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「現状分析と対抗戦略」討論欄

安倍晋三も嗤うであろう共産党の参議院選総括--これでは 終わりが近い--

2007/8/4 原 仙作

        

1、共産党の選挙総括の 中心課題
 日本共産党(以下jcpと略す)の常任幹部会は、「参議院 選の結果について」という選挙総括文書を発表したが、驚くと いうよりあきれ果ててしまった。党指導部を信頼する党員諸兄 には悪いが、この党の指導部がどこまで堕落してしまったかを 示す歴史的な文書である。この党は”終わっている”という感 が深い。
 このままでは、国政の第3極に発展するどころか、泡沫政党 になるほかないであろう。歴史の風雪は過酷なものらしく、反 戦平和に命を賭けた党も、半世紀も経てば”不都合な真実”か ら逃げ回る指導部を戴く並の政党になるようだ。
 さて、jcpの総括文書の主旨を述べれば次のようになる。 ①参議院選は、安倍政権へ明確なNoを突きつける痛烈な審判 となった、②jcpはこの審判に一定の貢献をなした、③「新 しい政治的プロセス」がはじまった、④jcpの役割は今後ま すます重要になり、「次の機会には、・・・かならず前進・躍 進を期す決意」ということになる。 ①~③には異論はない。 がしかし、今回の大チャンスにも議席を減らし続けては「今後 ますます」重要な役割を果たせるかどうかは保証の限りではな いだろう。この党指導部は、政権にしがみつく安倍総理と同様 、参議院選の審判の意味がわかっていない。いや、わかってい て逃げ回っているのであろう。
 今度の選挙で惨敗したのは、自民党ばかりでなくjcpも同 じく惨敗したのである。自民党の議席減少率は42%だが、j cpも5から3へ40%の減少率となっている。議席の低落傾 向に歯止めがかかっていないのであって、惨敗という事実を直 視し真摯に選挙総括を行うことが何時にも増して必要になって いるのである。

2、共産党には順風の選挙選であったはずだ
 21世紀に入ってから、国政選挙では5度にわたって後退続 きであり、二つの統一地方選でも後退してきたが、今回の参議 院選での惨敗を党指導部がどう受け止めているかが問題なので ある。マスコミでの発言を見る限りでは惨敗などどこ吹く風と いうような印象である。
 自民党が歴史的惨敗を喫し、これまで失うことのなかった参 議院第一党の位置を失うという事態が生まれるほど政権党への 批判は猛烈なものがあった。自民党にとっては20年に一度の 大逆風が吹いた選挙である。政権党への逆風はjcpには大順 風、得手に帆を上げる選挙戦であったはずである。
 7月25日の「全国いっせい総決起集会」で志位委員長は次 のように演説していたほどである。

「どの問題でも、『確かな野党』日本共産党が果たしている役 割がこんなに光ってい るときはないし、こんなに語りやすいときもありません。」( 「赤旗」7月26日)

 大順風であるにもかかわらず、なぜ惨敗に追い込まれる ことになったのであろうか? この半世紀、失うことのなかっ た東京選挙区で、しかも定数が4から5に増えたにもかかわら ず次点にも入れなかったのである。これが総括すべき問題なの である。
 相撲の世界には「負けて覚える相撲かな」という言葉がある が、失敗をよく反省することこそ発展の土台である。自民党で あれ、「科学的社会主義」の党であれ、この経験則は貫徹する 。失敗の反省、原因の究明を怠る者は発展から取り残され置き 去りにされ滅びる。政治の世界は優勝劣敗の世界であり、たと え、”科学的社会主義”の教義の信奉者であれ、反省なき者は 滅びる。
 マルクスはその教義の信奉者に発展を保証したことはなく、 「私はマルクス主義者ではない」と言うのが常であったし、レ ーニンが晩年に西ヨーロッパの左翼に強調したことは研究し「 学ぶ」(・・・)ということであった。

