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「現状分析と対抗戦略」討論欄

民主主義とプロレタリア独裁について(2)

2007/7/10 風来坊 50代 自営業

 もう一つの顕著な実例を挙げよう。それはソヴ ェト政府が制定した選挙法である。この選挙法にどんな実際的 な意味があるのか、全くわからない。民主主義制度に対するト ロツキーとレーニンの批判からでてくる結論は、彼らが普通選 挙によって選出される代議体を原則的に否定し、もっぱらソヴ ェトだけに依拠しようとしているとということである。
 そうだとすると一体何のために、普通選挙法が制定されたの かが、そもそも全くわからない。この選挙法が何らかの形で実 施されたのかどうかも、われわれにはわからない。この選挙法 に基づいて何らかの種類の代議体が、選出されたという話を聞 いたことがないからである。おそらくこれは""机上の空論""理 論的産物として残っているものにすぎないのであろう。しかし 、そうだとしても、これはボルシェビキの独裁理論の極めて注 目すべき産物である。
 選挙権というものは全て、一般の全ての政治的権利と同様に 「公正」とかという抽象的な類型や、それに類したブルジョア 民主主義的な空文句によって評価されるべきものではなく、そ れが目指した社会的、経済的な諸関係に照らして評価されるべ きものである。
 そしてソヴェト政府が制定した選挙法はブルジョア的.資本 主義的社会形態から社会主義的社会形態への過渡期のためのも の、つまり、プロレタリア独裁の期間のものである。レーニン= トロツキーが代表するプロレタリア独裁の解釈によれば、選挙 権は自分の労働で暮らすものだけに与えられて、その他の全て のものには与えられないことになる。
 ところで、明らかにこの選挙法は、経済的にも労働意欲を持 った全ての者に自分の労働で十分な、文化的と言えるような生 活を可能にするような状態にある社会でしか意味がない。これ は今日のロシアに妥当するのだろうか? (略)
 こういう状態の下では、全般的な労働の強制を経済的な前提 とする政治的な選挙法というものは理解し難い処置である。
 その意図からすれば、これは搾取者だけを政治的に無権利に しようとするものであろう。ところが生産的な労働力が大量に 生活の根を失っている一方で、ソヴェト政府は逆に国有産業を 以前の資本主義的所有者たちに、いわば賃貸しせざるを得ない という状況に直面している。同様にソヴェト政府は1918年4月 には、ブルジョア的消費組合とも妥協せざるを得ない状況に直 面した。さらにブルジョア的な専門家たちの利用が不可避であ ることも明らかになった。
 この現象のもう一つの結果は、プロレタリアートのますます 広範な層が赤衛軍などとして国家からの公費で養われるように なることである。こうして、現実には、この選挙法は、小ブル ジョアとプロレタリアートのますます増大しつつある広範な層 を無権利にしてしまう。経済機構が、これらの人々を仕事につ かせる方策を、全く持っていないからである。
 選挙法を社会的現実から遊離したユートピア的な幻想の産物 として取り扱うのは愚かなことである。そしてまさにそれだか ら、選挙法がプロレタリア独裁の真剣な手段ではなくなるので ある。
 十月革命の後に、全中産階級とブルジョア的、小市民的知識 人たちが数ヵ月にわたってソヴェト政府をボイコットして、鉄 道、郵便、電信、学校経営、行政機構を麻痺させ、こうして労 働者政府に反抗した時には、当然、この抵抗を鉄拳をもって打 ち砕くために、政治的権利や経済的生活手段の剥奪など、彼ら に対するあらゆる抑圧処置が必要とされた。
 正にここに、全体の利益になる、ある特定の処置を強行した り、阻止するためには、如何なる権力の行使をも、ためらうべ きではない、という社会主義的独裁が、姿を現したのであった 。
 これに対して、社会の極めて広汎な層の権利の全般的な剥奪 を宣言し、それらの層に対して、社会の枠の中で、経済的に暮 らしていけるような、如何なる場所も用意する事ができないで いて、それらの層を、政治的に、社会の枠の外に置く選挙法は 、ある具体的な目的のための、具体的な処置としての、権利剥 奪ではなく、長期的な効力を持った、一般的な規則であった、 それは独裁に必然のものではなく、長続きしない思いつきであ る。同じ事は、立法議会や普通選挙についてと同様に、根幹と してのソヴェトについても言える。
 しかし、憲法制定議会と選挙法を論じただけでは、まだ問題 を論じきったことにはならない。さらに、労働者大衆の健全な 公共生活と政治活動の最も重要な民主主義的保障の廃止、つま り、出版の自由、結社.集会の権利がソヴェト政府の反対者に は、全て停止されていることをも、考察しよう。
 こうした、権利の侵害の論拠としては、民主主義的な選出機 関の動きの鈍さというトロツキーの前述の主張では、不十分で どうにもならない。
 それどころか逆に、自由で制約のない出版、妨げられること のない結社.集会という活動なしには、まさに広範な人民大衆 による支配などというものは、全く考えることができない、と いうことこそが、明らかな、争う余地のない事実なのである。( ロシア革命論 ローザ.ルクセンブルグ)

 選挙法、出版の自由、結社.集会の自由、社会主義的独 裁に対するローザとレーニン=トロツキーの考え方には大きな 違いがある。
 1921年ドイツ共産党およびコミンテルン指導部と対立したパ ウル.レヴィが自己の立場を正当化する論拠として「ロシア革 命論」草稿を刊行した。その際、ワルスキと、ツエトキーンは 、「ローザは獄中で十分な情報を得ていなかった為にロシア革 命に対して誤った判断を下したが、その後ドイツ革命の中で、 その見解を改めて、ロシア革命に同調した」と主張する。
 しかし、ローザの「ロシア革命論」はトロツキーの「十月革 命からブレスト.リトフスクで」に対する批判が中心になって いる。
 また、ローザは1903年以来ボルシェビキと対立を続けており 、彼女の死の二週間前においても、ドイツ共産党設立大会に出 席したボルシェビキの公式使節団長ラデックとの会見を一旦拒 絶している。この事からも、ロシア革命に同調したとする見解 を受け入れる事はできない。