賛成し、帝政ドイツと城内平和を結んでユンケル軍閥に屈服し、戦争政策に無条件に協力したことにある。
 さらに、ローザ.ルクセンブルグとカール.リープクネヒトが社会民主党政府の陸相ノスケらの反革命軍に虐殺され、その死体が運河に投げ込まれるに至って、共産主義と社会民主主義との関係は、理論的対立から感情的.敵対的対立になった。

 いわゆる、社会民主主義との違いとされる共産主義の特徴と言われるものの内現在の共産党に残されているのは、民主集中制くらいしかないのではないか。
 あとは殆んど社会民主主義、改良主義に変質しているのではないだろうか。

 まず、1914年8月4日、この問題をどう考えるのか。
帝国主義戦争、侵略戦争に加担するのかどうか
 これこそが、社会民主主義と共産主義を分ける分水嶺だということを 忘れてはならない。

 1914年8月4日、ドイツ社会民主党は政治的に破産し、同時に社会主義インターナショナルは崩壊した。略
 社会主義か帝国主義か―過去数十年にわたる労働者党の政治路線は ことごとく、この二者択一のなかに集約されるものだった。とくにドイツでは、 無数の、綱領問題に関する演説、人民集会、パンフレット、機関紙の論説等を つうじて、この定式が、あらゆる党のスローガンとして、あるいは現在の歴史的 局面、およびその特徴的な傾向についての党の見解として、くりかえし 述べられてきた。
 世界大戦の勃発とともに、言葉は肉体となり、歴史的な傾向を示すだけだった この定式が、たちまち政治的状況そのものとなった。いちはやくこの二者択一を 認識し、すすんでそれを人民の意識にもたらした社会民主党は、みずから この政治状況の場に立たされると、さっさと矛を収め、一戦も交えないで、 帝国主義に陣地をあけわたしてしまったのである。略
―要するに、人民大衆と世論を、ことごとく戦争イデオロギー一色に塗りつぶそう と精出している。最後に、社会民主党の国会議員や幹部連は、戦争遂行の ための戦費予算に賛成投票しただけでなく、人民の中からわきおこった 疑惑や批判のあらゆる不穏な動きを、「撹乱工作」の名のもとに徹底的に 抑圧し、そのくせかれらじしんは、パンフレット、演説、論説などの個人的なルートを 通じて、正真正銘のドイツ愛国精神をひろめ、かげから政府を応援している― (インターナショナルの再建 ローザ.ルクセンブルグ)

 もちろん、これは共産主義と社会民主主義の違いを論じているのであって、 その後のスターリンの社会ファシズム論や社会民主主義主敵論を肯定したり、 統一戦線や統一行動を否定するものではないことは言うまでもない。