3、あきれ果てる選挙総括(1)
 さて、記録しておくべき歴史的な文書の歴史的な部分を全文 掲載しよう。

「二十九日に投・開票がおこなわれた参議院議員選挙で、日本 共産党は、比例代表選挙で三議席を獲得しました。これは、一 議席減の結果ですが、得票数では、前回および前々回の得票を 上回る四四〇万票(7・48%)という地歩を維持することが できました。選挙区選挙では、議席を獲得することはできませ んでしたが、東京、大阪、京都などで得票を増やしました。」

 自党の選挙戦についての総括部分はこれだけである。常 任幹部会の議論が目に浮かぶようである。指導部が指揮したお のれの選挙戦に対する評価がまるでない。事実の単なる記述の ように見えるが、単なる事実の羅列でさえない。自己に都合の 良い事実をつまみ食いしたうえに、語るほかない重要な事実に ついては片面しか述べていない。まさに詐術の手法である。
 この党指導部の責任逃れ・堕落がどこまで進行したかを示す 歴史的証拠である。志位があちこちのインタビューで答えてい ることも、この文の内容で行われている。jcpの信用がガタ 落ちになること請け合いである。
 このような文書を発表することに常任幹部会では異論が出な かったのであろうか?
 出ないとすれば、常任幹部会の全員が「有罪」ということに なる。常任幹部会に籍を置く元議長にして元委員長の不破も同 罪である。以下、詐術の内容を見ていこう。

4、あきれ果てる選挙総括(2)
 しかしまた、この文章はどうだろう。 惨敗という評価を回 避するために、事実をもって語らせるという手法を取り、しか も、事実の一面しか取りあげていない。上記引用文にあるよう に、確かに比例区では4から3へ1議席の減少である。だが、 選挙戦全体の総括であるからには獲得議席の全体が語られねば ならないはずである。
 全体では1議席ではなく2議席の減少であり、東京選挙区の 1議席減が語られていない。全体では改選前の5議席から3議 席へ後退したことが示されていないのである。隠しようのない 事実さえも、こうした片面の事実の記述だけで逃げている。
 重大な敗北を喫した事実を何とか過小に見せ隠蔽したいとい う党指導部の心理が露骨に示されていると言わざるを得ない。 この党指導部の心理こそ、上記引用文を貫く基本精神なのであ る。

5、あきれ果てる選挙総括(3)
 詐術の第2は、前回との得票数の比較である。得票数の比較 はあっても得票率の比較がなく、選挙戦での前進・後退を示す 得票率という基礎指標が示されていない。得票数は投票率で変 わる数値であり、得票数だけでの比較では前進・後退を評価で きないことは常識であるにもかかわらず片手落ちなことをやっ ている。
 比例区で見ると、得票数では前回より45000票増やして いるが、得票率では7.8%から7.5%へと後退している。 投票率があがり、投票総数が約300万票増えたからである。 選挙区で見れば得票率は9.8%から8.7%へと後退してお り、得票数で見ても552万から516万へと減少している。 得票率を減らし議席も減らしたというのが、選挙結果が示す基 本的な事実である。
 上記引用文では得票数が若干増えた比例区の得票数だけが記 述されているのである。この途方もなく一面的な記述の原因は 、すでに述べたように、惨敗をできるだけ過小に見せ、できれ ば隠蔽したいという指導部の心理以外に考えられないことであ る。
 この指導部は敗北の数値さえ正面から見つめる勇気を持ち合 わせていないのである。

6、あきれ果てる選挙総括(4)
 詐術の第3は、東京選挙区で現有議席を失ったことが語られ ていないことである。「選挙区選挙では、議席を獲得すること はできませんでした」と、さらりと流されている。東京選挙区 はすでに述べたように、どんな逆風があっても半世紀にわたっ て議席を維持してきた選挙区である。jcpにとっては最強の 陣地である。この選挙区で大順風と定数増という有利な条件の 中で現有議席を失った意味は非常に深刻である。

 本丸を抜かれたも同然、jcpの暗い未来を象徴する出来事 であり、仮に選挙制度が中選挙区制に戻ったにしても、jcp は以前のようには議席を得られないであろうということを示し ている。「東京、大阪、京都などで得票を増やしました。」と いうことについても、投票率が上がり、与党に大逆風が吹いた のだから当然のことであって、ことさら成果として数えあげる べきものではなかろう。語るべきものを語らず、語るに落ちた ことを語っている。

