共産党が「党を破壊する最悪の行為」と規定する分派禁止や民主集中制は、共産主義運動において最初から在った不可欠な組織原則なのだろうか。
分派禁止は1921年3月16日、レーニンが緊急動議の形で提出した「党の統一について」の決議の第7項「フラクション禁止」規定に由来する。しかし、レーニンはこの第7項を大会以外へは公表を禁じ「秘密条項」とするよう提起した。
この第7項の内容は「党内に、また、ソヴィエトの全活動の内に厳格なる規律を打ち立てるため、また、あらゆる分派形成を排除して、最も大きな統一を成し遂げるために、大会は、規律違反とか、分派の発生の黙認とかの場合には、党からの除名を含むあらゆる党処罰の処置をとり、また中央委員については、中央委員候補に格下げするとか、非常処置としては、党から除名する全権を中央委員会に与える」とするものだった。
つまり、「党大会で選出され、従って大会でしか、格下げ、除名できない中央委員に対する処分権を中央委員会に与える」という規定だった。
スターリンはレーニン死後、この「秘密条項」を解禁し、それによって、この規定は、「公然とした恒常規定」となり、政敵排除に活用され、さらに中央委員会に全権委譲され、果てはスターリン支配下の書記局に全権が集中されていった。
民主集中制は共産主義運動の不可欠の原則ではない。
民主集中制と分派禁止はマルクスではなく、レーニンとボルシェビキを起源とし、コミンテルン型の共産党で受け継がれたいったのものにすぎない。