いかなる時にも、社会民主党にとって重要なのは、将来の戦術のために出来合いの目論見を、予め考え、立てることではなく、当該の支配的闘争諸形態にたいする正しい歴史的評価を党内で生き生き保ち、プロレタリア階級闘争の終局目標の見地から、闘争の所与の局面の相対性ならびに革命的諸モメントの必然的昂揚にたいする生きた感覚を持つことである。
しかし、レーニンが行なうように、否定的性格をもつ絶対的な権能を党指導部に付与すれば、それは、その本質からして必然的に発生する、あらゆる党指導部の保守主義を、まったく人為的な仕方で危険なほど強めることになろう。
社会民主主義的戦術が、一中央委員会によってでなく、全党によって、より正しくは、全運動によって創造されるのであるとすれば、党の個々の組織には、明らかに、行動の自由が必要なのであり、その自由のみが、当面する状況によって提示されるあらゆる手段を闘争の昂揚のために徹底的に駆使し、また、革命的イニシアチブの展開を可能にするのである。
しかし、レーニンによって推奨された超.中央集権主義は、その全本質において、積極的創造的な精神ではなく、硬直した夜警根性によって支えられている、とわれわれには思われる。
かれの思考の過程は、党活動の結実ではなくて主としてその統制に、その展開ではなく制限に、運動の結集ではなくその締め上げに向けられている。(ロシア社会民主党の組織問題 ローザ.ルクセンブルグ)
ローザ.ルクセンブルグはこの論文の最後をこう締め括っている。
「現実に革命的な労働者運動が現実の中でおこなう誤りは、歴史的には、最上の「中央委員会」の完全無欠とくらべて、はかりしれぬほど実り豊かで、価値が多い、と」