 この総括には”科学的社会主義”のどんな片鱗、真実の 一片もなく、世間一般に見られるトップの自己保身と責任回避 の衝動があるだけである。仮に党員のショックを和らげるため だと弁明したところで自己欺瞞以外の何物でもないであろう。

7、あきれ果てる選挙総括(5)
 前回の参議院選以来、比例区の絶対確保5議席、目標得票数 650万票というスローガンを掲げて、党員の尻を叩き営々と 機関紙拡大等を行い、参議院選を闘ったわけであるが、その目 標数値と今回の実績との関係、その評価にまったく触れられて いない。目標得票数にどれだけ接近したかどころの騒ぎではな く、前回なみの得票数で得票率は下げているのだから比較しよ うという気もわかないのであろう。
 このスローガンの運動にトップの誰が責任を負うわけでもな ければ、到達できなかった原因を究明するわけでもなく、指導 部に都合の悪いことはすべてはうやむやに「水に流されていく 」ばかりに見えるのである。指導部には、いたって居心地の良 い組織であることだけはよくわかるのである。
 ついでながら、こうした欺瞞的で堕落した指導部が民主集中 制の民主主義性を強調しても実態では絵に描いた餅であること は言うまでもない。ここに検討したようなデタラメな選挙総括 は、民主主義が生きている組織なら党内から批判を浴びて当然 なのだが、しかし、これまで同様、党内で批判を浴びることは なく、党内論争になることもないであろう。そこにjcp組織 の病理があるのであり、時代に対応できない主要な原因がある 。異論を半世紀にわたって排除してきたために、誤りを是正す る頭脳と力が党内に残っていないのである。

8、共産党の指導部には『心』が失われている
 何よりもこの文章には『心』というものがない。jcpの指 導部は政治革新の願いを託した国民の一票をどう考えているの であろうか? 志位らは「おにぎりが食べたい」と言って餓死 した人の話をよく例に出すが、藁にもすがる思いで託された一 票をどう感じているのであろうか? 託された一票の期待に応 えられなかったおのれのふがいなさに慚愧の念を覚えないので あろうか?
 木で鼻をくくったような事実を羅列して逃げを打つこの文章 と比較すれば公明党の声明さえ、まだ、心に伝わってくるもの がある。

 票日29日の「赤旗」一面には「大激戦、大接戦」という大 きな活字が踊っていたのであるが、どの選挙区が「大激戦、大 接戦」であったのであろうか? 東京は13万票の差、京都は 87000票の差、大阪は14万票の差があった。
 7月25日の「全国いっせい総決起集会」の志位演説では「 共産党の存在意義がかかった重大な選挙」(「赤旗」26日) とさえ言われていたのである。また、「歴史的な参議院選挙」 (同)とも言われている。
 文字どおりに理解すれば、「歴史的な参議院選挙」、かつj cpの「存在意義のかかった重大な選挙戦」で、比例区と東京 選挙区で議席を減らしたことはjcpが存亡の淵に立ったこと を示している。それにもかかわらず、惨敗の事実さえ隠蔽して 自己保身と責任回避に走る総括声明を発するとは一体どういう 感覚なのであろうか?
 今では彼らの発する言葉にはどんな真実の裏付けもない。言 葉が単なるプロパガンダに堕しているのであり、国民の心に訴 える力を失っている。

9、まがいものの「科学的社会主義」
 すでに党指導部の利害は生活弱者である国民の利害とは遊離 しているのであり、彼らの唱える「科学的社会主義」もマルク スやレーニンが苦闘して創出した理論の外見だけを図式として 利用しているだけである。生活弱者を救済する理論ではなく、 図式化され、保身と自党第一主義の弁護論に換骨奪胎されてい る。
 不破らの唱える「科学的社会主義」なるものは、もはや縷々 説明するまでもなく、6連敗という国政選挙の惨状を指摘する だけでその内容を推測するには十分であろう。
 しかし、補足の意味で一例を挙げてみよう。最初に要約とし て述べたことだが、「参議院選の結果について」には次のよう な文章がある。

