それに伴なって、また、陰謀家的中央主権主義の第二のモメ ントがあたえられた。すなわち、党の個別機関がその中央機関 に絶対的盲目的に服従すること、ならびに、この中央機関の決 定的な権能が党組織の最外縁部まで波及伸長されること、であ る。
社会民主党の行動の諸条件は、これと根本的に異なっている 。その行動は、基本的な、階級闘争から歴史的に生れる。その 場合、その行動は、弁証法的な矛盾のなかで動いてゆく。すな わち、プロレタリアの軍隊は、この時、闘争そのものの中で、 はじめて生み出され、闘争のなかで、はじめて闘争の課題を明 らかに悟らされる、ということである。
この場合、組織と啓蒙と闘争は、ブランキスト的運動の場合 のように、切り離され、機械的に、また時間的に分離されたモ メントではない。それらは、同一の過程の異なった諸側面であ るにすぎない。
一面からいうと、―闘争の一般的な諸原則はさておいて―準 備を整えられ、あらかじめ確定され、細目をきめられた闘争戦 術、が一中央委員会が社会民主党員たちに叩きこみうるような 、そういう闘争戦術というようなものは存在しない。他面、組 織を創り出す闘争の過程が、社会民主党の影響範囲のたえまな い変動を条件づける。
このことから、ただちに結論されるのは、社会民主主義的中 央集権は、その中央権力への党の闘士たちの盲目的な従順さ、 機械的な服従を基礎としうるものではないこと、他面、すでに 確固たる党活動家へと組織された階級意識あるプロレタリアの 中核と、すでに階級闘争に捉えられ階級的啓蒙の過程のなかに おかれている周辺的層とのあいだには、絶対的な隔壁は設けな いこと、である。
それゆえ、この二つの原則、―皆に代って考えを作り出し決 定するような、一つの中央権力のもとに、党組織のすべてが、 その活動のごく細部までをも含めて、盲目的に服従すること、 ならびに、レーニンによって弁護されているように、党の組織 された中核を、それを取りまく環境からきびしく峻別すること 、という二つの原則にもとづいて、社会民主党内の中央集権を 作り上げることは、われわれには、ブランキスト的な陰謀家サ ークルの運動の組織原理を、労働者大衆の社会民主主義的運動 へ機械的に飜案することである、と思われる。
おそらくレーニンは自らの「革命的社会民主党員」を「階級 意識ある労働者の組織と結合されたジャコバン主義者」と規定 したとき、自己の立脚点を、かれの敵たちのいづれかがなしう るよりも、はるかに鋭く認めていたことであろう。
しかし、実際には、社会民主党は、労働者階級の組織と結合 されているのではなく、労働者階級それ自身の運動なのである 。それゆえ、社会民主主義的中央集権主義は、ブランキスト敵 中央集権主義とは、本質的に異なった状態で、あらざるをえな い。
この中央集権主義は、労働者階級の個別的なグループや個別 的な個人とは対立する、労働者階級の啓蒙された闘う前衛の意 思の絶対的な集中以外の何ものでもありえない。
それは、いうなれば、プロレタリアートの先導的層の「自己 中央集権主義」であり、それら先導的層自身の党組織内での多 数支配なのである。(ロシア社会民主党の組織問題 ローザ. ルクセンブルグ)
党の組織原理、党内民主主義、党の役割、中央集権主義はど
うあるべきか、 が論じられている。
これは、ローザ.ルクセンブルグとレーニンの主な相違点の
一つでと思いますので、引き続き取り上げてみたいと思います
。
そして、これの克服こそが、左翼の再生の鍵だと思います。