「・・・国民の審判は、それにかわる新しい政治 の方向と中身を探求する新しい時代、新しい政治的プロセスが 始まったことを意味するものです。」

 確かにそういう実感が深いのであるが、しかし、このような 評価をすれば、jcpがこれまで主張してきた政治「理論」と 矛盾することになるということに、jcp指導部は気がついて いないようである。これまでの「理論」=政治図式では自民党 も民主党も「同じ穴のムジナ」であり、真の対抗勢力jcpが 伸びなければ政治は変わらないと主張してきたのである。だか ら、この「理論」からすれば、自民党が敗北しても民主党が躍 進するのでは政治は変わらないと評価すべきなのであり、まし てやjcpが議席を減らしてはなおさらのことである。「新し い時代、新しい政治的プロセスが始まった」と評価するなどと んでもない誤りであるはずなのである。
 その「理論」に反し、自民党が参議院で過半数割れを起こし 民主党が参院第一党になっただけで、政治は変化を起こし始め たということをjcp指導部はいやでも認めざるを得なかった のである。
 この文章にはみずからの「理論」がどの程度のものとして理 解され取り扱われているかが端的に示されている。自民党惨敗 後の変化しつつある政治情勢、政治の現実を肌で感じて、おの れの「理論」を忘れてしまった党指導部の姿がある。こうして jcp指導部は自ら「同じ穴のムジナ」論の破綻を告白するこ とになったわけである。
 ささやかなものであれ、まことに現実の変化は偉大であり、 干からびた「理論」の誤りを教えてくれる良薬である。今では 国民がjcp指導部に政治を教えている。「前衛」が後衛にな り、後衛が「前衛」の先を進む。

10、全小選挙区立候補戦術の愚劣
 jcp指導部の告白は、また、全小選挙区立候補戦術が寄る べき理論上の根拠を失ったことを教えている。「同じ穴のムジ ナ」と把握し両者に対抗しなければならないからこそ、全小選 挙区に候補者を立てて自民、民主と議席を争う必要があるとい うのが、これまでの議論であった。しかし、民主党の躍進で政 治が変化し始め、両者は同じものではないことが明らかになっ たのである。流動化しはじめた政治の現実は「同じ穴のムジナ 」論が現実にある両者の相違を捨象した抽象論(本質論ではな い)であり、同じものと把握することの誤りを教えている。
 今はまだ民主党と自民党は同じではないのである。基本政策 に類似のものが多いとはいえ、異なった政策も多い。自民党は 官僚機構と癒着しているが民主党にはそれがない。そして何よ りも、一方は政権にあり他方は政権にない等々。これらの相違 こそ、国民が民主党を選ぶ理由なのである。抽象論で同一視す れば国民の政治意識のありかを見誤り、正しい戦術を立てるこ とができなくなるのである。
 正しい戦術とは両者の違いに着目する戦術だったのである。 違いがわかれば、一方とある提携を結び他方を叩くという戦術 が素人にもわかることになる。
 以前に述べたことがあるが、実は、全小選挙区立候補戦術の 誤りはjcp指導部の告白を待つまでもなく、すでに100年 近くも前から解明されていたのである。「科学的社会主義」な るものを唱えるjcpの選挙戦術がレーニンの議論とどれだけ かけ離れているかを一瞥しておこう。古典家達の議論は今でも 大いに参考になる。

11、レーニンが90年前に教えていたこと
 レーニンは社会の変動期には国民大衆は支配政党から離れは じめるが、その政治意識の変化(これがポイントで、あれこれ の政治条件の違いは問題ではない)は一挙に共産主義政党のも とへ来るものではなく、一旦は支配政党より「左」の政党へ途 中下車するものであることを繰りかえし教えていた。
 この変化、途中下車は宣伝や説得では決して変えられるもの ではないことを経験が教えているとし、共産党の戦術はまず変 化する大衆の願望を実現することに手を貸すこと、そして、そ の援助の過程を通じて共産党への理解と支持を広げることであ ると説いていたのである。
 変化する大衆の政治的願望を実現することを通じて、彼ら大 衆が支持した政党を政権につけ、その政権の真実の姿を大衆自 身が目の当たりにしてはじめて共産党の主張が理解されるので あり、この政治過程、国民の政治的経験は宣伝などで飛び越え ることは決してできないことも繰りかえし教えていたのである 。ましてや今日、社会主義世界体制が崩壊し、共産主義の評判 が地に堕ちているときではなおさらのことである。
 だから、jcpの選挙戦術は、民主党政権を期待する大衆の 願望を実現するような選挙戦術を採りつつ、自党の議席増をめ ざす選挙戦術を採用しなければならなかったのである。すなわ ち、比例区と2~5人区では候補を立てるが、議席獲得を望め ない定数1の選挙区選挙では候補者を立てず、有力野党候補に 一票を投ずる選挙戦術ということになる。

 これらのことはレーニンの有名な著作「共産主義内にお ける左翼主義小児病」で語られていることであり、今だ常任幹 部会に居残り院政を敷く不破が十分承知していることである。 ことのついでになるが、こうした戦術を理解しない者は「マル クス主義と科学的な近代社会主義一般をすこしも理解しないも のである。」(全集31巻「・・・左翼主義小児病」58ペー ジ)とレーニンが言っていることを付け加えておこう。

12、参議院選の結果は問題を明確に提起した
 今回の参議院選は、jcp指導部の選挙戦術の誤りを赤裸々 に見せてくれている。与党には20年に一度の大暴風雨が吹い たのであり、jcpには大順風の選挙戦であった。その意味で 敗北の原因を外部環境のせいにする道は閉ざされている。「小 泉旋風」はもうないのである。しかも、現有議席を確保できず 「善戦健闘」とは言えない明確な敗北である。
 政治現象は複雑怪奇であり、めったなことでは明確な輪郭を あらわすことはないが、今回の選挙戦はどの側面から見ても明 確な輪郭を出現させている。jcp指導部は敗北の原因をおの れの内に求めるほかない政治状況が出現したのである。
 この期に及んで、マスコミの二大政党制論に国民が押し流さ れ民主党に票が集中したことが敗因だったと敗因を他者に転嫁 するわけにはいかないであろう。志位は「難しい風」があった というが、いかに厚顔でも民主党旋風が逆風となったとは言え ないようである。参議院選初出場の、jcpより小さな国民新 党や新党日本でさえ議席を得ているのに、jcpは与党批判票 を取り込みやすい比例区でさえ議席を減らしているのである。
 全小選挙区立候補戦術の誤りは、すでに理論的にも実践的に も証明済みである。参議院選における敗北の直接の原因はjc pの選挙戦術にある。野党との選挙共闘を拒否し、至る所で他 の野党を批判し、jcpだけが正しいとして全選挙区に候補者 を立て宣伝しまくったことが独善的に見え国民の共感を呼ばな かったばかりか、自民党候補を倒したいと欲する有権者には妨 害者に見えたのである。
 大順風を消し去ったのはjcp自身であり、「難しい風」を 作り出したのもjcp自身である。

13、有権者の一票は天の声であった
 jcpが全小選挙区立候補戦術に固執する理由としてよく言 われていることがある。全小選挙区立候補でなければ地方組織 が動かず、また、公選法の関係で宣伝手段が少なくなるので比 例区の得票を増やせないという議論である。
 しかし、この議論は純粋に党の内部事情の問題であり、政治 情勢という要因に優先して選挙戦術を決定する要因にはなりえ ない。これは戦術を決定する場合のイロハに属する問題であり 、党内事情を政治情勢に優先させるのは本末転倒である。何の ために議席を増やすのかということを考えてみれば、議論の本 末が簡単にわかるであろう。党員をアクティヴにする工夫や宣 伝手段を広げる方法は組織内の創意工夫で克服すべきことであ る。
 政治情勢を顧みない「お家の事情」第1の選挙戦術は、政治 情勢によっては反動的な選挙戦術に転化するのであり、有権者 から手痛いしっぺ返しを受けることになるのである。
 私の見るところでは、jcpの議席は伸び悩みになるが現有 議席程度は確保できるのではないかと予想していたのである。 というのは、与党への大逆風があり、「2チャンネル」のスレ ッドなどでは極右政党「新風」に投票する者まで「戦略投票」 と称して最下位争いの与党を落とすためにjcpに投票すると いう例が数多く見られたからである。

 しかし、国民の怒りの一票は自民党を打ち負かしたばかりか 、jcpをも打ちのめしたのである。jcpは自民党ともども 生活弱者の敵として打ちのめされたのである。国民のこの投票 行動は、この間、jcpが果たしてきた与党の「つっかい棒」 という役割を考慮する場合にだけ、まことに合理的な投票行動 であったと合点がいくのである。まさに”天の声”である。

14、愚かな指導部がつくる党の危機と党員の疲弊
 jcpが全小選挙区立候補戦術に固執する理由が何であれ、 国民はこの党を打ちのめし生活弱者の敵と認定したのである。 あるいは敵と認定しないまでも、社会主義世界体制が崩壊して 以降、視野の外にあったjcpを改めて政治革新の邪魔者とし て認定したということである。jcpが国政上の存在としては 危急存亡の淵に立つことになった理由である。

 同情すべきは、全身これ善意の塊のような末端党員の苦労で ある。馬鹿げた選挙戦術で無用の風圧を受けたうえに、賽の河 原の石積みのような徒労を強いられて疲労困憊し、参議院選の 惨敗で失意のうちにあることは想像に難くない。
 この順風、国民の怒りが大爆発している選挙戦では「水を得 た魚」のように活動できたはずなのだが、実際には、党員の活 動は惨状を呈していた。選挙戦終盤の25日においても志位は 「党員の決起は、のべでも約4割から5割です」(上記決起集 会での志位演説)と言わざるを得なかったのである。これでは 順風でも勝てるはずがない。党員は疲弊し、志位ら指導部は指 揮官としての無能を晒した選挙戦であった。

15、不破、志位、市田を更迭し指導部体勢と選挙戦術を一新 せよ
 1年後には、本当のラストチャンスがやってくる。小沢が政 治生命をかけた衆議院選である。無能な安倍が政権にあるかぎ り、政権崩壊劇の条件はおのずから成熟してくる。政権崩壊は 無能な者が居座り愚策を連発することによって条件が整う。こ こでは300の小選挙区があり、jcpの選挙戦術が威力を発 揮する場所である。jcpはそこでどうするかである。

 全小選挙区立候補戦術を採り他の野党との選挙共闘を拒否し 、相変わらず与党の「つっかい棒」になるならば、現有9議席 は半減することになろう。今回の参議院選が再現する。政治の 変化を実感し政権交代に目標を定めつつある国民はもはや容赦 しないであろう。
 昨年の「赤旗祭り」で不破が講演したように、日本は反共主 義が強まっていると参議院選後の政治情勢を把握するのであろ うか? それならば、次回の衆議院選でjcpは行き着くとこ ろへ行き着くであろう。
 参議院選の惨敗を真摯に総括するために臨時党大会を開き、 21世紀の国政選挙を指導し6連敗を喫した不破、志位、市田 の現指導部に責任を取らせ、かれらを更迭し、新しい執行部を 選出してその選挙戦術を全面的に転換することが必要である。 惨敗して居座る指導部を安倍総理同様、有権者は許さないだろ う。党の顔も戦術も変えることである。それ以外にjcpが生 き延びる道はない。
 そして、今ひとつ付け加えるならば、人材も活動力も枯渇さ せるだけの上位下達の官僚組織でしかない民主集中制を改める こと、日本人の国民気質を理解することである。判官びいきで あり、勝って奢らず敗れて潔くというのが日本人の美学である 。今のjcp指導部では敗れても一片の同情すら得られない。